ナイーブ

カーテンの隙間から差し込む太陽の光りで、桂木が目を覚ましたのはもう昼も過ぎた1時半だった。横になったまま、まだぼんやりと上手く動かない頭で五感を集中させ、この家のどこにも田嶋がいないことを気配で確認する。

(……あー、会社行ったんか)

そう思いついて、ベッドから上半身を起こすと、桂木は手のひらに額をつけて頭を2、3回振った。

話しをつけたのは今日の深夜であれから結構遅くまで話をしたのだが、それでも田嶋はちゃんと起きて会社に行ったようで、あのひどい低血圧さんにしては非常にいたく感心する。しかし、何時の間に起きていったのだろう。ちっとも 、ちょっとも気が付かなかった。

「……だるー……」

呟くようにそう言うと、桂木はサイドテーブルに置いてある愛用の眼鏡をかけ、パジャマの上からチャコールグレイのパーカーを羽織ると、そのままキッチン のドアへと向かった。田嶋はいなくても、確実にもうひとりここにいる。

桂木はガチャリとドアを開けひょこっとキッチンへ顔を出した。今日は、閉じこもってないんだな。良く出来ました!と、桂木は思わずニヤっとクセのある微笑を浮かべたのだった。田嶋の心労が少しでも減ればいい。

続き間であるリビングのソファには田嶋とは違うもう一人、真由美がチョコンと座っていた。こっちにいる間の暇つぶしにでも買ったのであろう、ティーンズファッション系の雑誌なんかをめくりながら。

ところが、である。桂木は数秒その姿をじっと見つめていたのだが、真由美は桂木の存在に気付くやいなや、バチっとすごい音を立てて本を閉じると、あろうことかガンを飛ばしてきたのだった。

「なによ、今日は仕事じゃないの?」
「今日は休日出勤の代休で、休・み・な・の!」

ムキになった子供のような言い方でそれだけ返すと、桂木は冷蔵庫の中から牛乳パックを取り出して真由美にも少し勧めた。

「真由美ちゃんも、飲む?」
「いらない。そんなことより馴れ馴れしく『真由美ちゃん』なんて呼ばないでくれる」

あからさま不機嫌な口調でこの言われよう!田嶋との関係がばれるまで、『桂木さん、桂木さん』、とあんなに慕ってくれたのが今となっては夢のようだ。桂木はムッとした 顔で目を細めると、口を尖らせてこう言った。

「じゃあ、真由美」
「なによ、それは」
「『田嶋さん』、なんて今更白々しくて呼べるか!」

残り少ない紙パックの牛乳を、コップも使わず、そのまま一気に飲み干して小さな息をつくと、桂木は右手のひらで口を擦った。

「田嶋に聞いたかな。一応俺達、別れることにしたんだけど」

ところがそれを聞いた真由美は意外そうな顔をして桂木に言ったのだ。

「ふーん、あんたはそれで良いわけ?」
「ちっとも良いわけねぇだろ」

当たり前だ。愛しい恋人を実の妹になんか取られて喜ぶ男がいるものか!桂木はジロっと真由美を睨んだが、効果の程は上がらない。真由美はシャアシャアとした素振りで続けた。

「じゃあなによ。ちょっと反対されたぐらいで諦めるなんて、結局その程度ってことじゃない」

それを聞くなり桂木は はあ? という顔をした。この娘もよく解らない。自分が別れろと言っておきながら、別れると言えば言ったでこんなことを言う。じゃあ何か?俺達は試されていたとでもいうものか?

桂木は困ったような、それでも仕方のないような、苦笑を浮かべて真由美に言った。

「あのなあ、その逆で俺はお前の兄さんをめちゃくちゃ愛してるんだぜ」
「じゃあなんで、そんなにサバサバしてるのよ。本当はお兄ちゃんのことなんかどうだっていいんでしょ!」
「あいつを困らせたくないんだよ」

桂木は余裕の素振りで目を細めたが、態度と科白にカチンときたのか、真由美はムッとした表情で声のトーンを落として言ったのだ。

「お兄ちゃんが困ってるっていうの?」
「困ってるじゃん。好きで一緒にいるんだろ?無理やりゴーカンして関係を迫ったわけじゃなし」
「!!」

ダイレクトな桂木の発言は真由美の頬を紅潮させた。珍しく今時の高校生にしては、ちっとばかり奥手な感じがしないでもないが、初心(しょしん)なのは良いことだ。

「田嶋だってもう27の立派な大人だぜ。もちっと気持ちも考えてやれよ」
「なによ、それじゃあたしが、ちっともお兄ちゃんのこと考えてないみたいじゃない」
「じゃあ真由美はどう考えてんの」

桂木はソファの隣に腰をかけて長い足を組むと、真由美の顔をじっと見つめた。その真っ直ぐな視線に真由美はたじろぐ。

「ど、どうって……おかしいじゃない。普通の男の人は皆女の人を好きになって、結婚して……」
「子供作って?それから外れるとおかしいのか」
「……あんまり聞いたことない」

