スピリチュアル

なんでこんなことになっているのだ。

ひどく気まずい雰囲気に満たされたエレベータという名の密室で、桂木は田嶋の後ろ姿を見つめていた。ほんの数分前の出来事を桂木はぼんやりと頭の中で反芻させる。

勢いに任せてバーを飛び出し、ラブホテル街に足を踏み入れ入店したこのホテルのエントランスでの田嶋の行動ときたら!

無人システムを採用しているホテルでは、室内の写真と料金を明示したパネルが設置されている。現在使われている部屋は消灯されていて、照明の点いてある部屋が選べますよ、という寸法だ。

しかし田嶋がそれらの情報なんかちっとも目に入ってなかったのは明白で、上げた手の一番近くにあった選択パネルのボタンをバン!とすごい勢いで押したのだった。その音の大きさに、さすがの桂木も思わず肩をすくめる。

あまりの勢いのすごさに桂木は、手を引っ張られたまま、すぐそばのエレベータのボタンを押した田嶋を呆然と眺めた。いや、眺めたというよりは顔色を窺ったというべきか……。とにかく、田嶋のその行動の一連は、仕事と同じで素晴らしくスピーディでソツがなかった。ただひどく乱暴だという一点意外は。

田嶋はあれから一言も口を利かない。それでも、しっかりと握ったまま離さない手をどうとっていいものか。

(分からん……)

どこかのカップルが部屋を出てから1階で待機中だったのだろう。ボタンを押して数秒もせぬ間にエレベーターの扉が開き、躊躇もせずに田嶋が乗り込む。そして引っ張られたまま、桂木も後に続 いた。

ところが、である。その扉が閉まると同時に、田嶋はピシャリと、まるで突っぱねるように手を離したのだった。その行動に桂木はひどく戸惑う。やっぱり相当怒っているのだ。

 

ガウン、と独特のモーター音を立てて、足元が宙に浮くようにふわっと揺れる。それでも田嶋は微動だにしない様子で、桂木に冷たく背中を向けたままだ。

「…………」

押し殺すような、重苦しい沈黙はある意味、質問責めに合わされることよりも性質が悪い。半ば生殺しにもあってるようで……。

桂木は小さなため息をついた。が、その声が聞こえた途端田嶋がパッとこっちを振り向いたのだ。

「!」

物言いたげに桂木を数秒見つめて目を細めると、田嶋は再び素っ気無く前を向いた。

「…………」

桂木は背後で田嶋の顔の輪郭を見つめながら、右手の中指を唇に当てた。これってこれってもしかして……。

(はぁん)

田嶋のその様に、桂木は思わずにんまりと微笑を浮かべる。怒っているのか呆れているのか知らないけれど、瞬間に、桂木の思考が一つの答えに辿り着く頃、チン、と小さく音がしてエレベーターの扉が開いた。田嶋は顔を上げると背後の桂木の様子にも気づかず、廊下に点滅する誘導灯に沿ってどんどん歩く。その後ろをゆっくりと、桂木はいつもの余裕のある顔立ちで付いていったのだった。

 

そう。桂木の辿り着いた答えは「嫉妬」、だったのだ。

 

*    *    *    *    *

 

最近建てられたラブホテルというやつは、デザイン的にも結構おしゃれなのが多い。

最近、と言ってもそれはここ数年の話で、桂木がまだ入社したばかりの頃は、中高年が好んで入りそうな、いかにもエセゴージャスっぽい造りのホテルも多く見かけたものなのだ。尤も、桂木がまだ社会人になった辺りは、若い男女が人目をはばかることなく堂々と入室するような光景など、今の半分もなかったのだが。

ここもとっさに入ったわりにはわりと若者に向けられたホテルのようで、木目でシンプルに統一されたこの部屋は、まるでどこかのちょっとしたワンルームのような印象を受ける。照明が少し薄暗いのがラブホテルの特徴ではあるが、うっかりしてるとくつろいで、時間を延長しちゃいそうな……。

(ああ、ラブホに営業っつうのも悪くないなあ)

部屋の割引券なんか貰っちゃったりなんかして、と田嶋の後を付いて入室した桂木の視線がベッドのスプリングと、横に置かれたソファと小さなテーブルに向けられた。

(ふうん、結構いいの置いてるじゃん)

家具を扱う営業で、第一線を走っているのだ。目の程度には自信がある。桂木は手馴れた動作でベッドに深く腰を掛けた。

だがやっぱりラブホテルはラブホテルだ。ベッドはどんな爽やかな色のシーツをあつらえてもダブルだし、不自然なぐらい沢山ある照明すべてが枕元のパネル一つで調整できるし、TVのチャンネルを見ればアダルト番組ばかりだし、お風呂なんかはめちゃくちゃでっかいガラス張りだ。しかもやたらと広くて、入ったからには一度ぐらいは使ってみたい。

