ナイーブ

 

田嶋の携帯に電話が掛かってきたのは、ちょうど定時の時刻を回った午後5時半だったのだ。 着メロは流行かも知れないけれど、プライベートでもないオフィスの中で、着信音を鳴らす趣味はない。振動を始めた携帯を、 スーツの内ポケットから急ぎ気味に取り出して、田嶋はピッとボタンを押した。

「はい、田嶋……、!」

電話の主を確認すると少し驚いたような表情になって、慌てて田嶋は声を潜めた。驚きあまりもうちょっとで立ち上がってしまうところだったのだ。

「どうしたの、いきなり……。で、今どこ?駅前?すぐそこの?!……なんで……」

ああ、とため息にも似た小さな声を洩らして田嶋は、携帯を持つ右手とは反対側の手のひらに、顔を半分俯けた。うんうん、と何度か相槌を打った後、田嶋は口早に

「わかった。すぐ行くからそこで待ってて」

と、それだけ言って、田嶋は携帯を切った。小さな息をついて席を立とうと腰を上げたところで、手前の席に座っていた三好の視線にはっと気が付く。

「何、外出?」
「え、いや、ちょっとヤボ用で……主任に急用で先に帰りますって言っといてくれるかな。この見積書にも目を通しといてって」
「ええよ」

ニコっと笑って三好は返した。

 

*    *    *    *    *

 

花丸商事の最寄りの駅で、小さいけれど、ちょっとした商談をまとめて帰ってきたのは桂木だった。 注文数自体は少ないけれど、結構大きな家具店で、これが持続契約のとっかかりになればなあ、と桂木は思う。扱っている商品に自信と誇りがある限り、どんな小さな商社でも、チャンスとニーズは必ずあるのだ。

北口の改札を抜けると、夕暮れ時にはまだ、冷たい風が吹き抜けて、いつもの見なれた風景が広がる。

「4時には帰ってこれると思ったのになぁ」

と、それでも歩く姿は軽快で、疲れた様子は微塵も見せない。足が資本の営業マンは心も体もタフでなれば。

桂木は左手首を占拠している腕時計を見ながら、すぐ手前にある時計台ででも時刻を確認した。時計が狂ってるということは滅多にありえないだろうが、癖なのかなんなのか、とにかくなんだか安心するのだ。

(あん……?)

ふと、 何気にその下で俯き加減に立っている女子高校生の姿が目をひいた。なんでだろう。時計台の下での待ち合わせ。そんな特別なんでもない、ありふれた風景なのに思わず目を止めてしまったのは見なれない制服のせい なのか 。春らしい薄いベージュのコートの下には紺のブレザーに、白いベスト。スカートはグレーのプリーツ。そして肩に掛けている大き目のスポーツバッグも気になった。 尤もビジネス街に面するこの界隈で、制服姿自体も珍しい。

(ここいらの学生じゃねえよな。それにあのバッグ……)

今若者の間で流行ってる『プチ家出』とかいうやつかあ?と、思ったその時だった。 ふと、俯き加減に立っている女子高生がこっちに向かって顔を上げたのだ。その瞬間、桂木はあっ!と思わず声を上げそうになる。

毛先に少しウェーブのかかった肩より少し長めの漆黒の髪、意思の強そうな端正な顔立ち……。そっくりなのだ、田嶋の顔に!

桂木は驚いたまま、隠しもしない様子でまじまじと少女を見つめた。 まじまじなんてモンじゃない。正面に立ったまま、さも珍しげに興味に満ちた露骨な視線を送っていたものだから、気付かない人間がいるものか。 しかし少女は10歳以上は年上であろうその男に物怖じすることなく、桂木をきつく睨んで言ったのだった。

「何か、用?」
「いや、君の顔があんまりにも知人とそっくりだったから、つい……。この辺に勤めている親戚か何かいない?」
「口説き文句としては3流ね。あいにくだけど、ナンパはお断り、人と待ち合わせをしているの」
「………ふふーん、ナンパ、ね」

