想いのカタチ

桂木が渾身の思いを込めて、恥ずかしながら買った指輪を田嶋に渡したあの日から、更に1週間が過ぎ去った。

自分の想いの丈のありったけをぶつけたと言うのに肝心の田嶋ときたら!嬉しそうな顔どころか礼の一つもありゃしない。少し驚いたような顔をしたことはしたが、すぐさま目を細めて桂木の顔を見返した田嶋は、あっさりと一言言ったかと思うと、指輪を嵌める様子は微塵もなく、いきなり羽織っていたコートのポケットに『桂木の想いのカタチ』を無造作に突っ込んでしまったのだった。田嶋の性格上、別段甘い期待を抱いていたわけではなかったが、これはちょっと酷すぎる。

桂木は今日、何度目かのあの日の情景を思い出して、軽く舌を鳴らした。

花丸ビル3階の閑散とした営業部のフロアで、机の上には殺伐と見積もり書の書類を散らばらせたまま桂木は、両の腕を頭に回し、背もたれにふんぞり返るように持たれかかった。ギシッと椅子が悲鳴をあげて、桂木はチラッと斜め向かいに座っている、身体の付き合いだけは充分過ぎるほど深い恋人に視線を送る。田嶋はそんなあからさまな桂木の視線なんかに、さも気づいてもないという風に、机上の書類に難しい顔をむけたままだった。

『どうも』 だあ?誰かに物を貰ったらまず礼を言えと親や教師から教えて貰わなかったか?

桂木はだるそうに身体を起こすと、今度は右手で頬を支える。田嶋の手には無論、どの指にさえもなんの飾りもつけられず、桂木は思わず睨むように目を細めた。

「…………」

……まあ気のせいかもしれないが、その日の晩はいつもより激しかったような気はする。気はしたが……いいや、きっと気のせいなんだろうさ!

桂木は頬を支えていた右手を、重苦しいため息と共に傾けた額に滑らせ、少しかかった前髪を掻き揚げた。なんだかよくわからないけど、イライラする。

桂木は田嶋の心が分からなくなってきていたのだった。恋にかけては百選練磨の色男も、本気の恋には初心に還える。 もしかして舞い上がってる俺はもう用済みってこと?

そこまで考えて、桂木はその恐怖のあまり、頭をブルブルと小刻みに2、3度振った。おいおい、笑えないぜ……。

相手に自分と同じ程度の愛情を示せ!と、そういうつもりはさらさらないけど、ここまで愛想が無いとくればホントにどうだか分からない。俺らはほんとにステディか?

恋愛は一番最初が肝心なのだ。なのにこんなしょっぱなからイニシアチブを握られまくりで、恋愛の達人ともあろう桂木様が形無しもいいとこだ。まあ2、3日に一度はある関係に、そんなバカなと思いつつ、それでも桂木の不安は募る一方だったのだ。

 

*    *    *    *    *

 

桂木がモヤモヤとした気分で過ごしたその週の、当の田嶋は、というと…………実はかなり困惑していた。

あの桂木からまさか指輪だなんて、そんな大それたものを貰おうとは夢にも思ってなかったのである。一体どういうつもりでくれたのか。

そりゃあ、田嶋だって桂木ほど恋愛経験は豊富ではないにしても、27の立派な青年男子である。個人によって多少の価値観の違いはあるだろうが、指輪を贈るという行為が、最低限どんな気持ちで、ということぐらいは十二分に知っている。嬉しくないといえば嘘にもなるが、それでも相手はあの桂木なのだ。

(早速、他の男とよろしくやった、とか)

眼下に広がる屋上の景色をフェンス越しに眺めながら、田嶋は口につけていた煙草を離して煙を吐いた。12月の屋上は、寒い上に風が強くて田嶋が吐いた煙はたちまち糸のように細くなって流れていく。そんな様子をぼんやり見ながら田嶋はスーツ下のズボンのポケットに右手を突っ込んだ。指の先には丸い輪っかの金属の感触。

もうそろそろひと月にもなるのだから、そんなことがあったとしても全然一つもおかしくない。今までの経歴を考えるとないほうが不思議なぐらいだ。それなのに、最近の桂木の周りときたら奇妙なまでにクリーンで、田嶋のような男から言わせると、それはそれで大変結構、気味が悪い。

別に田嶋は浮気を推奨するような変わった神経の持ち主ではなかったが、こういう特殊なものを貰うとついつい、そういう方向に疑ってしまうのだった。桂木と、こんな夢のような関係がそんなに長く続くとは、到底田嶋は思っていない。

(習性、か)

田嶋は自嘲気味に淡い笑いを浮かべると、ポケットから抜き出した右手を空にかざした。人差し指と、親指に挟まれた指輪の真ん中から空が見える。当然のことながら指輪は柔らかな、完全系である円の形をしていて、言われてみれば愛のカタチと取れないことも、まるでない。そうか、愛ってこういう丸いカタチをしているのか、と柄にもなく思ったりもする。

(バカなのか、ロマンチストなのか……)

