スピリチュアル

主に家具を取り扱う花丸商事・営業部の 週末の午後は忙しい……と、言っても普段と別段変わりない。なのに平日よりも忙しいのは、週末は明日の休みに繋がるため、皆仕事をキリのいいところで区切って気分良く休みを過ごしたい、という社員 たちの本音が、仕事自体を前倒しにという気分に掻き立てるからに他ならなかった。

30名強の社員を収める閑散とした営業部のフロアには、総数6名にしか満たない女子社員のうちの3名と、午前中に外回りを終えた営業マン達が、黙々とデスクワークをこなしている。全部で6連ある、5人ずつ配備された座席のシマで、今は田嶋一人しかいなかった。

西郷は朝から、三好と犬養は昼から受注の納品に出掛け、こと桂木に関しては午後から営業部の定例報告会で3時までフロアには戻ってこない。

卓上に設置された電話の受話器に耳を当て、田嶋はさっき製造先に問い合わせた在庫の状況を書いた紙面に視線を走らせながら、机上に広げられた書類に埋もれかけた卓上のカレンダーの日付を追った。

「ええ、はい。それでしたら10日には納品………」

と、そこまで言いかけて急に口を閉ざしてしまった田嶋に、電話の主である『オフィスデザイン』の安田が受話器の向こうで声をあげた。

『ちょっとぉ、田嶋くん!10日には納品できるの?』

安田の声に、田嶋はハッと我に返った。

「あ…ああ、はい。納品できます、ええ」

慌てて問い合わせの紙面に目を移し、田嶋にしては珍しく、少し冷静さを欠いた対応で、購入商品の確認を数えて電話を切った。首をかしげて卓上のカレンダーを手元に寄せる。その後田嶋はもう一度ゆっくりと、そして入念にカレンダーの日付を目で追った。ないのだ。

「……ない……」

2日、3日……1週間、10日、13日。そう、ないのである。生理が……そんなわけはない。田嶋は27才のれっきとした大人の男だ。

田嶋はカレンダーに視線を落としたまま、右手の指先を唇に当てた。ない……。

気のせいかな、と田嶋は何度もカレンダーの数字を数える。だけどもやっぱりないのだ、ない。そこまで思って田嶋は一人緊迫した表情を浮かべる。

……ないのは、桂木との情事だった。

先々週の休みにしたきりもう二週間近くにもなるのに、あれ以来一度もないのだ。普通であれば今週は疲れているのかな、ぐらいに思うだろうが、相手はあの桂木だ。 ない方が絶対におかしい。

(……まさか、飽きられた?)

緊迫した顔が一変して、今度は困惑気味な表情を田嶋は浮かべた。だって、それぐらいしか思い当たらない。

 正式にステディな関係になってからもう2ヶ月という月日が過ぎ去り、平均的な付き合いが3ヶ月も持てば上等ラインな桂木のことだ。いつそうなっても不思議ではなかったし、なにより4年前に桂木とそういう関係になってから、長期の出張でもない限りこんな長い間しなかったことなんて一度だってなかったのである。桂木がよっぽど熱を上げた相手でもいれば別だが、それ以外には週に一度は関係があったのだ。先々週前までだって2日に一度は誘いがかかった。

手に持った卓上カレンダーを見ながら田嶋は無表情気味に目を細める。それでも、桂木に誰か新しい愛人が出来たとは到底思えなかったのだ。

だって、セックスという行為がなかっただけで他には何にも変わらない。会社外での二人きりの逢瀬もあったし、一応先週の休みには桂木の同期の結婚式があって、避けるための用事としては舞台が揃いすぎていた。ウソならこんなありきたりなシチュエーションではなく、もっと別の尤もらしい用件を作るだろう。

先の週末の夜に、電車が滑り込んだ駅のホームで触れるだけのキスをした桂木がなんと言ったか。

「ああ、やっぱり結婚式なんかほっといて、田嶋と一緒にいようかな」

その時の 桂木の顔には、ウソも偽善も何一つ感じられなかった。ただ、桂木が自分の身体を求めてこない、それ以外は本当に何にも変わらなかったのだ。だから今の今まで気がつかなかった。

(……らしくもない)

そこまで思って田嶋は自嘲気味に笑いを浮かべた。

なんていうこともない。こんな擁護を並べ立てたって、田嶋の根底にあるその想いはこの2ヶ月では何一つ変わってはいないのだ。

桂木との関係は遅いか早いかの差で、必ずいつかは終わる―――。

赤いオレンジ色に染められた 、明日香を連れた河川敷の公園で、一瞬だけでも心が繋がったようなあの瞬間を桂木が、こんな、たった数日で心変わりしたとは思いたくなかっただけなのだと、田嶋は自嘲を浮かべた表情をいつもの無表情気味な顔に戻して目を細めた。

この件に関してはいくら一人で考えたって答えはでない。もしかして体の調子でも悪いのかもしれないし……。

カタッと卓上テーブルを無造作に机上に戻し、田嶋は椅子の背もたれに背中を預けた。背もたれのパイプの辺りがキシっと鳴き声を上げる。 しばらく経って、持たれかけてた背中を元に戻すと、田嶋は頬杖をついてぼんやりと窓の外を見つめた。いつからそんな臆病になったかな。