桂木は苦笑して再度少女を見つめて言った。桂木はそういう対象としての女性にはまったく全然興味がないのだ。ただ田嶋に似ているというだけの理由で見入っただけなのだから、少女の きつい言動にも動揺するわけもない。

「ふっ……」

桂木は思わず口元を緩めて笑ってしまった。すましたような顔をするとますます田嶋に似てるじゃないか。まあ、似ているといっても田嶋は男だ。 この目の前の少女の方が幾分線が細いし、あどけない顔立ちをしている。きっと田嶋がも少し若く、女であったら、おそらくこういう感じになるんだろうなと、いとも容易く想像でき た。 結構な美人じゃないか。

そこまで思って桂木はまたクスッと笑った。

「何がおかしいのよ、あんまりしつこいと警察呼ぶわよ!」

少女は4斜線の横断歩道の向こうにある派出所を顎でしゃくるようにして指した。当たり前だが警戒心がモロみえで、それでもそれに負けない威勢の良さが、桂木の感心を誘った。

「おいおい、別にしつこくしたわけじゃないぜ。ナンパしようとしたわけでもない。勘違いすんなよ」
「じゃあ、何なのよ」
「だから言ってるじゃないか、知人の顔に似てるんだって。じろじろ見たのは悪かった、謝るよ」
「どうだか」

少女は桂木を上目使いに睨んでそっぽを向くと素っ気無く返して言った。 ……確かに、そう思われても仕方がないか。よく使われているかどうかは知らないが、どこかで聞いたような誘い文句だ。

桂木はスーツの内ポケットから小さなケースを取り出して、名刺を1枚取り出すと、少女の目の前に差し出した。しかもご丁寧な無意識さで、営業用のスマイルまで浮かべながら。習性というのは恐ろしい。

「俺、ナンパじゃなくってこういうモン」
「なによ、怪しいスカウトマンじゃないでしょうね……」

と、言いながら、名刺に目を通した少女の視線は、20センチ近く開いた桂木の顔を真っ直ぐ見上げた。不揃いな身長がデコボコとした影を作る。

「花丸商事営業……桂木?それじゃあなたが」

少女が全部を言い切らないうちに横断歩道の向こうから、馴染みのある、それでいて心地の良い慌てた声が飛んできたのだ。

「真由美!」
「あ、お兄ちゃん」

少女が桂木の背中越しに横断歩道の方へ視線を向けたので、桂木もそれにつられる様にゆっくりと振り返ったのだった。 そこに立っていたのは例にも洩れず。

「田嶋……」

やけにタイミングの良い、意外なナイトの登場に驚いたのは何も桂木だけではない。田嶋だって、表情にこそ現さなかったけれど、やはり、かなり の具合で驚いていたのだ。さっき突然、自分の携帯に電話をかけてきた妹を、迎えにきたらば男になんか絡まれているではないか。慌てて声を掛けてみれば、振り返ったその男は誰よりも良くしっている上司で 同居人で恋人で、驚かない方がどうかしている。

走ってきたのか、息が少し上がり気味な様子で、それでも背筋を伸ばして田嶋は桂木に言った。

「なんで、あんたがこんなところにいるんですか」
「何でって、外回りの帰りだろ。お前こそなんだよ、こんなところで」

仕事終わったんか?といわんばかりの、それでも非難とはちょっと違った優しい目で田嶋を見る。あ…、と 田嶋は目を小さく逸らして、少し困ったような顔をした。

「妹が……」
「妹?やっぱりそうか、意外性ねぇなあ」
「意外性って……いるんですか、兄妹でそんなもんが」

いらねぇよ、と桂木は苦笑した。田嶋が言うと本気だか冗談だか分からない。 そんな二人のやり取りを後ろで見ていた田嶋の妹がふいに口を開いた。

「お兄ちゃん」

その声に我に返ったように田嶋が答える。

「ああ、ごめんごめん。まさか主任といるとは思わなくて……主任、俺の妹です」

田嶋は真由美の肩に手を掛けて、どっかのドラマのワンシーンのように妹を紹介した。おいおい、なんだか絵になるよ。

「田嶋真由美です。兄がいつもお世話になってます」

そう言って、真由美はペコっと頭を下げた。確かにお世話しています。 桂木の身元がはっきりとしたせいなのか、田嶋が傍にいるからなのか、さっきまでの態度とはうって代わったような礼儀正しさで、桂木は苦笑する。

