「なあ、お前ホモなの?」

 自慢のダブルベッドの上で前回宜しく、タバコを吸いながら口を開いたのは前回宜しく、営業部の桂木圭吾だった。ベッドの上から、と、そう言っている以上はそういう行為の後である。

 誘ったのは意外な事に桂木の方だったのだけれど、田嶋がそれにあっさり応えたものだから、世の中一体どうなってるんだか。

「さあ。男が特別好きってわけじゃないですけど……それがなにか? 」
「……なんでもない」

 変なヤツ、と桂木は思った。ベッドの上ではかなりの乱れ具合だったのに、行為が終わると、えらく冷めきった顔をする。身体を重ねるのは実質2回目だったけど、酒の上での不祥事……もとい何も覚えていない桂木には初めても同然だった。

 それでも最初に思ったとおり、顔はもとより田嶋の身体は結構な好みのタイプで、それに酷くそそられた。感度の良さも抜群で、どうやら身体の相性はすこぶる良いらしい。同時に男は初めてじゃないんだな、とも思った。尤も初回の冷静な反応からみて初めてと思うのもどうかしている。

 もともと社内にこういう関係を持ち込むのを非常に嫌っていた桂木だったのだけれども、その後の応対どころか、人柄そのものが素っ気ない田嶋に俄然《がぜん》興味が沸いてしまった事と、毎日顔を合わせているのに、あの夜どういうセックスをしたのか覚えていないなんて、なんとなく損なように思えて翌週の週末に我慢できずに誘ってしまった。なにより、田嶋は上島と雰囲気が少し似ている。そういうところも気に入った。特定の関係になるかならないかはおいといて、桂木はこういう素っ気無くも堂々としたタイプの男が好きなのだ。

 そんな桂木の誘いに田嶋は特に深く考えたようでもなく、あっさり即答で『いいですよ』。

 誘っておいてなんだけど、これには桂木の方が驚いた。ちょっと危ない男かも。尤もそんな事、桂木になんかに言われたくはない。と、今に至る経緯《いきさつ》をそこまで思い出して、桂木はバッサリ思考を停止した。

 カチッと隣で、田嶋がタバコの先にライターで火をつける音が聞こえたからだ。初めて関係を持った同じベッドの上で、すましてタバコを吸い込むその様はえらく整ってなんかいて、思わず目を奪われる。

 タバコがちょうど半分までの長さになった時、田嶋は吸っていたタバコを枕もとの灰皿に押しつけるとおもむろに立ち上がって、脱ぎ散らかされた衣類を早々と着始めた。

 白いシャツが鮮やかな早さで、露になっていた田嶋の肌を隠していく。ああ、勿体無い……と、流石に口には出さなかったけど、その余韻もへったくれもない様子に、桂木はいつもなら滅多に聞かないような事を口にした。

「もう帰んの?」

 その言葉を聞いて桂木の方を一瞥した田嶋は、会社でよく見せる無表情な顔立ちで素っ気無く返したのだった。

「する事はしましたから」
「する事って……俺とのセックス?」
「ええ」

 言いながら田嶋は何時の間にそこまで着替えたのか、ズボンのファスナーを引き上げた。ベルトを締める金属音がやけに桂木の耳を刺激する。素っ気なすぎもいいとこだ。

 桂木は吸っていたタバコをサイドテーブルの灰皿に押し付けると、田嶋に言った。

「なあ、また誘ったらこういうふうに寝てくれるわけ? 」
「さあ」

 目も合わさずにそう言って、田嶋は右袖口のボタンを止める。

「さあって」
「あんた、別に俺の事好きでもなんでもないんでしょう? 」
「まあ、知り合ったばっかだし……。けど、お前の身体、結構いい感じ……」
「あんたもなかなか素敵でしたよ」

 本当にそう思ってるか、それとも単なる社交辞令の一つなのか……スーツの上着を軽やかに羽織ると、田嶋はさらりとそれだけ言って頭を下げた。

「それじゃ失礼します」
「おうよ、ご苦労さん!」

 田嶋の公的な物言いに、桂木は思わずにこやかな笑顔でこう返してしまったのだった。なんという色気のない会話! まるで寝る事がビジネスのような、顔見知りの娼婦とその客のようではないか。ほんの十数分前まであんなに情熱的な一時《ひととき》を過ごした相手とは思えない。

