スピリチュアル

田嶋のアパートから歩くこと10分間。なるほどなるほど、川沿いの河川敷に、これまた風当たりの強そうな公園が見えてきた。 ブランコ、ジャングルジム、鉄棒、シーソー……揃えてある遊具はどれもこれもオーソドックスな定番で、それでもひどく懐かしいイメージを連想させた。

馴れた動作で明日香を抱いた田嶋の後ろを桂木は神妙な顔をして着いていく。一体なんだってこんなことになったのか……。

ため息まじりに 川原へ出ると陽が射してはいたが空気が冷たく、それでも、まだ風がないだけマシではあった。1月を舐めてはいけない。しかも、である。

『川原の公園』にはこのクソ寒さであるというのに、まばらに親子連れがいて、せっかくの日曜なのに家族サービスに狩り出された男どもも沢山いたのだ。全くご苦労様なことである。が、そういう自分はどこがどう違うのだ、と尋ねられたら否定が出来ない事実に本人は ちっとも全く気づいていない。

男、女に関わらず、周りにいた親連中が気にしないふりをしながらも、それでも興味を隠せない目でジロジロと、この奇妙な3人組に視線を送った。身長180センチもあるドデカイ、しかも顔の良い男二人連れがわずか1歳にも満たない子供をつれているのだ。注目を集めないわけがない。

それでも、桂木はそんなの全く眼中にない素振りで両手をポケットに突っ込んだ。

「寒〜〜〜!」

川を渡って吹いてきた、あまりの風の冷たさに桂木は肩を竦めた。

「あれ、そんなに寒いですか?」
「お前、寒いの感じないのか!この低温動物めっ」

桂木は悪態をついたが田嶋はそんなの知らない顔でやり過ごす。ああ、本当にもう。

少し諦め気味な表情で、ふと桂木が視線を下に向けると、伝い歩きぐらいは出来るらしく、ベンチの椅子でよろよろと歩く明日香が視界に入った。

「うおっ、靴はいてる!ちっちぇ〜……」

桂木が驚嘆の声を上げる。ほんとにほんとに小さな靴で、こんなんで本当に歩けるのか、と思っていたらスッポリ脱げた。

「明日香、脱げたよ」

田嶋がそれをサッと拾って明日香に掃かせる。足首ないんだからしょうがないですよね、と田嶋が笑った。言われてみれば、確かに赤ん坊は大人や子供のように足の裏を地面に付けて歩けないので足首がないのだ。だから靴下も脱げ易い。

再び靴を履かせると、明日香はそこに座り込んで今度は靴をいじり始めた。脱げた拍子に思い出した、履き慣れないコレがひどく気になるらしく、どうやらご大層にこんなものを履かせても10ヶ月というこの赤ん坊にはまだまだ不要の代物らしい。

それでも田嶋が抱き上げて、ベンチの椅子に寄せてやると明日香はそっちに気をとられでもしたかのように、よろよろと歩き始めた。「よちよち歩き」にもまだまだ遠いが、外へ出たのがよほど嬉しいのか、明日香が二コーっと笑って涎を垂らした。

「おい、人の足で拭くなよ……」

戸外の開放感は絶大だ。さっきまで敵対心バリバリだった桂木にも寄ってきては笑顔を見せる。そんな顔されちゃあ怒れないじゃないか、と桂木は苦笑を浮かべた。

外の開放感が気持ちを大きくさせるのはなにも子供に限ったことではないらしい。コートのポケットに両手を突っ込みながらも、なんとなくこういうのも悪くないな、と桂木は思った。

ベンチの終わりまでくると、そこに座り込んで今度は足元に合った石を拾う。田嶋がベンチに腰を掛けると、つられたように桂木も隣に腰を下ろして足を組んだ。しばらく二人で何を話すでもなく 、 視線も合わさず黙っていたが、やがて田嶋が口を開いた。何を言うかと思ったら。

「今日は、すみませんでした」

謝罪の、言葉だ。

田嶋は視線を合わさない。桂木は田嶋を目だけでチラリと見ると、なんでもないような口調でサラリと返した。

「なにが」
「1週間前から楽しみにしてたんでしょう。まさかあんたがそんなに楽しみにしてるなんて思ってなくて」

視線を落として田嶋は言った。

「構わんさ。別に休日は今日だけじゃねえし、一応『お日様の下で田嶋を観賞』できたことだし?」

懐を探るような視線で桂木が笑って言うと、、なんでか会話が途切れてしまった。というか田嶋がそこで黙ってしまったのだ。何と言ったら良いのか分からないみた いで、それでも敢えて桂木は何も聞かなかった。