「真由美、この人がこないだから同居している……」

言いかけた田嶋の言葉をさえぎって桂木は先ほどしかけた自己紹介の続きを言った。

「桂木圭吾。君のお兄さんの上司で……」

そこまで言いかけて、チラリと桂木は田嶋の方へと視線を送る。 顔は平静だが目が余計なことは言うな、と言っていて、思わず桂木は肩を竦めた。いくら何でもそんなん言うか。

「友人」

桂木はニコっと笑って付け足した。にこやかな笑顔を浮かべながら目だけの視線を送ると、田嶋ときたら申し訳そうな素振りもなく、すました顔なんかしていて結構笑える。

(性関係のある、ね)

まあ、何もしらなさそうな娘に、兄と同性である自分が『恋人』だと言えるはずもない。 それを言うか言わないか、そんなことは個人の自由で、 ちゃんと紹介されなかったことについては多少傷つかないでもなかったが、人にはそれぞれ事情があるのだ。

「真由美、その荷物……」

今気づいたように、真由美の肩に掛けられた大きなスポーツバッグに視線を落として田嶋は言った。 やっぱり田嶋も気づいたらしく、尤もこんな大荷物、気付かない方がおかしいか。

「今日から春休みだから、お兄ちゃんのところにしばらく泊めてもらおうと思って」
「……お前、なんにも言わないで突然来て……。同居始めたんだから、前見たいには気軽に来れないって言っただろう?」
「言ったらお兄ちゃん、断るでしょう?」
「それは……」
「だって、お兄ちゃん、最近家にも滅多に帰ってこないし……会いたかったんだもん」

ショボン、と急に俯いてしまった真由美を見て、田嶋は正直困ってしまった。こんな顔をされては帰れとは言えないではないか。 助けを求めるように同居人を見たけれど、田嶋に気づかれないような姑息さで、こちらへ目配せして舌を出した真由美に桂木は苦笑した。女ってすごい。

「いいんじゃねぇの、田嶋の妹なら歓迎するけど?」

面白そうだし…と、気を抜くと大爆笑してしまいそうな笑いをこらえて、桂木は右手を口に当てたが、田嶋はさらに困ったような顔をする。

「……すいません」
「別に謝るようなことじゃねえだろう。まあ、ゆっくりしていってよ」
「本当に?ありがとうございます!」

弾けるような笑顔に思わず桂木の顔も笑顔で緩んだ。同じ兄妹でありながら、なんでここまで性格に差が出るかな。田嶋が喜んでいるようで、なんだか嬉しくなってきた。

桂木は別に女嫌いというわけではない。性的な反応が男にしかないだけで、女性にはずいぶん優しい。尤も、小動物に接するような気持ちと良く似ているという事実は、多くの女子社員には結構ナイショだ。

単純に喜ぶ真由美とは正反対に、大きなため息をつく田嶋に桂木は言った。

「田嶋、俺もうちょっと仕事残ってっから、先に帰っといてくれ。遅くなる」
「商談、まとまったんですか」
「数は多くないけどな」
「…取っ掛かりになるといいですね。あ、三好にも言ってありますが机の上に……」
「見積書?ん、見とく。じゃあまた後でね、真由美ちゃん」

そう言って軽快な笑顔を浮かべた桂木は、田嶋がやってきた方向とは反対方向の雑踏に紛れていった。

 


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