「真島君、いる?」
そう言って笑顔見せた桂木が一番最初に田嶋を連れてきたところは 「ブランニュー」 。桂木が愛用しているスーツの販売店だ。就職活動するときに最初にこの店で購入してからずっとこの店を愛用しているという話で、桂木らしい徹底したこだわりが伺える。
「あ、桂木さん。いらっしゃい。真島くーん!」
ドアを入ってすぐの立っていた女性店員が、桂木を見るなり言葉を発した。その様子から確かに桂木がこの店の常連であることが十分に見て取れて、ものの数秒もしない間に、沢山スーツがかけられたコートハンガーの後ろから、結構な男前がひょっこりと顔を出す。
「ああ、桂木さん。いらっしゃい」
そう言って、男はニコッとイヤミのない爽やかな笑顔を見せた。定番の紺のシングルスーツに身を包み、それでも、センスの良いドレスシャツと、色の良いネクタイから、明らかに着こなしのプロという 雰囲気を印象づける。
田嶋はスーツの胸ポケットにぶら下げられたネームタグに視線を落とした。
『促進販売部 主任 真島』
すばやく読み取ると、田嶋は顔を上げてもう一度真島の顔に視線を戻して、ふうんと目を細めた。まあ桂木のタイプといえばそうかもしれない 。向こうに長身のハンサムな店員もいることだし……などとうすらぼんやり考えながら。
真島が後ろの田嶋に気づいて、いらっしゃいませ、と頭を下げて、つられて田嶋も会釈を返した。
「今日はどうされました?スーツなら、春物がちょこちょこ入荷してますよ」
「うん」
「これなんかどうですか?今シーズンのウチのオススメです。ソフトブリティッシュのスーツ」
真島は軽快な口調でそう言うと、すぐ横にあった色味の薄いライトグレーのスーツに手を伸ばして、桂木の肩に合わせるようにさりげない動作でスッと当てた。
スーツと一口に言っても、その種類はさまざまで、いろんな用途にあわせて形がある。ソフトブリティッシュはやや、ウエストシェイプの効いた着心地の良い一着だ。営業で重いものを持つことが多い桂木たちの仕事には、タイトなビスポークモデルや、ウエストシェイプの効いたエレガンスなブリテッシュよりも、スポーティなアメリカントラッドや、さりげないルーズフィットのイタリアンソフトがよく似合う。
「桂木さんは上背があるんだから、ダブルとかどうですか?」
「ダブルはもうちょっと歳いって貫禄ついたら」
桂木が笑って言うと、真島は勿体無いなあ、という顔を隠さず浮かべた。リクルートのスーツはシングルが基本で、大抵ダブルのスーツは熟年層か、よっぽど度胸と貫禄と地位のある人間が着るものなのだ。
それにしても店内はかなりの数のスーツと、オーダーも取り扱っているのか、壁には沢山の生地が掛けられてあって、店内の天井の高さも加えてその様は、まさに見ているものをスーツの魅力に引き込ませる。田嶋は興味を引かれたように手元にあったコートハンガーに掛けられたスーツのハンガーをカチャカチャと動かした。同じ色でもそれぞれに違うデザインのスーツは見ていてかなり興味深い。
ブリティッシュだけど、案外この淡い緑のスーツも桂木には似合うんじゃないかな、と顔を上げた瞬間、田嶋の心臓がバクッと鳴った。
さっき真島が手に取ったスーツに袖を通し、目を伏せて、すこし俯き加減になった桂木。テーラー部分に触れた指がひどく形になって、そのシルエットの美しさに思わず目を奪われる―――。
田嶋は鳴った心臓の音を無視したかのような、いつもの素っ気無い無表情な顔で桂木をジッと見つめた。人と同じものを着ても確かにそつなく着こなし、目立つ人間は確かにいるのだ、と田嶋は思う。今 心臓を掴まれたようにドキッとしたのはそのせいなのか、なんなのか……。
(顔と、身体と、顔と……)
ぐるぐると、回る思考を感じて田嶋は桂木をジッと睨んだ。視線に気づいた桂木が田嶋を見てニヤリと笑う。
「どう?」
「え?」
「ぼんやりするなよ、どうって聞いてんの」
「どうって」
「スーツが似合うかどうか聞いてるんだよ」
ああ、と小さく言って田嶋は続けた。
「お似合いですよ……ってなんですか」
「お前、社交辞令みたいに言うなよ〜!結構マジメに聞いてんのに」
と、恨みがましい目で訴える桂木に、「こっちも率直な意見を出したんだけど、うるさいから黙っとけ」、と田嶋は思った。その田嶋の素っ気無い態度に諦めでもついたのか、 桂木は真島の方をあっさり向いた。
