スピリチュアル

「お前、そのために身辺整理したんじゃねぇの?」

冷たい風が吹く2月の寒い屋上で、ふかした煙草の煙を吐きながら上島は呆れた口調でそう言った。

 相談を持ちかけたわけでもなく、煙草を吸うため上がってきた花丸商事の屋上で偶然会っただけなのに、なんでか上島にはなんでも話してしまうのだ。田嶋とは違った意味で、全く不思議な男だと桂木は思う。

5階建ての花丸商事屋上の見晴らしは結構良い。駅の近いオフィス街に面しているけれども、近辺の通りに5階以上ある建物は半径50m内にはちょっとないのだ。

屋上からの景色を眺めながら煙草のフィルターを横に加え、お気に入りのスリムなフリントライターで火を点けた桂木が一言言った。

「そりゃそうなんだが……なーんかなあ」

言いながら歯切れの悪い返答を寄越して桂木も一息吸って煙を吐いた。口から拡散した白い輪郭がどんどんぼやけて、見えない空気と一体になっていく。

桂木はフェンス越しに遠くへ向けた視線を外すことなく、ふっと目を細めた。

ひどく田嶋を汚してしまったような気がして……と、さすがにそこまでは言わなかったけれども、終わり辺りの部分には確かにそういう言葉が隠されていた。それに気づいたかどうかは別にして、はあん、という顔をして上島は訝しい表情を浮かべる。顔はまっすぐ、屋上のフェンスの向こうへ向いてはいるが、目は桂木の方を興味深げに覗いたままだ。

「……」

沈黙を浮かべながら、ゆっくりと顔を桂木のいない左へと傾ける。探るように目を細めて、そして数秒の絶妙な間を取った後、上島は意外な一言を言ったのだった。

「お前それ順番逆だからなんじゃねえの?」
「は、順番?」
「そう、順番!」

上島はそう言うと、口元に当てていた煙草を離してオーバーに右手を顎まで上に挙げた。

「大事だから手が出せないんだろう?普通はそういう気持ちから発展していくんだよ。お前ら逆」

突き放すように上島はそう言うと、今度はやってらんねぇよ、という表情でそっぽを向いて煙草を吸った。唖然としたのは言われた桂木だ。

(大事……)

上島の言葉の中に思っても見なかったことがあった。『大事だから手が出せない』。

悪いことをしてる気分になったのも、急に自分とのセックスが好きかどうかが気になったのも、すべてが田嶋を大事に思ってることの証明の一つに過ぎない。いきなり核心を突かれたような気がして桂木は上島の顔にパッと視線を上げた。

「上島、お前って……」

スゴイ、と言おうとしたが桂木は瞬時に止めた。そういうことに全然全く気付かなかったものを、上島の一言で気がついただなんて、なんだか癪に触るじゃないか。

言いかけた言葉をそのまま切って、桂木は視線を逸らした。

「……なんだよ、言えよ」
「言いたくねえよ」

拗ねた子供のような口調で言う桂木に、「あ、そう」、と素っ気無い返事を返して今度は上島がそっぽを向いた。 どうやら桂木のこういう物言いの中身にはあんまり興味がないらしい。

「ま、逆でもいいんじゃないの。大体お前みたいなのが普通にやってたらこんなに続くわけねぇだろ」
「だよな。俺だったらまず私生活を知った時点で付き合いをやめるよな」

分かってるじゃないか!

真面目な表情を浮かべて言った、率直な桂木の回答に思わず上島は苦笑した。

それはそうだ。男漁りはする、節操はない、エイズ疑惑は持ち上がる、数え上げたらきりがない。そんな男に愛想もつかさず傍にいた田嶋の方がよっぽど気の毒で出来すぎだ。ある意味どこか悪いんじゃないかと 見ているこっちが心配にもなる。苦笑しすぎて涙が出てきた。

上島は煙草を持った人差し指で、右目を擦った。ピュウッと屋上に冷たい風が吹いてきて、それでも桂木は寒がる様子もなくポツリと一言こう言ったのだ。

「……俺さ、田嶋のことホントになんも知らねえの。おかしいよな、4年近くも付き合ってんのにな」

桂木はフェンス越しに遠くを見ながら苦笑混じりにそう言った。

同期入社で6年目。それなのに、 こんな切ない顔をした桂木を上島は初めて見た。驚きを通り越して、ちょっとした感動だ。今、まさに目の前で猿が人間に進化したのを目の当たりにしたような気にもなる。

