ナイーブ

3人が顔を合わすのは、何時間ぶりのことなのか。夕食が並んだにテーブルを3人で囲んでいるのだが、酷く、気まずい。尤も最後に顔をあわせたのはよりにもよって、これ以上の羞恥はない、というぐらいに凄まじかったあの場面なのだからこんな緊張感も仕方が無いか。

桂木はチラッと田嶋と真由美、交互に視線を走らせた。はす向かいには田嶋が困ったような顔をして妹を見てるし、その真由美にいたってはどちらとも視線を合わせようともしない(当たり前)。怒ったままの顔でピリピリとした拒絶の空気だけが漂ってくる始末で、まるで針のムシロである。

 俺から話題を振るべきか?、と桂木は思ったが、残念ながらあっさりと無視されるか、それとも突き刺さるようなツッコミを入れられるかのどちらかだという事は容易に想像がついた。やっぱり気まずい……。

カチカチと食器の触れ合う音だけが部屋に響いて、ある種の虚しささえ感じる始末だった。

どれぐらい沈黙していたのだろう。しかしその沈黙を打ち破り、一番に口を開いたのは意外なことに真由美だったのだ。

真由美はゆっくりと睨むような視線で顔を上げた。

「いつから?」
「え?」
「二人の関係、いつから?」
「……よ、4年前」

しどろもどろと桂木が答えた。正式に付き合い始めたのは4ヶ月前だが、関係を持ったのは4年も前にさかのぼる。そこまで言ってしまうと、ますます面倒なことになるのはうけあいで、今はあえて黙っておいた方が得策だ。桂木は思わず視線を泳がせた。

こんなピリピリした緊張感、どんな大手の営業先でも味わったことはない。尋問されてるような気分で桂木は思わずゴクっと喉を鳴らした。

が、それを聞くと、真由美の顔は更に余計に険しくなった。膝に置かれた手は、かなり強く握られているのだろう、白くなって震えている。キッと勢いよく顔を上げると、駅前で初めてであった時のように真由美は桂木に食ってかかった。

「信じらんない!どうして、男同志でそういうことが出来るのよッ!」
「どうしてって……」

これが桂木の性癖なのだ。しかも生まれてこのかた一度も女性の身体というヤツにときめいた覚えなぞないぐらいだから、先天性だと思われる。

しかし、目の前の妹にとってはそういう問題では到底ないのだ。『同性である男に対してそういう感情を持てるのか』、ということ自体が理解できない。それはそうかも知れないが、それが一体なんだというのか。

真由美に食ってかかられて、桂木の妙な闘争本能に火がついた。ムッと目を細めて冷静に真由美を見据えると、しゃあしゃあと言ってのけたのだった。

「男にしか勃たないんだからしょうがないだろ。俺は男じゃないとダメなんだ」

桂木は悪びれる様子もなく飄々と答える。それを聞いた真由美は、そのあからさまな返答に少し顔を赤くして、それでも、怒った顔を崩さない。キッと視線を斜めに移すと、今度は田嶋にその矛先を向けたのだ。

「お兄ちゃんも?お兄ちゃんもなの!?」
「え、お、俺は……」

突然の詰問に田嶋の返答が瞬時に詰まった。こんな困った顔をした田嶋は、会社でだって見たことはない。返答に困る田嶋を放って置けなくて、思わず桂木は口を出した。

「俺がゴーインに誘ったんだよ。田嶋はホモじゃねえし、悪くない」

一応 嘘はついていない。田嶋は男だけじゃなくって女もいけるし、始まりは酔った勢いでよくも覚えていないが、多分桂木が最初に田嶋を誘ったのだ。

しらっと答えた桂木のものいいが、よっぽどカンに触ったのか真由美はガシャンと右手でテーブルを勢いよく叩いた。

「それがなんでお兄ちゃんなのよ!変態っ!!」
「タイプだからに決まってんだろ!それに変態はやめてくれ、ゲイは人権問題だぞっ」
「変態は変態よ!そうやって、誰にでも声かけてんの?全く困った節操無しねっ!」

