まだ、夜も明けきらない深夜の部屋で、田嶋は行為を終えて幾分だるくなったその身体をゆっくりと起こした。桂木の部屋のベッドの上で頭を2、3度くしゃくしゃ撫でると、身体を伸ばしてすぐ横にあるサイドテーブルに手を伸ばす。
暗闇の中、指先が目当てのものを探り当て、田嶋はその四角の箱を手元に寄せた。自分のではないけれど、一本ぐらい失敬しても構わないだろう。
カーテンの隙間から覗くネオンの薄明かりを頼りに、田嶋は失敬したそのタバコの先に火を点けた。桂木愛飲のラッキーストライク。パチンと小さな音を立ててライターの蓋を締めると、田嶋はゆっくりと煙を吸って、そして吐いた。
「ふー……」
吐き出す余韻か、ため息なのか。田嶋はフィルターを持った右手でガシガシと頭を掻いた。カチコチと音を立てて、時計はもう、深夜の2時を指している。
「…………」
まったく、言葉を出すのもおっくうだ。田嶋は顔を俯けたまま目を閉じた。
どこが好きかだって?
田嶋は左の下に視線を落とすと、その先で気持ちよさ気に寝息を立てて眠る恋人の寝顔をジッと睨んだ。その顔は起きてる時には考えられないほど幼く見えて、さっきの話はどこまで本気なのかな、と田嶋は口をへの字に曲げたまま目を細めた。桂木の寝顔を見ながらもう一息タバコを吸う。涼しい顔をしていたけれど田嶋は……、 実はかなり狼狽していたのだった。
何に対して?そんなの決まっている。桂木の一体何が好きなのか、即答どころかあれからいくら考えてたって、ちっともさっぱり浮かんでこない。 顔と、身体と……これじゃ節操があるかないかだけで、こないだまでの桂木と大した違いはないではないか!
田嶋は目だけを逸らすと、再びタバコに口を付けた。
こんなことでは一緒に暮らすどころか、自身の気持ち、それさえもずいぶん不安になってくる。どこがいいの?
田嶋は、逸らした目をゆっくりとした動作で細めた。それでも、桂木のことをとても好きだと田嶋は思う。
顔も、身体も、その容姿全ては、恋愛における印象にかなりの重要要素を占めることは否まない。しかしこんな、節操のない男を相手に、顔と身体だけが好きなだけでは務まるものか。エイズ疑惑の時を忘れたか?だから、顔と身体だけでなく、桂木を好きだという確固たる何かが他にあるはずなのだ。
田嶋は最後の一口を吸って、暗闇の中タバコの吸殻を灰皿に押し付けると、横下の桂木に視線を落とした。その寝顔に胸が痛くなるのを感じる。
(確かに好きなんだ。確かに……)
でもどこが?田嶋の動揺は止まらなかった。
* * * * *
翌日は快晴で、カーテンの隙間から覗く朝の光がやたらに眩しい。
田嶋が起きぬけの目をうっすらと開くと、ぼんやりとぼやけた視界のピントがゆっくりと合わさっていった。朝といっても時計の針はもう10時半を過ぎていて、昼にも間近い。
田嶋は上半身をゆっくり起こすと頭を2、3度くしゃくしゃ擦った。夕べ寝たのは何時だったか。 開いた方のベッドへ視線を移すと、ベッドの主は既になく、そのシーツの冷たさから、もうとっくに起きていると推測された。どこへ行ったんだろう……と、田嶋が顔を上げると 、寝室の右にある部屋のドアがガチャリと開いてやけに陽気な顔をした桂木がタイミングよく入ってきたから驚きだ。
「お、起きたの。おはようさん」
「おはようございます……」
人懐っこく笑って言うと桂木は、至極当たり前のような図々しさで田嶋の隣に腰をかける。
桂木はその身体には少し大きめの淡いクリーム色のラフなカラーシャツと、まず会社では御目にかかれないジーンズ姿で、裸足なのがまたさりげなく、なおさら余計に格好良い。私生活を垣間見れるようなこんな姿を知りたい女子社員は沢山いるんだろうな、と田嶋は起きぬけの働かない頭で 、ぼんやりとそんなことを思った。
立てた膝に両肘を乗せて、その上に顎をのせる。持たせかけるように首を傾けて、田嶋が無表情なままその顔をジッと見つめると、そのあからさまな視線に桂木はニヤっと笑って一言言った。
「良い男だろ」
「……誰もそんなこと思ってません」
「またまたそんなこと言っちゃって。見とれたくせに!」
明らかに冗談の口調ではあったが、確かに桂木の顔は良い。好きだ…。
