スピリチュアル

「は……?」

と、自分でもマヌケな、そして陳腐な第一声を上げたと田嶋は思う。桂木の方へ首だけ振り返った田嶋の瞳は驚きで見開いたままで、少しばかり表情の付いたその顔は少し幼くも見える。それでも、田嶋の頭はその衝撃の割には案外な冷静さで目を細めると、いつもどうりの冷めた口調でこう返したのだった。

「何言ってんですか。あんたみたいなのと一緒に暮らして相手が持つとでも思ってるんですか?」
「持つって、身体が?」

ベッドの枕に肘をつき、頬杖を付いた桂木が笑って言った。発した言葉の重大さにも関わらず、そのあっけらかんとした口調に思わず田嶋の眉間にしわが寄る。

「……神経が!」

当てつけるようにそう言うと、田嶋はすぐ横のソファに掛けられたままの衣服を桂木に投げて寄越した。見事に頭から掛かった衣類を取り除けた桂木の色素の薄い髪の色が、カーテンの隙間からわずかに差し込む日の光で、金髪のようにも見える。そして、まだ掛かった衣服の下から悪戯小僧のようなしぐさで覗く桂木の顔に田嶋は半ば呆れたようなため息をつきながら、素っ気の無い口調で言ったのだった。

「とにかく、謹んでお断り申し上げます。あんたみたいなのと一緒に暮らしたら心身症になりそうですから」
「どういう意味だ」
「まんまです」

そう言って田嶋はふいっとそっぽを向いた。連れねえの、と桂木は苦笑交じりの口調で呟いたが、それが田嶋の耳に届いたのかどうかは分からない。ただ、田嶋はその背中の向こうでひどく複雑な表情を浮かべていたのだった。

 

『一緒に暮らさないか?』

 

昨夜強引に連れ込んだラブホテルの一室で、頭の片鱗にさえよぎった事もない桂木圭吾のその言葉。一体どこまで本気なのか。 田嶋はその真意を考えあぐねていたが、桂木のことである。きっとなんとなく口にしただけのことだろう、と田嶋は思った。大体桂木といったら……

「おまたせ」

と、背後からいきなり声を掛けられて田嶋の肩が大きく揺れた。首だけ返してそっと桂木の表情を伺う。

「何」
「いえ、別に。さっさと出ましょう。お金……」

と、内ポケットのサイフに手を掛けようとした田嶋の右手を強引に引いて、桂木はそのまま廊下へ続くドアに向かった。

「もう払った」
「え」

いつの間に、と田嶋は思って顔を上げたが、そういえばベッドすぐ横の壁際に自動料金清算機なるものが設置されてるのに今頃気付いた。そう思ったのも一瞬で、強引に手を引いた桂木の力はそのまま緩まない。慌てて田嶋は言葉を発した。

「ちょっ、ちょっと!俺が連れ込んだんだから俺が……」
「いい」

有無を言わせないまま、田嶋が引っ張られる形で付いていく。ズカズカとでかい男二人がラブホテルの廊下をてを繋いで歩いていくその光景は少し異様か。

長い歩幅で歩く桂木の足がベージュのトレンチコートの裾を乱して、その微妙なコートの広がり具合がひどく絵になる。 エレベータの前まで来ると桂木の足はぴたりと止まり、その左隣に田嶋がついた。桂木は左ポケットに手を突っ込むと、首を少し傾けて、意味ありげな視線を田嶋に寄越した。その色のある視線 は田嶋の内心をドキリとさせる。

「田嶋のあんな顔が見れたんだから別にいい。それに」
「それに?」
「大概気持ちよくしてもらったし」

釣りが出るぐらいだ。ほんとにほんとに、あんな顔、いくらお金を積んだってちょっとやそっじゃ見られやしない。桂木はニヤッと笑ったが、「でも」 と、それでも目の前のこの男が本当にすまなさそうに俯いたので桂木は、推移していくエレベータの階数を目で追いながらすまして言った。

「それじゃあ」

桂木はスーツの内ポケットに入った眼鏡を取り出した。

「昼食兼の朝メシをご馳走しろよ」

田嶋が気持ち分低い目線から、眼鏡を掛けた桂木の横顔にピントを合わせたちょうどその時、エレベータのドアがガーっ、と開いた。

 

*    *    *    *    *

 

ホテルを出て、最寄の駅前の喫茶店に入った二入は入り口より向こうの、歩道の見える窓際に腰を下ろした。時計は10時を回ったところで、ランチというには少し早い。桂木が水を出しついでに注文を取りに来た店員にモーニングを2つ頼んでニコッと笑うと、ウエイトレスはかすかに頬を染めた。