耳が痛い。事実ほんの数ヶ月前までそうだったのだ。だが、今真由美が言ってるのは、どうしてストレートであるべきはずの自分の兄を誘ったか、ということで、その点に関してはどっちつかずの田嶋より、よっぽど桂木の方が節操が有るとはいえる。対象は基本的に自分と同じように男と寝れる同性愛者を選んでいたからだ。

それでも桂木は少し姿勢を崩して背もたれにもたれ掛かると、腕を組んで、さらり、と言いきったのである。

「しかたないだろう、惚れてんだから」

その様は堂々としていて、罪悪感のようなものは微塵も感じられない。ところが意外なことにその言葉を聞いて一番に反応を示したのは当の田嶋だったのだ。みるみる顔が紅潮して、それが反って真由美の神経を逆なでしたのかもしれない。真由美はガタっと席を立つと興奮気味に桂木に怒鳴った。

「何よ!あんた、どっかおかしいんじゃないの?!」
「あ!」

田嶋が声を出したのが僅かに早かったが、机上にあったコップから勢いよく放たれた水は、桂木の顔面を直撃した。

バシャっ……!

とっさの反射神経で顔を横に向けたものの、滴る水は頬から顎のラインを伝って、そのあまりの突然さに何が起こったのか桂木には一瞬分からなかったのだ。ポタポタと顎から落ちる雫が、まるでで降って来た雨さながらに桂木のシャツを濡らした。

「な……」

にするんだ、と桂木が言いかけた次の瞬間、パチッ、と部屋に響き渡った高い音とともにその光景はスローモションのように交差した。

「真由美、いい加減にしなさい!」

桂木は呆然と、一人残されたように椅子に座ったままその光景を見つめた。いや、動けなかったといった方が正しいのかもしれない。田嶋が、真由美の左頬を叩いたのだ。

「たじま……」

桂木は思わず田嶋の名前を呟いた。あの田嶋が大事な妹ぶつなんて、信じられない。

真由美はキッと顔を上げると、田嶋を睨んだ。

「……なによっ……お兄ちゃんのバカ!」

そう言うと真由美は勢いよく部屋の方へ駆け出して行った。桂木もつられたように立ち上がったが、ドアを乱暴に閉める戸の音が大きく響いて、いよいよ冗談では済ませられない展開になってきた。桂木はチラっと田嶋へ視線を移すと眉間にしわを寄せたのだった。

「おい、今の……マズイんじゃねぇの?」
「……しょうがないですよ、今のはどうみたって真由美が悪いでしょう。すいません」

言いながら田嶋は、タオルを持って桂木の方へ差し出した。こんな時でも悲しいぐらいにソツのない男だと桂木は思う。桂木はそれを無言で受け取ると、それを顔に押し付けた。

「追いかけなくていいのかよ、ちゅうか。追いかけてやれよ」
「今は何を言っても無駄だと思います」

ぶった方がぶたれたような顔をして、それでも淡々と田嶋は答えた。

(そりゃそうだろうな)

桂木は小さなため息をつきながら、真由美がいるはずのドアに視線をやって、それからカウンターに置いてあるラッキーストライクの箱を手に取り再び椅子につく。付き合うように田嶋もはす向かいの椅子に腰をかけて、額に手を当てて、俯いた。かなりのショックが見て取れる。

桂木はスリムな銀のフリントライターをポケットから取り出しながら、箱を田嶋の方にも差し出した。田嶋は無言で手を伸ばすと、桂木が促すままにフィルターの先に火をつけた。田嶋がひとくち口を付けると、自分の タバコにも火をつける。ライターの蓋が、冷たい金属音を立てて閉じられた。

淡々と煙を吐いて、気まずい沈黙の間を持たせようとする。その有様は神妙であり、巧妙であり、滑稽だな、と桂木は思った。それでも同じ空間にいるという事実だけが、今は頼りない二人のスタンスを繋いでいるのは確かだった。