「じゃあ、そこのダークネイビーでお願いします」
「これですか?畏まりました。じゃあちょっと失礼しますね」
そう言って真島はポケットに入ってあったメージャーを取り出して桂木の肩幅と腕の長さを手馴れた動作で測っていく。一通り寸法を取り終えた真島が感心したように言った。
「俺が担当してから3年になりますけど、桂木さんちっとも寸法変わりませんねえ」
30超えたらどうかな、と桂木は苦笑した。真島が桂木の指定した生地の番号を調べてオーダーメイド用の書類に記入する。
「オーダー……」
田嶋はへぇー、と思った。どうりで桂木の着ているスーツはシルエットが全然違う。もともと桂木のスタイルが良いのもあるだろうが、やはりオーダーメイドで仕立てたスーツは違うのだ。
「オーダーって結構するんでしょうねえ」
「ウチのオーダーはリーズナブルですよ。生地の代金に10%のオーダー料金で承っております。生地の値段がそう変わらないのなら、オーダーの方が断然良いですよ。シルエットが
全然違うんです!」
要は自分のスタイルに合うかどうかなんだ、と、ポロリと洩らした田嶋に真島は力説する。そしてそれを皮切りに、まるで水を得た魚のように、真島はスーツについて熱く語りだした。その熱弁に田嶋はこの男は本当にスーツが好きなんだな、となんだかひどく感心したのだった。
* * * * *
「買い物ってこれですか」
「うん、そう」
「ブランニュー」を出て通りを歩く。オーダーのスーツは時期にもよるが、大体二十日前後かかるというから、とりあえず注文を済まして桂木は手ぶらのままだ。
「他は?」
「後は田嶋とデートだよん。さ、どこ行きたい?」
軽そうにそう言うと、桂木はニコッと笑って田嶋の方へと視線を向けた。その屈託のない子供のような表情は、思わず田嶋をドキリとさせる。
(顔……)
そこまで思って田嶋は眉間にしわを寄せた。そんな田嶋の内心を知ってか知らずか、桂木は通りの様子に簡単の声を上げた。
「すげー…」
田嶋が桂木の視線を追って、目線を向けると、そこには少し高級感のある、ベルギー産のチョコレートを専門に取り扱ったテナントショップで、2月のバレンタインを目前に、最後の週末である今日は本命チョコを求める女性達の格好の場所であった。その数も半端でなく、店の外にまで行列の出来る始末。あまりの混雑振りに2人はしばらく圧倒された。
「すごいですね……俺、あんなん出来ません」
「俺も……」
口々に呟く。
「チョコレートなんか送ったって、別にどうってことないと思うんですが…」
「まあ。あんなイベントも一種の愛情のバロメータなんだろ」
「バロメータ?」
田嶋が訝しげに眉を上げた。
「そ。自分がどれだけの時間を費やして、相手のことをどれぐらい想ってるかって辺りかな」
「相手のことを……」
「まあ、自己満足とも言う。でも同なじ労力使うなら、俺だったら一回寝てくれる方がよっぽど嬉しい――― ……」
続けた桂木の言葉も聞こえない。
『俺、あんなん出来ません』
即答した自分はなんなのか。いや、思い返した今さえも、さっぱり出来そうにもありゃしない。だが、しかしその行動が本当に明確なパーセンテージで表せることが出来るのなら、それこそすがってしまいそうな気分だった。
田嶋は顔を俯けて目を瞑ると、今の自分の考えを訂正するかのごとくにフルフルと首を振った。
「田嶋?」
「あ、いえ。何もないです」
素っ気無く言って、田嶋は視線を前に向けた。何も。
気にしないようにすればするほど、忘れようとすればするほど気持ちはそれに捕らわれた。いくら考えたところで完全な答えなど出るはずもない問いに、自分は何をこんなに考え込んでしまっているのか…。
さっさと歩き始めた田嶋の後から、桂木が微妙な視線を投げかける。さっきのところは突っ込むとこだったんだけど――― 。先ほどの店内のぼんやりとした様子といい、今のこの態度といい……分からない男だ、と桂木は思う。桂木は田嶋を追って後ろにつけると、あ、と短い声を上げて桂木は田嶋の肘をぐいっと引いた。
「ゲーセン行こ、ゲーセン!」
桂木はそう言って傍にあったゲームセンターに足を踏み入れたのだった。
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