ガタン、と戸口でドアの開く音がして、田嶋はサッと指輪をポケットに突っ込んで顔をあげた。

「よお」

ドアの向こうから現われたのは、この寒い時期に屋上で会っても別段意外でもない総務部の上島洋介だった。軽く右手を挙げて田嶋の横につけると、まずは1本、と上島は胸の内ポケットから愛煙してる『ゴールデンバット』の箱を取り出しす。

「休憩」

ニヤっと笑って両手で囲むように煙草に火を点けると、上島はゆっくりと最初の一口を深く吸う。田嶋の方へ視線を向けると、上島は改めて口を開いた。

「最近どうよ」
「どうって……」
「桂木と上手くやってるか、ってことさ」
「さあ……」

まるで人の事のように返答する田嶋に上島は思わず苦笑する。ふと右手をポケットに、左手で煙草のフィルターを持ったままの不自然な格好の田嶋に気がついた。

「おい。その右のポケット、なんか入ってんのか?」
「あ、いえ。別に……」

とそこまで言って、田嶋は視線をコンクリートに向けたが、3秒待って顔を上げた。

「実は、主任から指輪を貰ったんです」
「指輪ぁ!?」

上島は驚いたように、素っ頓狂な声をあげた。田嶋が差し出した右手のひらに、確かに確かに、細い銀の指輪がちょこんと乗ってある。それをまざまざとした視線で見ながら上島は

「やること早ぇなあ……つか、アイツがねぇ……」

感心したように声を洩らした。こりゃあ、いよいよ本気ってことか。

「はあ、でも一体どういうつもりなんだか……」
「どういうつもりって?」
「や。何かやましいことがある、とか」
「やましい……」

それを聞いた上島は、少し呆れたような顔をして言った。

「何。お前、本気でそんなこと言ってんの?」

それを聞いてもまだ尚、田嶋はまだよく分からないといったような顔をする。それを見た上島はますます笑いをこらえるのに苦労した。桂木のような好色な男に、全ての愛人と手を切るまでさせといてこの有様……。

(あの男にこの男、か。苦労するなあ、桂木も!)

気持ちがちっとも伝わってなんかいやしない。

もともと田嶋というのは自分の魅力をまったく気にしていないところがある。いや無頓着ともいうべきか。自分がこの指輪を正当に貰う権利がない、と思っているのだ。ひとしきり笑いが収まった後、上島は続けて言った。

「俺は桂木ともう6年の付き合いになるけど、アイツが他に指輪なんて送ったの一回も聞いたこともないぜ?」
「俺も知りません」
「大体アイツ、指輪とか嫌いだし」
「え……」
「貰ったり贈ったり、軽薄そうに見えるから嫌なんだと。今でも充分軽薄じゃねぇか。なあ?」

上島は笑いながらそう言ったが、それじゃあ一体桂木はどういうつもりでこの指輪を自分にくれたのか、ますます分からなくなった。眉間にしわを寄せた田嶋の顔をチラリと見ながら上島は続ける。

「まあ、指輪っていうのは結構特別なもんだから、別に他意はないんじゃねぇの?」
「他意……」
「軽薄そうに見える自分の愚かな行動にも気づかない! よっぽど惚れてんだろ……」

と、笑いながら煙草を口につけようとした上島の動きが一瞬止まった。目の前に立つ田嶋の顔が、首のあたりまで真っ赤に染まっていたからだ。視線は横を泳いでいたけれど、上島のその言葉に反応したのは明らかに確かだった。

動きを取り戻すまでやや3秒。その後、上島は何事もなかったかのように、まるでビデオの一時停止を解除されたテープのような自然な流れで、煙草を口に咥えたのだった。

「まあ、もちっと信用してやれよ。恋愛はもっと肩の力を抜いて楽しむもんだぜ」

そう言って上島は、携帯灰皿に煙草を押しつけると、灰皿の蓋をパチンと閉めた。内ポケットにそれをしまいながら、田嶋の前に歩み寄ると、右手でその肩をポンと叩いて、そのまま横を通りすぎる。田嶋はその場を動けなかった。ゴウっと風が一つ吹いて、田嶋の前髪を散らす。

5秒もしない間に、屋上の扉がバタンとする音が聞こえて、田嶋は一人その場に立ち尽くした。左手に持ったフロンティアの灰がボロボロっと、コンクリートの上に落ちる。

田嶋は桂木が浮気しようが、他の男と寝てようが、そんなことはどうでも良かった。桂木が自分の事を好きだと言ったあの一言で、これから先の全てを無条件で受け入れることが出来る。例えそれが別れでも。田嶋はただ、今回の桂木の真意を知りたかったのだ。

桂木のことはきっと自分以上に上島が一番良く知っていると田嶋は思う。尤もそれを言ったところで上島は迷惑そうな顔の一つもするのだろうが。その上島がそこまで言うなら、やっぱりそれはそうなのだ。今の困惑に満ちた田嶋の見解よりも、冷静な第三者である彼の判断の方がよっぽど正確で理知的だろう、と。

だとすると。

田嶋はフェンスに右手をかけて、屋上の風景に視線を落とすと、無表情にも見える、それでもなにかを決心したような表情で、ゆっくりと目を細めた。

ちょっとの間だ。少しぐらい溺れてしまったって、そんな大層なバチは当たらないだろう、と田嶋は少しだけ。ほんの少しだけそう思ったのだった。

  


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