自分がその原因を作ってしまったことに罪の意識を感じないと言えば嘘になるが、起こってしまった以上どうすることも出来ない。

(たまらんな……)

くわえたタバコを口から離すと、桂木は言った。

「かなりショックだったみたいだな、真由美ちゃん」
「俺もショックでしたよ」
「どれが?」
「全部です」

関係がばれたこと、更にそれが最悪の状況だったこと、真由美が閉じこもってしまったこと、その妹を……初めてぶってしまったこと。

「そりゃ、そうか」
「ねえ主任」
「うん?」
「別れましょうか」
「何!?」

大きな声を上げて、桂木は思わず顔を上げた。

この気まずい沈黙の下、目の前の愛しい男はこんなことを考えていたのだ。関係を続けるか別れるか、極端にいえば恋愛にはこの二つの選択肢しかない。しかし、田嶋が自分との別れを選ぶなんて選択肢は、桂木には初めから存在していなかったのである。

「……本気?4月1日にはあと2日は早いぜ」
「嘘ついてどうすんですか。俺は、大本気ですよ」
「俺のこと、好きなんだろ?」
「もちろん好きですよ」

本当なのか、と思わず突っ込んでしまうような無表情な顔立ちで、情愛の言葉を田嶋はさらりと口にした。

なんの躊躇もなく言えるぐらい好きなのに、桂木の男関係に涙を見せたこともあるくらい好きなのに、妹が反対したぐらいであっさり別れを決意できるとは……。いくら可愛いといっても、そこまで従うことができるもんなのか?

「妹が望めば、俺は多分そうします」

見透かすように田嶋は言った。

「特別なんです」
「シスコンめ。俺はお前の大事な恋人だぜ」
「あんた、俺の性格知ってんでしょう?」

突き刺すような真っ直ぐな視線の田嶋の顔を桂木はじっと見つめた。知ってる。これは一緒に暮らし始めて気付いたことだが、協調性の塊のようだと思っていた田嶋は、実は意外と信念を持っているということ。自分がこれだと決めていることに対しては、決して譲らないところがあるのだ。

ベッドのサイドテーブルの上に置いてある時計を見て目を細めると田嶋はガタンと椅子から立ち上がった。

「まあ、行ってきますよ」

田嶋はそう言うと、もうフィルターしか残ってないようなタバコの先を灰皿に押し当てた。目の前の灰皿には1ケース、とまでいかなくても結構な吸殻が溜まっていて、長い時間の経過を感じさせる。田嶋は呆然とする桂木を後目に、あっさりとドアの方向へ向かった。おいおい、ホントにマジですか?

『周りは皆、ブラコンなんて言うけど』。

初めて真由美に会った日の会話を思い出す。田嶋とホントに兄妹か、思えるほどの勝気な真由美のあの性格なのだ。『別れろ』 と、十中八九言うような気がする。いや、絶対に言う。それを言われたら、恐らくは本当に、田嶋は真由美の言葉に従うだろう。

桂木は一息吸うと、もういっぱいになった灰皿に、最後のタバコを押し付けた。

「結末は神のみぞ知るってか」

桂木は思わず吐き捨てるように呟いた。その言葉に反応したのか、田嶋はゆっくりと振りかえって桂木に視線を合わせる。

「あんた、神様を信じてるんですか?」
「心外だな、こう見えてもカトリック系の幼稚園卒業してんだぜ」

桂木は右手の平を顎にあて、得意げに返した。

「へぇー…、なのにホモセクシュアルですか」

キリスト教が同性愛を禁止しているのは有名な話しだ。

「時代錯誤だな。今や神父が同性愛運動を行う時代だぜ」
「まあ、そりゃそうですね」

田嶋は顔を歪めて苦笑した。

「お前はさ、信じてねえの?」

一瞬の奇妙な沈黙が流れて、田嶋は再び背を向けた。

「……神様なんて、いやしませんよ」

 


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