日中は人間が出払って閑散としている花丸商事の営業部だったが、朝一番は流石にほとんどその面子が揃っている。そんな朝のひととき、一言ポツリと洩らしたのは入社3年目になる三好だった。

「なあ。桂木さん、なんかここ最近おかしない? 」
「うん、変かも……」

 隣に席を並べる西郷の相槌と、関西弁のニュアンスが利いた三好のヒソヒソ話が耳に入る。目だけでチラリと二人を追って、すぐに視線を元に戻した。

(確かに、変だ……)

 そう、確かに変なのだ。口元に手をあてて、手元の書類を見るふりをしながら田嶋は目を細めた。チラリと、今度ははす向かいの席に座った桂木に視線を移すと、またため息なんかをついていて、ついでにいうと今日は何回目のため息だろう。

(102回目か)

 などとストーカーのような細かい情報を、いちいち田嶋が収集しているわけはない。思ってみただけだ。

 しかし部署で一番近いところにいる田嶋にも今回の桂木の突然の異変は一体何なのかよく分からなかった。それにしてもあの覇気のない顔、やる気のなさ……いつもの桂木からはまったく想像だに出来ない。

(いずれにしても色恋沙汰ではないのか)

 田嶋は漠然とそう思った。

 だいたい桂木という男は節操がない上に、田嶋が知っている限りでも誰一人として真剣に付き合った例がない。いくらなんでもこんなに憔悴するほどご執心の男がいれば田嶋だって気がつくだろうし、それに桂木が持っている沢山の男の番号がつまったプライベート用の携帯。あれがここ数日、全然登場してこないのだ。だから今回の桂木の憔悴ぶりにはなにか、もっとこう、別のものがある気がするのだった。

(ま、俺なんかが気にしても仕方がないし)

 田嶋は桂木から視線を外すと、手元の書類にその関心を移した。全く問題の多い人だな、と、そこまで思って田嶋は長いまつげを静かに伏せた。


*    *    *    *    *


 佐野から古久保の話を聞いたあの日から、すでに2週間近くが経過しようとしていた。肝心の桂木は、というと未だに検査を受けていない有様で……いや、受ける勇気が出なかったというべきか。結局結果が恐いのだ。

 もしも結果が陽性だったら?

 その度に いや、まさか と曖昧な否定の言葉で必死に疑惑を打ち消してきた。あの日から毎日これの繰り返しで、足元の不安だけがじわじわと心の中に広がって行く。それを、どうしても止める事が出来ずにいるのだ。いつもは飄々とした楽観的な性格も、死に対する人生を達観出来るほど老成してはいない。

 ネット・書籍。エイズに関するものなら何でも手当たり次第に目を通した。もはや知識だけなら立派なエイズ博士である。もちろん、個人レベルの範囲において。が、シロである証明を病院にも行かず、個人で出す事は不可能に近かった。自覚症状のない病気は、どこまでいってもグレーゾーンなのだ。



(だるい……)

 カーテンの隙間から入ってくる光は、外がかなりの快晴だという事を告げているのに、そんなもの今の桂木の胸を晴らす光明には少しもなりはしなかった。いくら外が晴れていようが、心の中の疑惑には、ちっとも響いてこないのだ。何も出来ない時間の経過が一層桂木を焦らせる。いつもはデートに忙しい休日も、あいにくそんな浮かれた気分には到底なれはしなかった。ベッドから起きる上がる気力すらない。

 生活もこの2週間は素晴らしく荒んだ有様で、昨日の金曜なんかは入社以来一度もした事のない無断欠勤をとうとうしてしまったのだった。尤も田嶋が早々に電話をかけてきてくれて、何とか風邪という処理をしてもらったのだが……自己嫌悪にも陥って、はなはだ悪循環極まりない。

 その時、突然に玄関のチャイムが鳴った。誰……と思いかけて、桂木はそこで思考を停止させた。きっと新聞の勧誘か何かだろう。応対するのもめんどくさい。

 無視を決め込んで枕に顔を突っ伏すと、ピンポンピンポンと続けてチャイムが2回押された。それに出ないとなると、更にけたたましいチャイムの連打音が。そのうちそれが、実際にドアを叩く音にとって変わって、更にドアの外を騒々しくさせる。その上しつこいドアの向こうの人間は一向に去る気配がなく、それが無気力になっていた桂木をこの上なくイライラさせた。