「さて、と」

田嶋の放った声に桂木は あ、と、その辺を興味津々に室内を見回していた顔を、まるで注意を受けた子供のように視線を直す。

そんな桂木の様子など気にも止める様子も無く、田嶋は無言で上着を脱いで、後ろにあるソファの背もたれにそれを掛けた。シュル、と衣の擦れる音がたまらなく桂木の聴覚を刺激する。どういう経緯でこのホテルに連れ込まれたか、ということなどすっかり忘れて桂木は上唇をペロっと舐めた。

(そそられる……)

どこまで行っても不謹慎な男である。

ベッドから70センチほどの距離を取って立ったまま、すっと田嶋は腕を組んだ。尋問よろしく、ベッドに座る桂木を上から見下ろすその顔は明かに怒っていて、それでも今の桂木を震えさせるにはあまり 効果を得られない。

そんなことよりも!新しい発見だ。乏しい表情や呆れた顔は鬼のように沢山見てきたけれども、田嶋のこんな風に怒った顔は初めてなのだ。こういう顔もいいじゃないか。

桂木は目を細めて口角を上げた。そんな桂木の様子に田嶋も目を細める。しばらく数秒、そのまま黙って目を合わせていたが、やがて田嶋は口を開いた。

「行ったんですね、ハッテン場に」
「ああ、行った」

桂木は田嶋の目をまっすぐ見つめて言った。そして続けてこうも言う。

「でもなんにもしてねえよ。誓ってもいい」
「は?じゃあ何しに行ったんですか」
「一夜の相手を探しに」

と、いうか、気が付くと昔通い慣れた場所へ立ってただけなのが本当なのだが、桂木はわざと田嶋を怒らせるようなことを言いたかったのだ。あの田嶋が、自分に対してこんなにも関心を示している。もっともっと本音を聞きたい。

桂木は悪戯っぽい目を向けて田嶋を見上げた。

「やっぱり何かあったんじゃないですか。どうしてそんな嘘、つくんです」
「嘘なんかつくか。大体行ったことを肯定したのにそんな嘘ついてなんのメリットがあるよ」
「……そりゃそうですね。じゃあ質問を変えましょう」

もっと怒るかと思ってたけど……なんだ。桂木の思惑はあっさり外れて、ガッカリ感を隠せない。返って逆に、田嶋は冷静なものいいで静かにこう言ったのだった。

「どうしてハッテン場なんかに行ったんです?」
「どうしてって……」

どうして。

桂木はそこまで言って、言葉に詰まった。多少の浮気心があったのならいざ知らず、もともと田嶋を大事にしたい気持ちで無意識のうちにふらふらと行ってしまった場所なのだ。こんなのバレたら本音を聞きだすどころか、なんですかそりゃと一笑されてしまうかも知れない。こんな気持ちを一体何と言えばいいのか……桂木は内心焦った。

「そ、その……お前のことが大事なんだよ」

そうには違いないのだけど、それは桂木の中で結論が出た問題だ。 いきなり何の説明もなく『お前のことが大事だからハッテン場へ行った』では話のつじつまが合わない。 その言葉に田嶋はいきなりブチ切れた。

「そんなに俺が大事ならそんなとこへ行かないで、自慰でもなんでもすりゃいいじゃないですか!」
「は……。お前、結構殺生なこというなあ。俺、会社へ入ってからそんなことしたことねえよ」

思いっきりウソである。あの夜から桂木のティッシュの箱はいったいどれだけ空いた?いや、一箱で十分足りる期間ではあったのだけれど、風邪を引いたわけでもなし……。昼間家にいない男の排出量としては十分過ぎる減りようだった。

ところが、その言葉に田嶋の神経は一気に逆撫でされたのだ。

「そんなの、俺が知るわけないでしょう!!」

そういうと田嶋はすごい勢いで桂木をベッドに押し倒し、 そのまま桂木の唇に噛み付くようなキスを降らせた。あまりの唐突な出来事に桂木の方が対応できない。

「……んっ……」

久しぶりの感触に、桂木の口から吐息が漏れた。キスを誘う行為さえ、田嶋からだとひどく珍しいことなのに、その激し さときたらかなりのもので、桂木の背筋をゾクゾクさせる。でもそれだけでは済まさない。唇を離すと余韻もへったくれもなく間髪入れずに 、田嶋は桂木の首筋に流れるように唇を滑らせた。