そこまで思ってハッとする。そして、その思いを打ち消すように、田嶋は半ば呆れた顔で眉間にしわを寄せたが、そのしわを取り去るように桂木の右手が伸びて、本当にさりげない動作でその不機嫌さを隠さない唇を軽く奪った。余韻を残すように、ゆっくりと離した唇を、今度は角度を変えて今度は深く口付ける。唾液の音を立てて、桂木はそのまま田嶋をベッドへと押し倒した。
「ん…っ」
田嶋の口から吐息が漏れて、桂木の肩に手を回す。掴んだシャツにしわの波ができ、求められるままに田嶋はキスを返した。
「ああ、残念……」
時間的に短い口付けを追えて、至近距離に顔を離した桂木が言うと、少し息を上げた田嶋が、キョトンとした顔で言った。
「なにが」
「今コーヒー淹れんのに湯、沸かしてきたんだ。それがなきゃ、このまま朝から一発…」
そこまで言って嬉々とした笑顔を浮かべた桂木に、下から田嶋は呆れたように目を細めた。この色欲魔人め……。
そんな田嶋の痛い視線を知ってか知らずか、それとも今の台詞は冗談か、桂木はあっさりと上半身を起こすと、下に散らばった衣服の中のシャツを拾い上げて田嶋の前に突き出した。
「着替えろよ。ご飯食べよう」
* * * * *
着替えるといっても昨日着ていたスーツしか田嶋は持っていない。泊まる予定なんかちっとも全然なかったからだ。
軽く、シャツを着崩すようないでたちで、田嶋はキッチンの椅子に腰掛けた。ダイニングのテーブルにはすでに焼かれたトーストと、レタスに目玉焼きが乗った皿が置かれていて、そのマメさに変に感心したりする。そのまま視線をインスタントコーヒーを入れる桂木に移すと、コレクターズの 『恋のしわざ』 を鼻歌交じりに歌ってなんかいて、その歌詞の中身ときたら、まるで自身を歌っているようで思わず田嶋も苦笑した。
「何笑ってんの」
「いえ。その歌、あんたの歌みたいで」
「ああ、『いつまで経っても落ち着けない』?」
桂木はコーヒーカップを目の前に置いて、向かいの席に腰をかけると、箸を田嶋に差し出した。どうも、と短い返事を返して田嶋は続ける。
「こないだも思ったんですけど、朝からまめですよねえ」
「何が」
「朝食」
「一人なら別にしねえよ」
桂木は苦笑した。そしてそのまま頬づえを付いた顔を傾けて笑う。
「一緒に暮らせば、毎日ちゃんと食わしてやるけど?」
それを聞いたとたん、田嶋の顔が見る間にいつもの素っ気無い表情にうって変わった。
「まだ言いますか」
「OKしてくれるまで何度でも」
桂木はニヤっと挑戦的な笑顔でそう答える。断られてもくじけない、その前向きな姿勢はまるで桂木自身を象徴していて、こういうところは実に営業向きだと田嶋は思う。しかし、そのたゆまぬ矛先を自分に向けられた日にはたまったのもではないではないか。
「好きだよ」
笑って言った、飾り気も何もない桂木のストレートなその言葉に、口に含んだコーヒーが田嶋の喉をゴクっと鳴らした。躊躇もなく好きだと言えるこの自信は、一体どこから来るのだろう。それに引き換え自分ときたら……。
田嶋は目を細めて桂木をジッと睨むと、もう冷えて硬くなったトーストに口をつけた。
「言ってなさいよ」
好きだと言われて心臓を掴まれるぐらいの衝撃を覚えるほど好きなのに、その恋人の、どこが好きなのかも分からない。まるで足元が安定しないような、そんな気持ちのままで、田嶋はひどく孤独な気分にもなってきた。自分は一体、この男のどこをどう好きなのか……。
目も合わさずに黙々と食べ物を口に運び始めた田嶋に、さすがの桂木も思わず苦笑いを浮かべる。難攻不落の恋人は、いつまで経っても不落らしい。それでも長期は覚悟の上だ。
桂木は頬杖をついた顔を傾けてニッと笑った。
「なあ、田嶋」
「はい」
「昼からなんか予定ある?」
「いえ、別に…」
「じゃあ買い物に付き合えよ」
「買い物?」
目の前のカップをひょいと掴むと、桂木そのまま、もう残りの少なくなった濃いこげ茶色のコーヒーをぐいっと一気に飲み干した。カタンと音を立てて、テーブルに置くと、やはり人懐っこい笑顔を浮かべてこう言ったのだ。
「たまには、デートを」
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