「…………」
「何」

田嶋のモノ言いたげな視線に気づいて桂木は、手馴れた動作で取り出したタバコに火を点けるその手を止めて顔を上げた。

「いえ。あんたほんとにホモですか」
「そうだよ〜ん……って、お前朝から喧嘩売ってんのか」
「まさか」

そうかな、と疑惑の目を向けたまま、桂木は止めたライターの火を再びタバコの先に点けた。

一息吸って、窓から見える歩道の行き交う人々に視線を向ける。土曜の朝は出勤する人から、いかにも休日な人から親子連れまでいて、見ていて結構面白い。

チラッと田嶋の方に目をやると、頬杖をついた田嶋が同じように歩道を見つめていて、その横顔に桂木はニヤっと笑みを浮かべた。シャツの襟元からチラッとストイックに覗く昨夜の情事の跡がひどくセクシーだったからだ。

「おまたせしました」

桂木がさっき点けたタバコを吸い終わる頃、注文したモーニングが運ばれてきた。運んできたのはさっきのウエイトレスで、どうも、と上の笑顔を浮かべて礼を言った桂木にまた頬を赤らめる。本人は軽い会釈のつもりかもしれないけれど、傍から見ると十分過ぎるほどのセックスアピールだ、と田嶋は思った。それでも、朝の10時にスーツを着込んで爽やかな顔をした二人がまさかホテル帰りとは思うまい。

トーストとコーヒーと、サラダとメインの一皿を囲み、その中のメインの皿に乗っている目玉焼きをフォークで突付きつつ、桂木が不意に口を開いた。

「で、ウチにはいつ来んの」
「は?」
「だからいつ?」
「いつって……」

もしも人の脳内に思ったことが目に見えるなら、今、田嶋の頭の周りには沢山のクエスチョンマークが浮かんでいたことだろう。さっぱり分からないといった表情を浮かべる田嶋に桂木は左腕を机について軽く身を乗り出すと、数十分前の言葉を口にした。

「『一緒に暮らそう』」

それを聞いた田嶋の顔が呆然とした表情を浮かべたまま動かなくなった。数秒後にハッと我に返った田嶋が慌てて返事を返す。

「ちょ、ちょっと!何言ってるんですか!さっきの本気だったんですか?!」
「失礼なヤツだなあ。俺はいつでも本気だぜ」

どうだか……。心外そうな顔を浮かべてしゃあしゃあと答える桂木に田嶋は呆れたように目を細めた。

「さっきも言いましたけどね、イヤですよ」
「なんで」
「なんでって…。じゃああんたはなんで、そんなに一緒に暮らしたいんですか」
「ああ、俺?」

きょんとした表情をして桂木はあっさり答えた。

「時間が全然足りねぇもん。会社じゃ顔を見るだけだし、夜は誘っても田嶋はシンデレラより早く11時過ぎには帰っちゃうからなあ」
「世の恋人たちは皆そうですよ」

呆れたように田嶋は言った。二月も三月も顔を合わすことさえ出来ない長距離恋愛者でもあるまいし、それで十分ではないか!

田嶋はそう思ったがそれでも、桂木はまったく納得いかないといった風にこう答える。

「最近の世では同棲する恋人達も結構多い」
「そりゃそうかも知れませんが、俺らは同じ会社です。住所が同じじゃ具合が悪いじゃないですか」

あながち問題はそれだけではないのだが。

「総務の上島に頼めばこっそりやっといてくれるだろ。それと昨晩も言ったように」

桂木はイスをキシっと言わせて身体を起こした。

「俺はお前をもっと知りたいよ。いきなりキャンセルされる休日と、夜の3時間じゃあ何にも知れない」

その真っ直ぐな目線に田嶋はドキッと心臓を鳴らしたが、その表情は硬く、ゆっくりと目を細めると小さなため息をついて、目の前の桂木の顔をジッと睨んだ。

「そんなに早く知ってどうしようっていうんですか」
「どうって、お前こそなんでそんなに嫌がるんだよ」
「全部知られて早く飽きられたら……困ります」

本当に困るのか、というぐらいに素っ気無く、田嶋は窓側にそっぽを向いた。その頑なな態度に桂木は微笑を浮かべる。桂木にとって田嶋が断るという選択肢はまったくもって予想の範囲だったのだ。田嶋なら、きっとそう言う。

コンコンっと机を叩いて注意を引くと、桂木はさっきウエイトレスに向けた以上の極上の笑顔を浮かべてこう言った。

「全部知られて、愛が深まるとは思わねえ?」

色気漂う、というよりは屈託のない子供のようなナイーブなその笑みに、田嶋の動きが止まってしまった。子供のような笑顔では下心も見えないが、この男にこんな発想、一体どこから生まれてくるというのだろう。

呆然としたまま十数秒経って、田嶋はゆっくりと目を細めた。

「思いません」

田嶋は素っ気無くそう言うと、もうすっかりぬるくなってしまったコーヒーカップに口をつけた。

 


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