「!……っ…」

田嶋とは、する方にしか回ったことはなかったが、男を知ってる桂木の身体はそれなりに反応 を示す。首筋と鎖骨を激しく吸われて、桂木は思わず息を呑んだ。特に鎖骨は感じる部分だ。

「あっ…、あぁ……」

桂木は眉をひそめた。ネクタイを緩め、シャツのボタンを手際よく外しながら、田嶋の唇は今度は桂木の耳を甘噛みする。桂木は小さな声を上げて、行為に溺れるようにゆっくりと目を閉じた。

(田嶋のヤツ……結構、うまいかも……)

こんな時だというのに、桂木は妙なところで関心していた。田嶋は外したボタンの隙間の肌へと唇を滑らせる。その手際はなかなかのもので、そこに桂木ときたら たまには逆でもいいなあ、なんて呑気なことを考えてなんかいた。ところが。

ボタンを外していた田嶋の手が急に止まって、そこでそのまま動かなくなってしまったのだ。 田嶋の頭は桂木の胸に押しあてられたままで、そのまま少しも動かない。不思議に思って桂木は思わず声をかけた。

「……田嶋?」
「………俺の身体、もう飽きました?」

桂木はそれを聞いて飛び上がるほど驚いた。一体どこをどう思ったらこういう結論がでるのだ! もしや田嶋は……桂木にとっての自分の価値が身体にしかないんじゃないかとでも思っているのか?

「ば、馬鹿っ、そんなわけ、あるか!」

思っているのはその逆で、骨抜きになった心は今も変わらず健在だ。

桂木は慌てて上半身をガバっと起こした。その衝動で、力の抜けた田嶋の膝がペタリと床に落ちる。田嶋の頭は桂木のちょうど腹の部分で俯いたままになり、それでも、しばらくの沈黙の後 、桂木の顔を覗き見るようにそろっと顔を上げたのだった。

「じゃあ、どうして俺を抱かないんですか……」

内容もさることながら、ともすれば泣き出しそうな田嶋の顔に桂木はいよいよもっと驚いた。 さっきの剣幕はどこへ行った?桂木はただ呆然と田嶋の顔を吸い込まれるように見つめた。

田嶋はハッテン場に行ったことを怒っているのではない、一夜の相手を探しに行ったことを責めている のではない。ましてや桂木の相手に嫉妬をしたわけでもなかったのだ。田嶋は ただ。

―――ただ、自分をどうして抱かないのか……それだけだった。

「お前、もしかして俺のこと身体だけとか思ってんの?」
「……そういう、わけでは……」

田嶋は目を逸らして俯いた。

「でも、あんたが俺を必要としてくれるって実感できるときは……身体を重ねてる時だけなんです」

これには流石の桂木も驚きを通り越して呆れた。こんなに桂木が田嶋のことを想っているのに、本人にはちっとも伝わっていないではないか!

桂木はゆっくりと目を細めた。こういう風にしか考えることのできない田嶋を、まるで同情でもするかのように。一体どうすれば田嶋に分からせることができるんだろう。

少しの間、そんな田嶋を見つめ続けて数秒後、桂木は俯いたままのその顔を両手で包むように優しくそっとこちらに向けさせた。 田嶋の目が桂木を見つめる。桂木も田嶋を真っ直ぐ見つめた。そして桂木はこう言ったのだ。

「俺はお前をもっと知りたいよ。もっと深く関わりたい。精神的に繋がりたい……お前はそうじゃねぇの?」
「………それは、理想ですけど……」
「お前のこと、すごく大事なんだよ」

桂木は田嶋の髪を滑らすように指で梳いて、田嶋の顔を覗くように首を傾けた。

「今まで、そんな風に思った相手っていなかったから、気が付かなくって……案外臆病なんだな、俺って。怖くて触れなかったんだ」

髪を梳いていた手を止め、桂木は田嶋の額にそっと唇を当てる。口以外のキスというのはされた方は結構気持ちいいもので、田嶋はゆっくりと目を閉じた。 唇が額から離れると、田嶋は閉じていた目蓋を開け、桂木を見つめる。泣き出しそうな顔が桂木の胸を締め付けた。

「……いいんですか?俺なんかが土足で立ち入って」

言ったばかりなのにすぐこれだ。 田嶋らしい、と言って桂木は苦笑した。そして田嶋の顔を覗き込むように首を傾ける。

「田嶋じゃないとダメなんだ」

そう言って、桂木は田嶋の身体を引き上げると、そのままベッドに押し倒して優しく口付けた。

 


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