上島は何か言葉をかけようと少し口を開いたが、結局何かを言うのを止めた。きっと 本人は今どんな顔をしていたかだななんて全く気付いてないに違いない。

一口煙草の煙を吸って、視線を合わせないまま上島は目を細めた。そしてポツリと一言こう言ったのだ。

「ま、これを機会にメンタルな部分を埋めて見たら。心、欲しいんだろう?」

桂木はゆっくりと上島の方へ視線を移した。上島はあえて目こそ合わさなかったが、その言葉は確実に桂木に響いていたのだ。

 

*    *    *    *    *

 

『心、欲しいんだろう?』

確かに欲しかったのは身体ばかりではない、と桂木は思った。そのためだけに今までの節操のない関係を全て清算してきたのだ。身体だけなら何も田嶋じゃなくてもいい。

この場合の『心』とは決して『好きという気持ち』とイコールではない。 田嶋が自分のことを如何に好きである かということは十分過ぎるほど桂木は知ってるつもりだ。もちろん身体の関係も大事だろうが、それが総べてではない。桂木は田嶋に精神的な繋がりを求め始めていた自分にようやく気が付いたのだ。 もっと深く繋がりたい。それほどまでに大切なのだ。

田嶋のことが、もっと知りたい――――。

 

屋上から降りてきた、営業部へと続く廊下で桂木は足を止めた。引き込まれるように視線を取られた先には田嶋がいたのだ。

存在に気づいたのか、廊下の端から田嶋がいつもの、無表情で真っ直ぐな眼差しで桂木を見つめる。とたんに心臓が高鳴り、すべての時間が止まったような錯覚にも捕らわれた。歩く姿をみつけたぐらいでいまどき小学生でもあるまいし、と、桂木は苦笑を浮かべたが、逸る気持ちを抑えられない。

一歩、二歩と近づいてくる時間がひどく遠くてもどかしくさえ感じる。目の前に田嶋が立つと、ひどく愛しい気持ちになった。

「休憩でしたか」
「あ、うん。会議が終わった後、煙草を吸いに屋上へ……」

聞きながら、ふっと目を伏せた田嶋の表情に目を奪われる。桂木の途切れた言葉に気をとられて不意に田嶋が顔を上げた。

「主任?」
「……なあ、田嶋。今夜飲みにいかないか?」

桂木の口からするりと、避けていたはずの誘いの言葉が自然に洩れた。 それを聞いた田嶋の表情が一瞬驚きの表情を浮かべて硬くなる。だがそれは、本当に微妙な表情で、桂木は田嶋の些細な変化を見落としたのだ。

「あの……」
「何、都合悪りぃ?」

いつもの、テンポの良いあっけらかんとした口調で桂木が言う。

さっきの今で現金だ、と思われるかも知れないが、2週間ぶりに桂木は、ひどくそういう気分になったのだ。『好き』だけではなく『大事』に思ってる相手と身体を重ねることは決して悪いことではない。 お互い別々の身体を持ちながら、その時ばかりは心でさえも、たった一つになるような、そんなセックスはある意味厳粛でとても綺麗だ。桂木はそう思う。

幸い今日は金曜で、今夜はいくら遅くなっても構わない。 とりあえず軽く一杯どっかで引っ掛けて、適度にアルコールの入った良い気分で田嶋と2週間ぶりにして、それから、夜が明けるまでゆっくり……話でもしよう。

桂木が首をかしげて顔を覗き込むと、田嶋はいつもの無表情な顔立ちにスッと戻った。

「いえ、夜でいいです」

素っ気無い口調でそう言うと、田嶋は踵を返して営業部のドアを開けた。後に続いて桂木も部屋に入る。

室内のデスクには会議で不在中の間に何件か電話があったと連絡通知が置いてあり、桂木は椅子に座りながら鼻歌交じりに取った受話器のダイヤルをプッシュした。

「ああ、お世話になっております。花丸商事の桂木ですが、2時過ぎにお電話を頂いたそうで……」

約束は取りつけた。

その時、桂木は本当に何にも気付いていなかったのである。 純粋に田嶋を想った気持ちの結果とはいえ、自分のとった行動が田嶋をこんなにも不安にさせていただなんてことは。

