スピリチュアル

「デートをしよう!」

と、月曜日。会社帰りの駅前に続く歩道でいきなりそう言い出したのは桂木だった。

「はあ?なんですか、突然……」

隣を同じ速度で歩いていた田嶋がその台詞を聞いたとたんピタリと足を止め、怪訝そうな顔立ちで桂木を見つめた。見つめられた桂木といえば、いつもの人懐っこい、それでいて無邪気な表情を浮かべてニコニコ笑ってなんかいる。

田嶋は眉をひそめて桂木の顔をじっと見た。それでもそんなのちっとも気づいていないという風にまだ笑顔を浮かべたままの表情で、間髪入れず桂木のよこした返事がこれだ。

「たまにはお日様の下で田嶋を観賞するのもいいかなーっとか思って」
「観賞……」

桂木の語尾にはハートマークが5つほどついてきそうな、そんな 勢いで、いきなりそれを向けられた田嶋にしてみれば苦い声で呟くほかない。だってそうだろう。確かにほんの二ヶ月ほど前、4年近くも続いた愛人歴に終止符を打ち、晴れて恋人同士となったこの男だが、やってることといえば前とさほど変わりない。否!それにも増してプライベートで会う回数が増えた分だけ性交頻度は前より高い。ぶっちゃけた話、会う度毎回やっている。もっと言うならベッド以外で会ったのは会社と通勤経路ぐらいで、それがいきなり何なのだ。

観賞だって?お日様の下で?

田嶋は少し呆れた表情で目を細めると、小し軽蔑を含んだような口調でこう言ったのだった。

「『アオカンしよう!』の間違いじゃないんですか?」
「バッカヤロ!お日様の下で観賞っていうほどだから健全デートに決まってんだろ!」

桂木の怒声が飛んだ。 時刻は夜の9時前だったが、それでも駅へ向かう歩道にはまだまだまばらに人が多く、傍を通り過ぎた数人が注意をとられたようにこちらを見たが、桂木の関心は田嶋のその反応一点に注がれていて、周りの視線なぞただの微塵も届かな い。一番気になる田嶋の顔は寸分変わらず涼しいままだ。

別に田嶋は戸外でやりたい、とかそんな特殊な願望も、趣味も興味も持ち合わせてはいない。単に桂木の誘いを深読みしただけで、それよりも、一体どこの口からこんな言葉がついて出るのか。桂木の口から健全だなんてそんな言葉、不相応というかなんというか……。

田嶋は親切にも説明を付け加えようとして言った。

「ですからお日様の下、戸外でやるのがアオカン……」

と、そこまで言って田嶋の口は動きを止めた。桂木がかなりムッとした表情で田嶋の顔をもの言いたげに睨んだからだ。どうやらだいぶ本気だったらしい。

桂木のその有様に、田嶋はふっと、ひと息吐くと少し口角を上げて余裕の目線でこう言った。

「まあいいですよ。来週末?あんたの言う健全デートがどの程度のもんかは知りませんけど、一応付き合ってあげますよ」

 

……と、そこでちゃんと田嶋はOKを出したのだ。それなのに、今のこの状況は一体全体なんなのだ。

 

「いったい、なんでこんなことになってるんだ?」

あまりに意外な展開で、その衝撃に口からは平仮名しか出てこない。

桂木はさも納得のいかないという顔をしたまま、キッチンのテーブルを挟んで向かいの田嶋と対峙していた。眼前には申し訳ないどころか 、会社でよく見るいつもと同じ無表情な顔立ちをした田嶋が悠然と座っていて、言い訳をする素振りもみせない。

「だから朝、電話したじゃないですか。ダメになったって」
「ダメ?簡単に言うな!俺はな、1週間!この日だけを楽しみに仕事してきたんだぞっ!」

我ながら大人気ないと桂木は思う。好きな男の関心を必死に引こうとするその様は、まるで自制心の効かない子供のようだ。自分にもそんな一面があったのか。

ところが肝心の田嶋ときたら、この桂木の胸の内を聞いているのかいないのか、足元にまとわり付いてきた 『ソレ』を優しく、それは優しく抱き上げたのだった。

「…………」

ジッ、と桂木はそれをかなりの恨みがましい目で睨んだ。

そう、こいつ。こいつなのだ。桂木が指折り数えて楽しみにしていた折角の田嶋とのデートがおじゃんになったいきさつの原因は!

まるで壊れ物でも扱うように、優しく抱き上げた田嶋の腕の中にすっぽりと収まったのは、生後10ヶ月ほどの女の赤ちゃんだったのだ。 まあ赤ちゃんと一口に言ってもいろいろとある。犬の赤ちゃん、猫の赤ちゃん、ゴマアザラシの赤ちゃん……この場合、もちろん人間であることがお約束なのは違いない。

なんで女の赤ちゃんであるのかが分かったのかというと、いかにも!なピンクのベビー服をを着ていたからなのである。大体生後2歳未満の赤ちゃんなんて、男か女か区別がつかない。(髪の毛 が短いからな!)

桂木はさも面白くないとう風に目を細めると、椅子の下から田嶋の顔を睨んで言った。一体どこから湧いてきたのか。

「……お前の子じゃないだろうな」
「あのね」

田嶋は呆れたようにあからさまなため息をついたが、ため息をつきたいのは桂木の方である。

田嶋とステディな関係になってからというもの、都合のついたほとんどの週末は二人で桂木のマンションで過ごすようになっていた。しかし家から一歩たりとも出るわけでもなく、1日中ベッドの中……という具合で、これじゃ、頻繁に会うようになったセックスフレンドと 大してさほど変わりない。

桂木はすぐ目の前の椅子に腰掛けて、小さな赤子をあやす田嶋をじっと見つめた。

どうも田嶋の様子を見ていても、『恋人』というには一歩引いた感じがあるし、昨年の暮れに贈った指輪も常時つけてくれるわけでもない。いきなり失くしたのではないかと疑ったぐらい である。もしかして田嶋は自分のことを未だにステディだとは思っていないのではないか。

(……笑えない……)

そこまで考えて桂木は思考を止めた。右手で付いた頬杖で、そのまま額を撫でる。

『田嶋は特別』なんだということをこの際はっきりさせておこうと思って、一般的な世間の恋人達みたく昼間のデートに誘ってみたのだが……。

電話が鳴ったのは朝の10時で、待ち合わせは13時、駅前だ。後に入った約束のくせに、この自分より優先度が高いのを不満に思って尋ねてみれば、今日は急な用事が入ってダメになったという。仕事なら当然直属の上司である桂木に連絡が来るはずだ し、しかも電話の向こうには人の気配すらするではないか!

『おい、部屋に誰かいるのか?』
『いますよ。あっ!(しばらく沈黙)すいません、そういうことなんで切ります。じゃまた明日……こらっ!』

(そういうことって、どういうことだ……?)

「あっ!」とか、「こらっ!」とか……まあ、背後から男に悪戯でもされてるような感じでは当然なかったけれど(声のトーンから憶測)、不思議な気配に満ち満ちた、 こんな電話をもらっては、納得するどころか部屋に押しかけたくなるのも人間として当然の心理ではないだろうか。桂木だって例外ではない。電話を切るとすぐさま田嶋の家に向かったのである。

そこで結局、突然マンションに押しかけた桂木が見たものはさっき説明した通りの有様だ。そのときの田嶋 の驚いた顔はちょっとした見ものだったが、多分その時の桂木の顔もかなりな見物だったと推測される。

……田嶋。なんだ、その生き物は。

 


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