(うるさいな……)

 いつまでもこうドアを叩かれたんじゃあ近所迷惑もいいとこだ。こんな状況であるのに、近所の迷惑まで心配できるという事は、まだまだ頭は冷静な判断を下す事が出来るらしい。そんな事、今の桂木にははちっとも自慢になりはしなかったが、ノロノロと身体を起こすと力なく玄関に向かったのだった。いつもの爽やかな笑顔は消え、今の桂木の人相は機嫌と同じですこぶる悪い。一体誰だ? 

 玄関の前に立つと、まだガンガンとドアを叩く音が忙しなく聞こえて、何か一言言ってやらないと気が済まない。桂木は怒声と共に、勢いよく玄関のドアを開けた。

「こらっ、うるせぇよ……ぅおっ! 」

 玄関を開けるとかなり待たせたりしたからか、ひどく不機嫌な顔で田嶋が立っていて、桂木は思わず頓狂な声を上げた。田嶋がこんな風に何の連絡もなしに桂木のマンションを訪れるなんて事は、3年前のあの日以来な気がしたからだ。尤も、思わず声を上げてしまった程の驚きはそんなところではない。なんで田嶋が。

「やっぱり居たんですね。ドアもしつこく叩いてみるもんです」
「……何しに来た」

 声を低くした桂木に対して田嶋は臆する様子もなく、いつもの真っ直ぐな視線をその目に向けて返した。

「何しにってご挨拶ですね。見舞いに決まってるでしょ」
「見舞い? 」
「ええ、金曜は無断欠勤未遂。覇気のない声してたからよっぽど具合でも悪いのかと思ったんですけど……」

 言いかけて田嶋は言葉を切った。この世の終わりのような顔をして、もう昼過ぎだというのに桂木はまだパジャマのままだ。幾分痩せたように見える体と、口周りにはうっすらと無精ひげまでご丁寧に生やしてなんかいて、無気力具合が垣間見える。

 田嶋はそんな桂木を一瞥して無表情なまま目を細めたが、それにしても一体何をしに来たのか。よりにもよって田嶋は、桂木が今一番会いたくない人物だったのだ。

「相当具合悪いんです? 」

 実際悪いのは身体じゃなくて、まず精神の方なのだけど。

 田嶋の言葉に鬱陶しい、といった面持ちで桂木は頭をかきむしりながら、視線を逸らせてこう言った。

「別に。金曜は気が乗らなかったから休みたかっただけだ」
「へぇ」

 イチイチ、感に触る言い方をする。そんな態度に軽く舌打ちをしたけれど、田嶋には通じない。かと思うと、ドアを塞いでいる桂木の肩に手をかけて、グッと中に押し込んだ。そのまま続いて自分も入って、内側から鍵をかける。

「お、おいっ……! 」

 慣れた風にさっさと玄関に靴を脱ぐと、そのまま真っ直ぐ、突き当りのリビングに続く廊下に田嶋はズカズカと上がりこみ、その図々しさに桂木は不愉快な表情を隠さない。いつもの事なのに今は―――……一刻も早く帰って欲しかったのだ。

「ちょっ、何だよ、勝手に……」

 慌てて後ろを追いかけた。一体、ホントになんだっていうのか。と、思っていたらば、桂木に向けられていた田嶋の背中が、ふいにリビングへ続くドアの前でピタッと止まった。

「あんたね、一応心配してんですよ。これでも」

 背中の位置はそのままに、田嶋は顔だけ横に向けて目線を寄越した。心配だって?心配を掛けないように隠しているのに、何故だか心配されている。なんだか可笑しな話だと桂木は思った。

「仕事中、ぼんやりしてるし」

 言いながら田嶋はゆっくりと振り返って、身体を桂木に向かって真正面に立てた。割と気に入っている同じ高さの目線で向かい合うと、いつもの田嶋の素っ気ない表情が目の前に。

「タバコ吸いに屋上に行ったと思ったら一本も吸った形跡がない。加えて1日中ため息をついてるわ、休むくせして電話の1本も寄越さない。普段のあんたを知ってるんなら、心配しないって人います? 」

 言われてみたら、そりゃまあ、確かに……。

 桂木はチッと舌を鳴らすと、バツが悪そうに目線を逸らした。

「関係、ねーだろ……」
「大有りでしょ! 」

 遮った大声に一瞬引いた。いや、声に驚いたというよりは、その表情に。関係を持って3年間、田嶋のこんな顔見た事なんか一度もない。目の前に立った田嶋の顔には、明らかな怒りの色が浮かんでいるのが見てとれた。こんな表情、できたのか。

「あのね、あんた俺らのチームリーダーでしょう。具合が悪くないんだったら、役割、ちゃんと果たして下さい。この前みたいなあんなギリギリなの、もうごめんですよ! 」

 なんだ仕事の心配か。田嶋らしいといえば田嶋らしい。が、正直、少しばかりがっかりしたのは言えない事実だ。

「……わりー……」

 俯いて、小さな声で呟いた。前回のゴタゴタで、一番迷惑をかけたのは誰でもない。目の前のこの男だ。

「ちょっと」

 田嶋の声に桂木は少しばかり顔を上げた。と、いうか、上げてる途中で視線に気づいた。

(近……)

 首を傾け下から覗き込んでいるその顔のその距離に、桂木の心臓がバクッと、大きな音を立てた。

「体調でもないとしたら、悩み事でもあるんです? ひどい顔してますよ」
「え……」

 指摘されて初めて気付いた。言われてみれば不安を抱えてからまともに食べ物を口にした記憶もないし、夜もよく眠れていない。疲れきったその顔は、見た目にも異質なほどだ。『病は気から』とはよく言ったものである。尤も自分がこんなに小心者だったとは今の今まで気づかなかった。

「悩みあるなら言ってくださいよ。解決出来ないまでも、話すだけで気分は軽くなるでしょうから」

 そうだ、一人で抱えてるからダメなんだ。淡々とした表情とは裏腹な田嶋の優しい声と言葉に頑なだった桂木の心はほだされた。言ってしまえば、楽になるかもしれない。言って、しまえ。

「あ……、!」

 口から出た掠れた声に、瞬間、我に返った。

(なじられるか、軽蔑されるか、それとも……)

 先日、田嶋に知らせようとして頭をよぎった事。それとも? 

 ……それとも、今度こそ愛想を尽かされて桂木の元を離れて行くか。

『去るものは追わず』、の桂木のモットーから著しく外れていたが、それはどうしてなのか。自分の事で手一杯になり過ぎてそこまで頭が廻らなかったのだけれども、土壇場で気が付いた。田嶋は、特別なのだ。

 逸らした目が、桂木の拒絶感を顕わにして思わず田嶋を不快にさせた。

「だんまりですか? 」
「…………」

 視線を合わそうとしない桂木に田嶋は低い声で焦れたように言った。桂木の態度も気に入らないのだろう。珍しい……というよりは、見るのはこれで2回目だ。田嶋の目に怒りの色が浮かんでいたのだ。

「あのね、大体アンタは……」

 声を荒げた田嶋の視線が廊下横の、開いたドアの先の床に散乱した書籍に止まって言葉が途切れた。なんだ? 田嶋の視線は書籍にクギ付けになったままだ。

 言いかけて止まった動作に怪訝な顔を浮かべた桂木は、その視線の先を眼で追った……ら。

 しまった! 

 その状況を理解するのに一秒すらもかからなかった。散らばった本はエイズ関連の書籍で、勘の鋭い田嶋の事だ。誤魔化しなんか効くものか。

 目の前の桂木をスルーして、田嶋は開いたドアの向こうに断りも無くズカズカ入ると片膝をついて散らばった書籍の一冊を拾い上げ、無言でそれをじっと見つめた。

(俺のバカ……!)

 なんで片付けとかなかった!尤も、問題はそんなところでもない。

 桂木は苦悶の表情をしばらく浮かべたが、覚悟を決めたようにゆっくりと目を閉じて、も一度開いた。腹を括れ。

「田嶋、その……」

 言葉を発したと同時に立ち上がった田嶋の背中にタイミングを逸して言葉を切った。なじられるか、軽蔑されるか、それとも……。桂木はゴクッと喉を鳴らした。

「えーっと……」

 なにやら変な汗でもかきそうな勢いだ。というか、もう既にかいている。田嶋の背中がゆっくりとこちらを振り向き、真正面から目が合った。

「あ……」
「検査で陽性とでも出たんですか?」
「! 、え、や……」

 桂木は思わず口ごもった。なんつー直球で聞いてくるのだ。田嶋ときたら、そんな事はおかまいなしに更に言葉を投げてくる。

「出たんですか?」
「…………」
「出たんですかって聞いてるんです」

 3回目は威圧感満載の、低くて冷たい声だった。ああ、本当にもう。

 真っ直ぐになんか見ていられない。桂木はバツが悪そうに田嶋から視線を逸らすと小さな声で呟いた。

「……まだ、受けてない……」


*    *    *    *    *


 田嶋一臣という男は本当に底が知れない。

 事の経緯を話したあとも取り乱す事もなく、淡々と桂木の話に相槌を打ち、ときには冷静な質問を浴びせ返したりときたもんだ。桂木といえばその間中気が気でなく、もしかして当事者になるかも知れないというのにも拘らず、ここまで冷静である田嶋の方が返って不気味な存在に見えてきた。

「……で、結局検査は受けてないと」

 リビングにあるソファに腰かけた田嶋が、その目の前に申し訳なさそうにちょこんと正座してる桂木をジロッと睨んだ。

「アンタほんとに何やってるんですか」

 まさか散々やるだけやっといて、検査の結果が怖くて行けなかったなんて言えやしない。桂木は沈黙を守ったが、それに対する田嶋のコメントは冷ややかであり、痛烈でもあった。当たり前だ。

「病気が怖いんなら男漁りはもうやめるんですね。子供じゃないんだから、それなりのリスクがある事は充分分かってるハズじゃないですか」

 田嶋はある種、軽蔑にも似たような視線で目を細めると、更に続けた。

「『病気が恐くてホモがやれるか』。エイズで死ねりゃ、本望でしょうよ」

 はっ、と吐き捨てるように言った田嶋に桂木は、「うん」とも「すん」とも、返す言葉が一言も出ない。全く持ってその通りだからだ。それなのに、田嶋ときたら一通り説教じみた事をくどくど言い終えた後、最期に一つ。苦笑を浮かべて言ったのだった。

「しようのない人ですね。一人で悩んで、怖かったでしょう? 」

 目を真っ直ぐ合わせて言った田嶋に、桂木の胸は大きな音を一つ立てた。田嶋という男はなんでこんなに人の弱いところを突いてくるのが上手いのか。しかもすこぶる優しい声と顔をして言うものだから、こんな時に本当に不謹慎ではあるけれども、めちゃくちゃキスをしたくなってしまった。だがしかし。

 桂木は俯いた。

 キスなんかでエイズは感染らないのは常識だけど、なんだか田嶋に悪い気がした。田嶋に非はない。それどころか、とばっちりもいいとこだ。が、その時。

 桂木の気持ちが通じたのか、それともかなり物欲しげにでも見えたのか。ふいに正座した膝に置かれた桂木の手の甲に、田嶋の左手が重なった。驚いて顔を上げるともう目の前に、膝をついた田嶋の顔が。近いなんてもんじゃない。

 重なりそうだ……、と思った瞬間、見た目より少し柔らかな田嶋の口が、桂木の唇にそっと触れた。

「……」

 口先がほんの少し触れるだけのささやかなキスであったのだけれども、桂木の気持ちを満たすには充分な口付けだったのだ。

 スッと唇が離れると、田嶋の瞳が真っ直ぐにこちらを見据えて、その表情に桂木はひどくやられた気分になった。

「……俺は、そんなにもの欲しそうな顔をしていたか?」
「いえ、特には。俺がしたかっただけで」
「!」

 桂木は瞠目した。今この時、こんな状況、こんなタイミングで、最大級の殺し文句だ。桂木の胸はかなりの好手にときめいていたが、対した田嶋はシレっと何もなかったような顔なんかしている。