そらそうか。桂木は苦笑した。

「今は嫁さん貰う人もグンと減って、生涯独身って男も珍しくないじゃん。でも本人が不幸かっていうとそうでもない。普通と違うことがそんなにマイナスかなあ」
「『違う』のレベルが違うじゃない。お兄ちゃんが男の人とだなんて私……お母さんには言えないよ」
「親のこと言われると結構痛い」
「ほら、やっぱりいいことないじゃない」

親に言えないような恋愛にはロクなものがない、と、最初に言ったのは誰だったか。余計なことを。

「人に言えないような関係なんて不幸になるに決まってもん」

真由美はそう言って両の膝を抱えて俯いた。性格は違っても真面目な、こういう気質は本当に田嶋に良く似ている。ある種感じる印象が田嶋の育った環境を見え隠れさせて、桂木は今日何度目かの苦笑を浮かべた。

「お前、今時の高校生のクセして硬い真面目なこと言うね。若いときはもっとこう、自分の欲望に真っ直ぐに突き進むもんだぜ」
「あ、そう。桂木さんは突き進んだんだ」
「まあ、若気の至りで……」

と、言いかけて桂木はむっつりと口を閉ざした。現在進行形の今の恋愛に対して、数の割にはなんと身のない恋の多さよ。足元をすくわれるような発言は得策ではない。桂木は右ひじをソファの背凭れに当てて、頬杖をついた。

「真由美、本当に人を好きになったことないだろう」
「わかんない。いいなと思ってもすぐお兄ちゃんと比べちゃうし…」

あの兄にしてこの妹ありか。桂木は困ったように苦笑した。

「俺はあるよ」
「え、誰!お兄ちゃん以外で?」
「いや、田嶋。恥ずかしながらこの歳でホンモノを知ったというか、なんというか…」

頬杖をついたまま、桂木は少々照れたようなバツの悪い表情を浮かべた。その様子を横目でポカンと見てたのは、隣に座った妹真由美だ。ちょっと…いや、ずいぶん正直すぎたかな。視線に気づいて苦笑交じりに微笑すると、真由美はパッと視線を逸らした。

「俺は人に言えないことが全部悪いとは思わないよ。全部晒け出すことがベストとも限らないしね」
「……」
「自分の告白が周りを…特に家族をどんなに傷つけるのか田嶋は知ってる。俺も知ってるから無理には言えない。結局家族は特別なんだ。俺にもね」
「桂木さんとこは……知ってるの?」

真由美は目だけをチラっと桂木の方に向けて言った。

「中学ん時、隠してたけどバレてた。まあ、ウチのお袋はちょっと変わってて……けどあの時の後味の悪さはちょっと忘れられないな」
「……ふうん」

数分の、それでも気まずくもない沈黙が流れて、ふいに真由美が口を開いた。

「でもいやだ……」
「うん」
「お兄ちゃんのこと、諦める?」
「まさかでしょ。お前が許してくれるまで待つつもり」
「本気?!一生許さないかもよ、気が変わるとは思えないもん。それでも?」
「いいよ、それでも」

桂木は余裕の微笑を浮かべて言った。待ってもいい―――……が、内心はかなりの割合でハラハラドキドキだったのだ。自信満々に言ってはみたけど、一体どこまで田嶋を待てるだなんて実は正直分からなかった。これはこれで本当の気持ち なのだけど、自分が弱い人間であるということを桂木は知っている。何せ先の見えない曖昧な時間のことなのだ。絶対は、ない。しかし田嶋を諦めることが出来ない以上は、桂木には『待つ』という選択肢以外、道はなかったのである。

昨晩田嶋にも、随分と 『物分りの良いふり』 なんぞをしてしまったが、それは最悪の場合のことだった。言った言葉に嘘はないけど、出来ることなら田嶋にはずっと傍にいて欲しい。それにはこの妹の気持ちを一寸でいい。少しばかり動かさないといけなかった。それには多少のハッタリだって必要で、少しでも可能性があるなら桂木は迷うことなくそっちに賭ける。 さあ、どう出る?

桂木は真由美の表情を伺うように、横目でチラリと視線を送った。

(あらら……)

それが功を奏したのかどうかは知らないが、真由美は少し複雑で物憂げな表情になっていて、桂木をひどく申し訳ない気分にさせた。俯いたままの顔が心の葛藤を告げている。やんわりと言ったつもりでいたけれど……。

やがてポツリと真由美が言った。

「私って子供かな」
「あん?」

そして無言で立つと、コートを持って玄関の方へ向かおうとしたのだった。

「おいおい、どこ行くの」
「散歩、してくる……」

頼りなげにそれだけ言って、真由美はドアの向こうに消えて行った。

 


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