 

*    *    *    *    *

 

夕食をその辺のファミリーレストランで適当に取った後、二人は行き付けでもなんでもない小さな、それでもかなり良い雰囲気のバーに入った。

そこは桂木も初めて来る店であり、手の内をあっさりと明かしてしまえば、飲み友達に事前リサーチを掛けておいた店である。 田嶋はかなりの酒豪だが、行きつけを持つようなタイプではなかったし、桂木といえば 飲むというよりは、一夜限りの出会いを求める場所が多かったのだから仕方がない。そしてその店に一言付け加えるならば、そこは男二人連れでも気にならない、そういう類の店だということだった。

 

店内に入ると、愛想の良いバーテンがお二人ですか、と陽気に声をかけてきた。桂木は軽く二回頷き、奥の方へと視線を向ける。8時半と、酒を飲むにはまだまだ早 い時間だったので店の中にはパラパラと客が4、5人いた。

店内は木目を基調とした洋風の造りで、小さいながらも落ち着いた雰囲気が店長の趣味の良さを伺わせる。 カウンターには座席が5つ、窓際に沿って4人がけのテーブルが3つ、中央に大きなテーブルが1つ。 テーブルの内側には大きな樹木が植えられており、ライトアップされたその様は、なかなかにムーディだ。

そのうちの窓際のテーブルに二人は座った。メニュー表を開いて適当に注文をすませる 。尤も注文といっても食事は済ませた後だし、ほろ酔い気分になる程度でいいのだから本当に適当だ。

「じゃあマティーニを」
「ホワイトスパイダー」

言いながら桂木はメニューを閉じた。注文を聞いたウェイターが畏まりました、と言葉短くオーダーをかける。桂木は立ててあったメニューを元の場所に戻そうと視線をずらした。そこで初めて壁に飾られてある 控えめな車たちに気がついたのだ。木製で作られた3×4の小さい棚の一つ一つにクラシックでモダンなミニカーが収められてあった。

「懐っつかしいなあ。俺車好きでああいうのよく集めたよ。もっと、こう、その辺でよく走ってるやつだったけど」
「ああ、ミニカですか?」

小さい男の子は一度は嵌るみたいですよね、と言いながら田嶋は右手のひらで頬杖をついた。みたいですよね、ってお前……。自分のことはどうなんだ。

好きだったのか、それもとも別のコレクターだったのか…そういう部分を桂木は聞きたい。

「集めた?」
「良く覚えてないですよ」

田嶋は苦笑を浮かべた。

田嶋はプライベートなことはあまり喋らない。まあいろいろと複雑な事情が絡んでいるからかも知れないが、特に意見がなければいつも静かに相槌を打つぐらいで、 今までだって桂木のことばかり話していた気がするのだ。 聞けば話してくれたかも知れないが気付かなかったことが多すぎる。大体弾けた酒の席でも田嶋は大抵無口の極みだ。

と、そこへ先ほど注文をとりに来たウェイターがショートカクテルを二つ持って現れた。

「お待たせしました、ホワイトスパイダーです。こちらがマティーニ……」

きびきびとした動作と当たり障りない営業スマイルで仕事をこなす。カクテルを置くとウェイターはごゆっくり、と声を掛けてカウンターに戻っていった。

ホワイト、というには半透明の、少し灰色がかったホワイトスパイダーに桂木は一口口を付ける。ふと、こちらをじっと見ている田嶋の視線に気が付いた。

「何」
「いえ……」

田嶋はそう言ったが、そのまま2、3秒俯き、そして5秒もしない間に顔を上げた。その顔は少し思いつめたようにも見えて、桂木は一瞬ドキッとする。

「ねえ、主任。あんたどっか体の具合でも悪いんですか?」
「え、別にどこも……何。そう見えんの?」
「いえ、そういうわけじゃなくて……」

どういうことだか、田嶋にしては珍しく、歯切れの悪い返事を返す。桂木は顔を傾けて伏せ目がちになった田嶋の視線を追いかけた。

「じゃあ、どうして……」

小さな声で田嶋は何かを言いかけたのだが。そこでそのまま言うのをやめた。何故なら中央にあるテーブルの向こうから、ツレを連れた一人の男がこっちを見ていることに気づいたからだ。 正確には桂木を、かも知れない。含み笑いを浮かべたその視線は、何か親しげで意味ありげだ。しかもちょっと桂木好みで見た目が良い。