沈黙が流れてどれぐらい時間が流れたのだろう。1分かそれとも30分ほど経ったのか。まばらにいた親子連れが一組残らず消えた頃、田嶋が再び口を開いた。

「……ウチ、母子家庭だったんですよね」
「…………」
「妹が生まれてすぐに父が他界して……母は、小さい子かかえて苦労したんです。風俗、とまでいかなくても夜の仕事で働いて……そんな母を見てるのが辛かったんです」
「……だからほっとけなかったんだろ?」

田嶋は俯けた顔のまま無言で頷いた。初めて聞いたことではあったけれども桂木は、分かっているさ、というような素振りでそう返した。

そうか、田嶋の『一見いき過ぎたように見える親切』にはこういう背景があったからなのか。桂木はひどく納得した表情で、仕方がないな、という風に微笑を浮かべた。

「……ほんとは、自分でお金出してでもあの奥さんに今の生活から足を洗って欲しいんです」
「うん」
「でも俺は最後まで責任をとれません。俺が好きなのはあの人じゃないから……」
「うん……」

ポツリポツリと、まるで独白でもするかのように田嶋は呟く。その独白を聞きながら桂木は、微笑を浮かべたまま目を閉じた。

『最後の責任』というのは、もしかして結婚のことなのか。まあそんな責任、取られでもしたら桂木だって困ってしまうが。

少しの沈黙の後で、桂木はゆっくりと目を開けた。

「いいんじゃねえの、それで」
「……そうでしょうか」

是正を問うように田嶋が呟く。

「同情か同調かは知らんけどさ、お前のおふくろさんも今のお前みたいな人達に支えらてきたんだと思うぜ?」

田嶋はゆっくりと顔を上げて桂木を見つめた。桂木が遠くを見ながら続ける。

「みんな、出来る範囲で少しづつ誰かを助けてやればいいのさ。悪いようにはならんだろうよ……あ!」
「……?」

言いかけたにも関わらず、視線が明後日を向いたままになったので、田嶋は桂木の見つめるその一点の方向にゆっくりと視線を傾けた。

「あ……」

―――――夕焼けだった。

冬至がすぎたとはいえ日没はまだ早い。

夕焼けなんて見たのは何年か振りで、もしかすると小学生のとき以来かもしれなかった。川の下流に沈んでいく夕日が日没の、強い光を放って周りを全部オレンジ色に染め上げる。

ゆっくりとした動作で、田嶋は思わず立ち上がった。

「……キレイですね」

ポツリと言った田嶋の顔がそれこそ鮮やかな色に染められて、なんと言ったらいいのだろう。とても、とても――― …………。

桂木の心臓がバクンと鳴った。

それは多分夕焼けだけのせいではなくて、桂木の言った言葉で田嶋の中の何かが吹っ切れたからなのかもしれない。強い意志を持ったその眼差しに桂木は、ひどく心を奪われた。

(ああ……。田嶋のこういう真っ直ぐなところが、たまらなく好きなんだ)

桂木は胸の奥で何かがぎゅっと掴まれるのを感じた。関係を持ったのは4年近くも前なのに、今まで気付かなかっただなんて信じられない。

桂木が立ち上がると、それに気付いたように田嶋がゆっくりとこちらを振り向く。まるで通じ合うように視線が合って、『落日』という効果が、二人の時間を止めたような錯覚を起こさせた。

吸い寄せられるように桂木の指先が田嶋の頬に触れる。触れた田嶋の頬はひどく冷たく、それが余計に桂木の心の奥を締め付けた。

―――触れたい。

身体だけでなく、その奥にある、もっと柔らかな何かに。

桂木の手が田嶋の腕を強引に引っぱると、地面にくっきりと映った二人の影がピタリと一つに重なった。……が、小さな子連れのカップルが、そうロマンチックには行かないものであると言うことを3秒も経たない間に桂木は思い知ることになる。

唇が触れ合うまでほんの数ミリ、 ベンチで伝い歩きをしていた明日香がうっかりとその手を離し、地面に突っ伏して泣き出したのだ。 慌てて田嶋が抱き起こすべく、しゃがみ寄る。その様を眼下に見ていた桂木は、やっぱり不機嫌そうに苦い笑いを浮かべてこう言った。

「いいとこで邪魔しやがって………このクソガキ」

 

*    *    *    *    *

 

迎えが来たのは6時きっかりで、明日香を迎えに来たその女性を見て桂木は正直内心驚いた。部屋からは出なかったので遠くからしか見えなかったが、なかなかどうして、風俗なんかをしているようには 到底見えない、清楚な女性だったのだ。

田嶋がなんとか助けてやりたい、と思うのも十分分かるような気がした。桂木だってそういう風に思うのだ。きっと田嶋じゃなくとも見えない、沢山の他の手がこれからだって彼女と明日香を助けてくれるだろう。 『明日の香り』という娘の名前は、明日に希望を繋げる子供になりますように、という母の願いが切にこもった名前だからだ。どんなときにも、救いはある。