田嶋の耳に、フロアに響く電話の音が遠く聞こえた。

この恋愛の寿命に関して田嶋はイニシアチブを持たない。すべては桂木の手の中なのだ。切れるときは、切れる――――。

小さなため息をついて、四角に切り取られた空とビルの谷間に消えかけの飛行機雲らしき片鱗が見えた。

 

*    *    *    *    *

 

ところが、困っていたのは当の桂木だったのだ。

どうもこの間の田嶋の話を聞いて以来、田嶋に……いや、正確には田嶋の身体に触れなくなってしまったのである。 この由々しき事態に桂木は、今まででに一度だって経験したこともないような困惑を覚えた。勃たない、とまでいかなくても、あんな良い男を目の前にやる気が出ない というかなんというか……いや。やる気は満々なんだけれど、とも言うべきか。

6時間の我慢の限界を乗り越えて、その日の夜は昼間の分まで激しく求めてしまったが、時間を空けて冷静になってみると、段々悪いことをしている気分にもなってきた。 今まで散々してきといてよく言うよ、と思われるかもしれないが実際手が出せないんだからしょうがない。

気になっているのは田嶋の過去だ。夕日の沈むあの公園で、田嶋が言ったあの言葉。

『……ウチ、母子家庭だったんですよね。小さい子かかえて母は、苦労したんです』

今でこそシングルマザーはよく聞く話で珍らしくもなくなったが、自分達が子供だった世代といえば、今よりも世間の目はずっと冷たく、誰にも頼らず女手一つで子供を育てるのは相当難しかったはずなのだ。

田嶋だって相当な苦労をしてきただろう。それに比べて自分ときたら両親は未だ揃って健在であるし、一人っ子だし、それなりに勝手に育ってきたし……男癖だってお世辞にもいいとは言えない。

そんなどうしようもない自分が、そんな田嶋を当たり前のように抱くことががなんだか、急に申し訳ないことをしているように思えてきたのである。 軽い罪悪感とでもいおうか……もっと正直に言ってしまえば田嶋を汚してしまったような気にすらなった。それと理由がもう一つ。

今更だけど、田嶋は自分とするセックスが本当に好きなのか、ということだった。田嶋だって健康な27歳の男なのだ。嫌いなわけがないはずだけど、いつも誘うのは桂木 ばかりで、田嶋からしたいなどと言われたことは一度もにない。よっぽど自分が誘いすぎか、と思わないでもなかったけれどあからさまにうざったい顔をしても、結局田嶋は付き合ってくれるのだ。性欲旺盛な桂木に付き合って応えてくれるが、案外ホントは月に一度で事足りるような、そんな淡白な性質かもしれない。何度か押し倒されたような記憶がないでもないが、 それでもそれは、片手でお釣りが出るほどなのだ。

いろんなことが重なって先の休みは田嶋を避けた。 同期でもある同僚の結婚式への参加ではあったのだけれど、結婚式が深夜まであるわけでなし、披露宴が終わったところで二次会に参加したとしても適当なところで切り上げて、田嶋のもとへ行くことは十分可能な範疇だったのだ。

それを敢えてしなかったということは、密室で二人っきりになることを避けたかったからに他ならない。誰も見れない密室で二人になると、絶対に自制心が持たない自信が桂木にはあった。そしてそれが最後、その後には強い自責の念に駆られてぐるぐると、ぐるぐると……。

そんなjことで後ろめたい気分になるのはイヤだった。もっと田嶋を大事にしたい。

しないことが大事にするとイコールで繋がるのかは甚だ疑問ではあるけれど、それにしても2週間……自分でも我慢しすぎだ、と桂木は思う。個人差はあるが身体の方にだって都合がある のだ。最低三日に一度は抜かないとどうにもこうにも調子が悪い。

それじゃあビデオでも見て一人で抜けば?と、冷たい視線で突っ込まれそうだが、終わった後の虚しさは経験した男でないと分からない……と思う。

セックスはセックス、マスタベーションはまた別だ、と相手に困っていなくても一人でするのが好きな男もいるみたいだが、桂木はそんなタイプではない。相手のいない性行為はなんだか寂しくていやなのだ。 実際、家を出て大学に入ってからの桂木は一気にタガが外れたように遊びまわり、相手に困ったことがない。それこそ、親が知ったら卒倒するかも知れないような有様だ。

ちょうど1週間目のところで桂木の足は無意識のうちにフラフラと、一夜限りの出会いを求めてハッテン場をさまよった。どれぐらい無意識だったかというと……いきなり声を掛けられて初めて、かつてそこが通い慣れた場所であったことを認識した ほどだったのだ。で、結局声を掛け てきたその男とベッドインしたかどうかと言われると……田嶋の顔が浮かんできて結局コトには及べなかったのだった。

 

その日の晩から桂木の夜の友は妄想の田嶋(自主規制、大いにあり)と、ベッドサイドのテーブルに置かれたテッシュとなった。軽い自己嫌悪にも似た気分に苦笑いさえ浮かべたくなる。

まったくもってらしくない。こんなの俺じゃねえよ……。

 


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