しかし田嶋の目が男と合うと男はスッと何事もなかったかのように、ツレの男と中断したらしき会話を再び始めたのだった。

「……知り合いですか?」
「いいや。でも、あれ?どっかで見たような……」

桂木は花丸商事のトップクラスの営業マンだ。人の顔を記憶するのには定評と実績があり、何を隠そう自負までしている。 が、どういうわけだか全く上手く思い出せない。しかしどこかで見た顔だ、しかもごく最近、どこでだったか……。こんなことは早く思い出せないと気持ちが悪い。桂木は 懸命この数日の記憶をたどったのだった。

考えること数十秒。短い沈黙を破って桂木は顔を上げた。

「あ、そうだ。そういやこないだハッテン場で………」

ポロリと喋って、桂木は あっ!という表情を思わず浮かべた。

しまった!そう思ったがすでに遅 い。田嶋の冷ややかな目がこっちを見ていて大変気まずい。桂木の喉がゴクリと鳴った。怒られる?ぶたれる?それともそのカクテルぶっ掛けられる?

しかし田嶋は桂木が予測したどの行動も取らなかった。けれども呆れたように冷ややかな目を細めた田嶋は次の瞬間、桂木が予想の片鱗だにしなかった行動に出たのである。

田嶋は34度もあるマティーニをグッと一気に煽ると、空になったカクテルグラスをテーブルに乱暴に置いた。 そして内ポケットから財布を取り出すと数枚の札をカウンターに叩きつけたのだ。

「行きますよ!」
「行くって、どこへ……ちょっ、田嶋!」

田嶋はいきなり掴んだ桂木の手を強引に引っ張ったまま、すごい勢いで店を出た。驚く桂木に有無を言わせず、どんどんどんどん歩い ていく。2月上旬の寒い夜に、店に入るまで着てきたコートも腕に掛けられたままで、一体何が起こっているのかも分かりやしない。引かれた手に力が入って歩幅を広げた。

田嶋は歩くのが非常に早く、 こうやって手を掴まれたまま一緒に歩くには無理がある。なので桂木は田嶋に強引に引っ張られる形になっていたのだ。

夜とはいえ時間帯はまだまだ早い。表通りには結構な人がいて、 そこへただでさえ人目ををひくような男二人が手を繋いで(というにはちょっと不自然だが)すごい勢いで歩いて行くのだ。 当然、かなりの注目浴びていたのは間違いない。

「おい、田嶋……」

問いかける桂木の言葉も軽く無視する。もしかすると聴こえてすらいないのかも知れない。

いつもの冷静な田嶋なら絶対に、こんなことはしないだろう行動に桂木は戸惑った。桂木の手を引いてどんどん歩いていく後ろからは、田嶋の顔は見 ることが出来ないがこの剣幕だ。かなり怒っているのではなかろうか。

(ハッテン場に行ったことは謝るけど……未遂だよ。しかもお前の顔が瞬時に浮かんで、勃たすどころかホテルの前で逃げちまったよ)

と、突然大通りの道を一本外れるととたんに人が減った。暗闇に夜のネオンが、キラキラと瞬いている。キラキラと、キラキラ……しかしそのネオンを見て桂木は驚いた。何がって 、そのネオンはホテル街のものなのだ。しかもその上にラブが付く。

強引に牽引されて気持ち分低くなった身長差から桂木は田嶋の顔を仰ぎ見たが、何を言っても聴こえないような剣幕でどんどん歩く。きっと桂木が止めても耳にも入らないだろう。掴んだ右手も緩まない。そして田嶋のその足は、何の躊躇もなくホテルへの入り口が沢山ある通りに向かって歩いて行くのだ。

「え、ちょ……、田嶋っ、まさか……!」

桂木が言うが早いか田嶋は一番手前にあったホテルの入り口へと足を踏み入れたのだった。

 


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