風邪もだいぶましになったみたいで、本当にすまなさそうに何度も 頭を下げる姿が返ってこちらを申し訳ない気持ちにさせた。そのやり取りの様を遠くの部屋から一部始終桂木は見ていたわけだが、明日香の母が礼を言って去ろうとした時、思いがけないことが起こった のだ。

「バッバー」
「!」

明日香が桂木の方を見て 手を振ったのである。バイバイというよりは手を上げただけとういうか何というか……「バッバー」言葉がなければ分からなかった程度であるが、その実、内心、桂木の胸をドキリとさせた。子供の、こんな何気ない動作が周りに与える影響は案外大きい。

驚いた桂木に気付いたのか、存在に気づいた女性は桂木にも丁寧に頭を下げていってくれた。女性の姿を見送る田嶋の顔が切なそうに見えたのは、きっと彼女の内に自分の母親を見ているからなのだろう。そういう田嶋を見 ていると桂木も少し……、いや、かなり切ない気分になった。

バタンとドアを閉めて部屋に帰ってきた田嶋に桂木は、まるで独り言でも言うようにポツリと言った。

「なんか、淋しくなったな」
「え!どうしたんですか、そんなこと言ったりして」

驚いたのは田嶋の方だ。どういう心境の変化なのか、預かってる間はあんなに煙たがっていたのに……。明日香の最後の『バイバイ』はよほど効いたのか、桂木は田嶋にこんなことを言った のだ。

「……男同士で、子供、作れないかな」
「はあ?何言ってんです、そんもん出来るわけが……」
「実験しよう」
「そんなの実験するまでもって、ちょっと……!」

最期まで言わせないまま、強引腕をに引いて桂木は田嶋の口を塞いだ。

もちろんそんなこと桂木にとっては百も承知で、田嶋を押し倒すための口実として言ってみただけである。 男同士に子供は出来ない。何よりも、6時間もお預けを食らった桂木の、我慢の限界だったのだ。

桂木は手馴れた動作で押し倒すとゆっくりと唇を離して、田嶋の顔から数センチのところで距離を置いた。耳のそばで聞こえる小さな呼吸がひどく密接した感触を実感させる。下から無表情気味に桂木を見つめるその瞳が、桂木をひどく愛しいという気持ちにさせた。

それでも、もしそれが可能だとしたらと仮定の話でもいい。もしも子供を望むなら、絶対に今、すぐ目の前にいる誰よりも愛しいこの男でなければ。

二度目の口付けを迫る桂木の口を、右手で塞いで田嶋は言った。

「冗談でもね、男には耐えられない痛さだっていいますよ。俺、いやですよ」
「じゃあ俺だ。田嶋の子なら産んでもいい」
「!あんたがですか?それなら、入れさせてくれないと……」

どこまで行くのか。桂木は苦笑を浮かべた。

「やるなら体外受精だろ」

所詮は男、条件はみな一緒なのだ。別に今更処女でもないが、こと田嶋に限っては乱されるより乱したい。自分にしか見せない快楽に溺れるその顔を、もっともっと見せて欲しい。

口を塞いだ田嶋の右手を外し、その手を掴んだまま桂木は角度を変えて口付けた。田嶋が目を伏せて、何度も何度も互いの口内を貪る。ガチガチと時々ぶつかる歯の音が、余計に二人の意識を昂揚させた。肩に回された田嶋の手が、桂木のシャツに幾つものしわの波を寄せる。

「一臣……」

桂木が耳元で囁くと、田嶋の身体はビクリと揺れた。下の名前で囁くと、田嶋はひどく良い反応を示すのだ。

「一臣…」

更に耳たぶを優しく噛まれると、田嶋はもう何も考えられなくなった。シャツに立てられた田嶋の指に力が入る。めくられたシャツの下で愛撫を続ける指の他に、田嶋は子供のように口付けを求めた。

「主任……」

止めどなく溢れる先走りが、田嶋自身を熱く濡らした。声だけでもう達してしまいそうになるぐらい……こんなに夢中なのだ、桂木に。昼間のデートなんていらない、1日中だって桂木を感じていたい。

田嶋は意識を手放さないように必死に桂木のシャツを掴んで、その身体を桂木に委ねた。

「あぁ……、っ……主任…、しゅにん……」

まるでうわ言のように何度も名前を繰り返す田嶋の言葉が桂木の胸を熱くした。

もう生涯、この男しか要らない――――――。

 

結局その日は、深夜まで互いの身体を抱きしめあった。回数自体は大したことはなかったけれど、心が触れ合うセックスとはこういうのを言うのだろう。ひどく心が満たされた。

 

*    *    *    *    *

 

情事が終わったその後で、桂木は懲りずに言った。

「来週こそ、デートをしよう!」

 


top




SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO