スピリチュアル

「事情は、大体分かった」

テーブルを挟んで向かい合った桂木は開口一番こう言った。 そうは言っても桂木の顔は話を聞いてる最中からずっと眉間にしわを寄せたままで、あからさまな不機嫌さを隠さない。 二人の間に神妙な空気が流れた。

二人の座るテーブルの下では生後10ヶ月の赤ちゃん、明日香がその気まずい雰囲気をものともせず、床に散らばったおもちゃを手当たり次第に掴んでは放り、掴んでは放り、という単調な動作を繰り返している。このたどたどしい動き、これはこれで面白い。あくまで、自分に害のない範囲であるならば。

そこで ふと、明日香が床に置いてあったテッシュを抜き始めた。

「あ、こらっ!」

田嶋は慌てて椅子から席を外すと、すかさずその行動を抱き上げるという形で静止した。なるほど、電話での『あっ!』とか最後の『こらっ!』って言うのはこういうことだったのだ。

「ダ・メ!これは抜いちゃダメ!」

田嶋の注意も馬の耳に念仏だ。明日香はいつもより高い視点で抱っこされ、遊んで貰ってるとでも思っているのか、キャキャ!と甲高い、赤ちゃん独特な笑い声を上げた。相対している田嶋の口元も思わず緩む。明日香が小さな手のひらをその口に塞ぐように押し付けると、田嶋は首を傾けてひどく柔らかな笑顔を浮かべたのだった。

その様子を横目で唖然と見つめていたのが桂木だ。

何なのだ、にこやかなその顔は!これは本当にいつもクールでドライで、ついでに冷たいあの田嶋の姿なのか。こんな柔らかな笑い顔、桂木だって滅多にどころか見たことなんてありはしない。

(……そうするとちょっと得したわけなのか?)

そんなわけあるか。その貴重な笑顔は自分に向けられてこそ初めて価値があるというものだ。

二人だけの世界を作ってしまわれ、桂木はそのすぐ隣で眉間に寄せたしわをますます深くして呟いた。

呟き自体は軽くやりすごされたようだったが、桂木の非難めいた視線は無視することが出来なかったと見える。視線に気づいた田嶋は あ、という顔をしてすばやく明日香を床に置くと、嫌味にならない程度の軽い咳払いをして 、拾いあげたテッシュの箱と共にテーブルについた。

「中座してすいません」

思ってもないくせに、とまっすぐな視線を向けた田嶋を見て思う。 桂木はツ、と目を細めると椅子の背もたれにもたれかかるように姿勢を崩した。微妙に低くなった目線が更に田嶋を射抜くように見据えたが、田嶋の顔はそんなの全然お構いなしで 、さっきと寸分変わらず涼しいままだ。

「なあ。お前、それ実話?」

桂木は少し小さな間を置いて口を開いた。

実話とはさっき田嶋が話した大体の事情であり、今回こういうことに至った内容を指し示す。さっき桂木は分かったとは言ったが、それを素直に納得するかしないかは全く別の問題だ。それはそうかもしれない。 だって田嶋の言った話があまりにも突拍子も無さ過ぎたのだ。

朝ちょっと出かけようとしたところ隣の奥さんに会ったのだという。隣の奥さんは妊娠中に旦那さんを交通事故に亡くして子供を一人で育てるために一生懸命働い ているのだそうだ。その奥さんが風邪をこじらせてしまったらしく、見た目にもかなり苦しそうだったので、見かねた田嶋が夕方まで子供を預かることにしたという話。

「疑ってるんですか」

疑うもなにも……近所に住んでる人に引越しの挨拶どころか、一言だって口をきいたこともないような輩ばかりが蔓延するこのご時世で、隣とはいえ一人暮しの男なんかに大事な赤ちゃん を預ける親がどこにいるのか。いるかバカ。桂木はそう思ったがそれを見透かしたように田嶋が言った。

「亡くなった旦那さんが知り合いだったんです」
「は……」

桂木は呆気に取られたような間抜けな声を思わず出した。何、知人?

「それを早く言えよ。で、どんな関係だ」

もたれかけていた背を椅子から離し、桂木は身を乗り出すようにして右ひじをテーブルについた。

「営業先の担当さん。俺が初めて取った仕事で懇意にしてもらってたんです。隣近所で個人的にも付き合いが」
「……あ、そう」

そういえば当時、家が隣とかなんとかで契約をまとめてきた話があったっけか。でもそんな4年近くも前のこと……。

「隣の奥さんね、フーゾクに勤めてるらしいんですよね」
「……おい。お助けですと称して客として行ってんじゃないだろうな」
「あのね、10代の小僧じゃあるまいし、身体もたんでしょう。あんたの相手だけでヘトヘトです」

桂木は頬に手を当てたまま、バツの悪い顔を浮かべた。ちょっとばかり耳が痛い。なにせ金曜の晩から日曜の夜まで田嶋と1日中をベッドの中で過ごし、更に3日と開けずにまた部屋に誘う・・…尤も桂木にしてみれば毎日でも一向に構わないほど溺れているのだが、一人の人間対してここまで執着した記憶は今の今まで一度もない。こんな過ごし方が毎週とは言わないが、この2ヶ月ほとんどがそういう過ごし方だったのだ。確かに他所には手をまわすゆとりは無い。

「……そうかも」
「ちょっとは自粛しないさいよ」
「いいじゃーん、田嶋のことが好きなんだも〜ん」

桂木がそこまで言うと、今の今まで顔色一つも変えなかった田嶋の頬がみるみる赤く染まっていった。きわどい言葉の駆け引きは淡々とやり過ごすのに、どうしてこっちにこんな反応示すかな。なんだか見ている こっちの方がだんだん恥ずかしくなってきた。

「セ、セックスは、お前だって好きだろ!『もっとして…』とか『気持ちいい』とか言うじゃんよ。あと最近ヒットが『やめないで』……」
「うっそ!俺、そんなこと言ってます?」
「……言ってる」
「………………」

呆然としたまま田嶋は黙ってしまった。もしかして情事の最中発する言葉はかなりの率で無意識なのかな。

どういう意味の沈黙かは知らないが、田嶋の顔は明らかに紅潮したままで、それだけで動揺した様が伺えた。田嶋だって26歳の健康な男子なのだ。『好きなくせに』と言われればその答えは否めない。身体の相性だってよほどいいのか、桂木とのセックスは田嶋にとってかなり……気持ちのいいもの だったのだ。

 

田嶋の話には続きがあった。よくよく話を聞いてみたらば預かったのはこれが初めてではなかったらしい。 まあ田嶋の手つきと赤ちゃんのなつき具合。初めてと思う方がどうかしてる。桂木とそういう関係になって週末を空けるようになる前にはよく面倒を見ていて、桂木の誘いを断る大抵の用事がこれだったのだ。

椅子に腰かけたまま、田嶋は一人で遊ぶ明日香を見つめてまた柔らかな表情を浮かべた。

「なあ」
「はい?」
「子供、好き?」
「まあ……好きですよねえ」
「あっそ」

素っ気無い返事を返した桂木はというと、実は子供はそんなに好きな方ではない。というかこれは未知の生物だ。大体何が言いたいのかよく分からないし不満があるとすぐに泣いたり怒ったり……それをポツリと洩らすと、田嶋はニヤっと笑って言った。

「なんだ。あんたと変わらないじゃないですか」
「どこが」
「何が言いたいのかよく分からないし、不満があるとすぐ怒ったり泣いたり……」
「泣かねえよ」
「そうですか?」

そう言って田嶋は淡く笑った。ああ、くそ。こういうところもまたツボなんだ。

桂木は一つため息をつくと田嶋に言った。

「なあ、そこまでするってどういうことよ。フツーそこまでしねえだろう」
「まあねえ」
「奥さん美人で気でもあるとか」
「美人ですけどないですよ。でもねえ事情を知ってしまうと手を貸さずにいられないってことあるじゃないですか」

母子家庭で育ち、そのたった一人の頼れる母親も4年前に他界した。 相手の両親は結構年を取っていて、頼りにするには申し訳がなさすぎる。降りてきた旦那の保険も、これから先の長い人生を考えた上では所詮は備蓄の域でしかなく、頼れる近しい親戚もなく、大した学歴もなく、大した資格もない。そんな女性が小さな子供を抱え て働きだすには、そんなに沢山の選択肢はないのだ。でもなんで田嶋なのか。

「ちょっと干渉しすぎじゃねえの?」
「かもしれませんね」

田嶋はそう言ってクスリと笑ったが桂木にとっては気が気ではない。

「同情の横すべり……な〜んてことになったりして」
「なりませんよ。なんとかしてあげたいのはやまやまですけどね」

まさか、とそう言いながら田嶋は思わず苦笑した。

お前がそう思っていなくても、相手が勘違いすることもあるだろうよ、と桂木は思ったけれど黙っておいた。わざわざ寝た子を起こすような発言は止めておいた方がいい。田嶋が気付かなければいいだけの話なのだから。

田嶋はスッと席を立って明日香の方へと近づくと、彼女を軽やかに抱き上げた。おお、その明日香の顔の嬉しそうなことよ!

桂木はその様を仏頂面で見つめたのだった。

こないだの田嶋のショタイケンの話以来、桂木の中では結構大変なのだ。田嶋といえば自分がどんなにか魅力的で人を惹きつけるかだなんて、ちっともわかってなんかいやしない。しかも田嶋自身は男も女もオッケーときていて、男にしかときめかない桂木とは事情が違う。つまり、田嶋にちょっかいをかける人間が倍になるということだ。最近は昔と違って女も子供もあなどれない。

「ま、折角来たんですから一緒に子守りでもして行きませんか?」

田嶋がニヤニヤしながらそう言った。こういう顔にも桂木は結構弱く、結局迎えに来るまでそのままいつくことになる。夕方から仕事に入るので6時には迎えに来るらしい。

(その時間からだと結局またベッドでデートになるのか……)

ないよりマシで、それはそれで嬉しかったが、桂木は少しだけ落胆した気分を隠せなかった。そしてその間の数時間。男二人に赤ちゃんが一人……すごく変な光景だ 、と桂木は思う。

 


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