 桂木は苦い表情を淡く浮かべてこう言った。

「……お前さあ、感染《うつ》ってるかも知れないんだぜ? ちょっとは動揺しろよ」
「別に。予測出来ない範囲じゃありませんし」

 これは……、ビミョーだな、と桂木。尤も、否定出来る立場にはいない。

「まあ俺の方こそ自己責任ですよね。確率がゼロじゃないのを知っていてゴムも何もしなかったんですから」
「お前……本命でもない男と寝て病気になって死んだりしたら、親が泣くぞ」
「男なんかと寝てる時点で卒倒もんでしょうよ」

 違いない。思わず桂木は口を歪めた。もちろん、笑える方向で。

 目の前に座った田嶋の顔をじっと見て、桂木はその腕をそっと掴んだ。

「なあ」
「はい? 」
「……俺が陽性だったら、どうする? 」
「別に。それで尽かすような愛想持ち合わせてるわけじゃありませんし」
「……」

 それは、どういう意味かな?興味あるのかないのか。好意を持っているのか関心ないのか。量りかねる。

 と、そこまで思って桂木は我に返った。田嶋の放った駆け引きに胸をときめかせてる場合じゃない。そもそも駆け引きなんて楽しめる立場か! 

 うーん……と、首をうなだれた桂木を見て、田嶋が一言。

「大丈夫でしょ。『憎まれっ子世にはばかる』って言いますし」
「……あのなぁ」
「いや、ホントの話。あんた他に性病とか持ってないんでしょ?だったら確率的にグッと下がるじゃないですか」

 事実、他の性病に感染してるのとしてないのでは、感染率に大きな差が出る。だが、ご時世的にそんな目新しくも無い病気に、ちょっとマニアック過ぎるマメ知識だ。

「だから大丈夫ですよ。きっと」

 暖かな手のひらが励ますように肩から背中にすーっと流れた。田嶋が言うと本当に大丈夫な気がしてくる。一人じゃないっていうのは、多分こういう事なんだ。

 途端になんだか、この2週間死ぬほど悩んでいた事が急に現実感を失って色褪せていくような気持ちになった。そうなると急に腹が空いてきて冷蔵庫を開けてみたが中身はすっかり空っぽで、ドアのポケットに調味料の類ぐらしか入ってやしない。後ろからそれを見ていた田嶋が、持ってきたカバンから白いナイロンの袋を取り出して無造作に桂木に渡した。あの様子からみて何も食べてないだろうと思い、コンビニでおにぎりを買って来たのだという。

「お前、いい嫁さんになれるなあ」

 ほとほと感心したように桂木がそう言うと、田嶋は思わず仕方ない人、と言うような感じで苦笑した。嫁さんだって? 男の田嶋にそう言われても困ってしまうのだが、桂木は心の中ではこんな出来た嫁さんなら是非欲しいと本気でちょっと考えた。

「食べたら風呂でも入ってきなさいよ。できればその髭もね」
「髭?ああ……キライ?」
「別にどっちでも良いんですけど、アンタは剃った方が男前……いや、単に俺のタイプなんで」

 俺、一生髭伸ばさない……と、桂木が思ったかどうかは知らないが、かなりの率で胸キュンものの発言だっただろうと思う。田嶋はクールでドライで笑顔の一つも見せないクセに、時々、超狭いストライクゾーンのど真ん中に狙って入れてくるような事をサラリと言うから結構注意で侮れない。ああ、でも。

(コイツのそーゆーところが、たまらなく好きかも……)

「………何してんですか、気色の悪い」

 気持ちが高ぶって、つい、台所で茶を入れる田嶋の背中に抱きついて顔をうずめていたらしい。眉間に皺を寄せたまま、冷たい視線が桂木に振り注いでいた。

 
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