 ポツンと一人っきりになったこの部屋で、桂木はテッシュでいっぱいになったごみ箱に視線を移した。

「……あいつも結構タフ……だよなあ」

 桂木は半分呆れたように苦笑した。



 3回目の関係を持ったのはそれから3日後だった。

 誘った時にはちょっと意外そうな顔をしたけれど、先日の行為は及第点だったのか、田嶋はすんなりとOKサインを出してくれたのである。

 繰り返し何度も言うが、桂木は寝る相手に困った事はない。そのテの場所にいけば相手をしたがるような連中はいくらでもいるし、電話1本ですぐさま段取りがつくようなセックスフレンドまで装備している。特別な感情もないくせに、誘うのは気が引けないでもないけれどなんとなく……田嶋を見てるともう一度お手合わせしたくなったのだ。

 その夜抱いた田嶋の身体も結構素敵で、なにより、会社では絶対に見せないような艶のある顔が印象的だった。

(うーん、田嶋みたいなタイプならオフィスラブもまんざら捨てたもんじゃないかも……)

 先日までの固い信念はどこへやら。3回目にしてこの豹変ぶり。桂木は思わず自嘲気味に笑った。田嶋なら別れた後も仕事に支障きたす事もなさそうだし、本命にしちゃおうかな、とか思ったり。

 本命といっても桂木の恋愛サイクルは極端に短い。というのもこの男、無節操というか、来るもの拒まずというか……悪い意味での博愛主義者なのだ。そのうえセックスが大好きで容姿端麗とくれば、ステディな相手がいようがいまいがお構いなしに、誘う連中が山ほどいる。結局、そこまで思い入れる前に相手が去って行ったり、セックスフレンドに収まっていったり。しかしそのセックスフレンドにしたって、入れ代わりが激しくて半年先には前の相手は大抵いない。携帯のメモリーにだけ、どんどん名前が溜まっていく有様で、そのほとんどを桂木は覚えていないのだった。

 そんな桂木も自分では決して飽き性ではないと思うのだが、つい目移りしてしまうという点においては結構浮気性かな、と多少の自覚があったりはする。

 気がつくと、二人が最初にベットインしたあの夜から3年という月日が流れていたのだった。


*    *    *    *    *


「田嶋。初田インテリアの受注、どうなった? 」
「さっき電話入りました。今月はほぼ決まりです。主任、あとそれと……」

 尋ねた事にはテキパキ答える。田嶋は桂木が最初に想像した以上に仕事が出来る男だった。と、いっても営業一課で桂木が率いてる社員は有能なものばかりである。しかしその中でもズバ抜けて良いセンスを持っていると桂木は思うのだ。粗くなく、細か過ぎなくソツがない。何より客のツボを突いた営業するよなあ、と。

「ま、俺が一から十まで教えてやった可愛い後輩なんだから当然といや当然かな」

 フフン、と得意気に口角を上げた桂木に、向かって右側の座席から田嶋の冷ややかな言葉が飛んできた。

「アンタね、謙虚って言葉をもう少し覚えた方がいいですよ」

 たまに出る田嶋のポツリという言葉は普段口数が少ないだけに、結構キツイ。目も合わせない上に、なにやら非難気にも聞こえてくる。

「ヘイヘイ、わーったよ。……ところで今晩、どう? 」
「どうって」
「お誘いの言葉だろ。俺んチ来る?」
「……どちらでも」

 無愛想に返事した。田嶋は大抵いつでもこうだ。アンタに特別な興味なんかないですよ、というスタンスを取ってくる。これが長持ちのコツといっていいものか。エンディングのないゲームをするように、盛り上がりには少々欠けるが結構ハマる。

 当時、先輩後輩だった間柄も桂木の昇進により上司と部下という関係に変化していた。しかし田嶋の素っ気無さは相変わらずで、桂木が主任となった今も、昔とさほど変わりない。

 その中で仕事をしていくうち、体を重ねていくうち、田嶋に関して気づいた事がたくさんあった。クールな事。それに輪をかけてドライな事。頭がやたらと切れる事。表情が少し乏しい事。ベッドの中では違う人物と思わせるくらいに乱れる事。特筆すべきは執着があまりない事。これは物に限らず人や、桂木に対してもそうなのだ。

 大抵桂木が誘ってそれに田嶋が応じるというのが定石だったが、特に恋人とかいうスタンスの付き合いはしていない。かといってただのセックスフレンドとも違う。プライベートだけでなく、ビジネスにも信頼を置いている田嶋は、もう少しランクが上だ。

 それでも、恋人なんかじゃなくったって身体を重ねればセックスフレンドだって愛を乞う。最中には甘い言葉を欲しがるし、情事の後にはスキンシップを取りたがる。人の事をとやかく言える立場ではないけれど、金で身体を買うビジネスでもあるまいし。

 しかし、どうも田嶋にはそういう部分の執着が欠落してるようでならない。だってそれを証明するような事件が過去に一件あったのだ。

 それは、桂木と田嶋が最初にベッドインした夜から数えて3ヶ月目に起きた出来事で、もちろん、ステディでもなんでもない。しかし、週に一回程度の関係だけは持っているのだから結構親密なものだと桂木は思っていた。思っていたのだが、実は違ったようなのだ。



 その夜、桂木は残業続きだった身の上から解放されて、久々に夜の街に繰り出した。わざわざこんなところに来なくても、桂木ほどの男ならステディな相手の一人や二人あっさり捕獲出来るだろう。が、敢えてそれをしないのが、この桂木という男のどうしようもないところである。尤も、桂木に言わせれば大した話ではない。男というのはゲイだろうがストレートだろうが種を蒔く。もともとが、こういう習性なのだ。遺伝子には逆らえない。

 そこそこ酒の入ったところで、声をかけてきた4人目の男と桂木は躊躇なくベットインした。田嶋とは違う意味で、非常にタイプの男だったのだ。程よい酒と、スリルのあるかけひき。たまらない。

 引っ掛けた男と情事を交わした場所は、桂木のマンションだったが、残業疲れと、週末という事も手伝って情事の後目が覚めたのはもう10時にも近い朝だった。下半身は比較的スッキリしていたけれど、寝たのはずいぶんと真夜中だったから無理に起こされた桂木としてはすこぶるに機嫌が悪い。起こされた原因は、朝っぱらから騒々しいチャイムの連打音だ。

(……だれだあ、こんな時間に……)

 こんな時間といっても朝の10時だ。別段非常識な時間でもない。隣に夕べの男がいないとチラリと脳裏をかすったが、寝ぼけた頭に思考がそこまで回らなかった。

 桂木は椅子に掛けてあったパイル地の白いガウンをはおると、欠伸をしながら玄関の扉を開けた。が、その瞬間、桂木の頭はすごい勢いで覚醒を遂げる事になる。立っていたのは他の誰でもない。田嶋一臣、その男だったのだ。

「たっ、たたたたたた田嶋っ! ななななな、何しに……! 」

 落ち着け俺! 

 意外な男の突然の訪問に、桂木は思わず頓狂な声を上げてしまった。慌てる桂木とは裏腹に、田嶋はいつもの端正なのに無表情な顔立ちで桂木の首周りを一瞥なんかしたりしている。

(……んん?)

 数秒後、その視線に桂木はハッとした。キスマークでも付いているのか? 

 桂木はゴクッと喉を一回鳴らして、ゆっくりと首元に手をあてた。昨日はそんなに激しかったかな……と、桂木は昨夜の自分の行動に思いを巡らしたが、その行動をさほど気に留める様子もなく田嶋は淡々とした口調でこう言ったのだ。

「おはようございます。朝っぱらからすいません。これ……」

 そう言って田嶋が差し出したのは1枚の社用封筒。中身は金曜の晩、桂木が作成した取引先の見積書のうちの1枚だった。

「月曜日は、相手先に直行するんでしょう?プリンターのところに1枚残っていたので」
「わ、わざわざ……?」
「差し出がましいとは思ったんですけど、ほら」

 見積書の金額欄に指を指す。

「一番重要な合計金額が抜けてちゃ困るでしょう。でもすみません」
「え?」
「お邪魔したみたいで」

 そう言って自分を通り過ぎている田嶋視線の先を桂木はゆっくり追った。後ろには昨夜の情事の相手が、丁度風呂上りのスタイルで出てきたところだったのだ。桂木の心臓は一瞬止まりそうになって、2回目の喉を鳴らした。

 こんなデリカシーのない対面があるだろうか!こんな失態、した事ない。

 いくらステディな関係でないとはいえ、こういの、あまりいい気分しないだろう。そんなの、桂木みたいな男にだって分かる。

 顔面蒼白な桂木を後目に当の田嶋といえば、さっさと踵を返してエレベーターの方へと姿を消して行ってしまった。残された桂木はただ呆然と。呆然とせずにはいられなかったのである。

(ああ……田嶋とはもうこれで終わりかも……)

 そっちかよ、という突っ込みは割愛させていただくが、桂木にしては珍しく去って行く者の後を追いたい気分だったのだ。なんといっても、田嶋のあの顔と身体、タイプ過ぎる。

 週末明けの会社で桂木が声を掛けると、田嶋はいつもどおりの淡々とした口調で応じて返した。ありゃ……。

 その反応に桂木は肩透かしを食ったような、それでも、多少の戸惑いを隠せない。躊躇《ためら》いがちに田嶋に尋ねた。

「なあ、こないだの事……怒ってる? 」
「こないだ?」

 チラっと目を向け、怪訝な顔で田嶋は返した。その態度、どう見てもあの日の事を怒っているわけではなさそうで、なんの事はない。桂木の言ってる事が何を指しているのかよく分からなかっただけなのだ。

 そんな田嶋に桂木は痺れを切らして、潜めた声を思わず荒げた。

「ほら、こないだ俺のウチに書類持ってきてくれたあの日だよ! 」
「ああ、あれ」

 その時、初めて思い出したような顔をした。

「別に、気にしてないですよ。アンタとは別に恋人同士でもないし……余計な詮索、して欲しくないでしょう」
「そりゃあそうだけど」
「俺だって同じです。余計な詮索、して欲しくありません」

 驚く表情を見せた桂木と視線を合わすと、いつもどおりの素っ気ない声と表情でこう言った。

「今までどおり誘ってくれれば、相手ぐらいはしてあげますよ。気がのれば、ね」

 この一件は桂木に、田嶋との距離を否応なく認識させた。考えてみれば「好き」だなんて言った事も言われた事もない。あるのは身体の関係だけだ。

 いろいろ考えてみたけれど、結局桂木は一つの結論に辿り着いた。田嶋は自分の事は大して好きではないんだろうな、という事に。

 それは多分誰に対してもそういう感じで、桂木が田嶋にとって特別でも何でもない事を痛感させた。以来、桂木の田嶋に対するスタンスは一定の距離を保つようになったのだ。

 もともと男好きの桂木は後腐れのありそうな相手とは関係をもたない。恋多き男と言ってしまえば聞こえがいいが、単に節操なしのワガママ男なだけである。そういう相手に、この田嶋という人物はある意味うってつけだった。

 束縛しない、嫉妬もされない。詮索はお互いにとってもってのほか。求めたときだけ身体を開くような、そんな都合のいい存在。しかもその顔と身体は極上ときている。桂木のような男にとって、これ以上居心地のいい関係があるだろうか? 多分二度とは巡り会えない。



「風呂先に入る?」

 玄関を入った奥のリビングで、桂木は上着を脱いでソファの背もたれにそれを掛けた。

「いえ、後の方がいいです。合理的で。それよりさっさとしましょうよ」

 そう言って田嶋は桂木のネクタイの結び目に人差し指をひっ掛けて5センチほど引っ張った。スーッとネクタイが少し緩んで、目の前に顔が近づく。

「ムードのない男だな」
「ムーディーな方がいいですか?できませんけど」

 もう数センチの距離から涼しげで、真っ直ぐな視線を逸らさない。

「いや、どうでも……」

 いい、と言い終わらないうちに桂木は唇で田嶋の口を塞いだ。

 別の男とすればいい、なんて当て付けがましい言い方は田嶋はしない。そういう所がとても好きだ。
 触れるだけのキスを2回すると田嶋がゆっくりと口を開いて、桂木は誘われるまま口内に舌を滑り込ませた。

「ん……」

 お互いの唾液の音に混じって洩れた田嶋の小さな声が耳の鼓膜を刺激する。興奮で息が少し上がってきたところで、桂木は口を耳元に寄せるとフッと息を吹きかけて、耳たぶに軽く歯を立てた。

「あ……っ」

 小さく肩を竦めて、廻した両手に力が入った。こういう時、田嶋は思ってもないほど可愛らしい反応を示す。さっきまで余裕ですました顔をしていた男ととても同一人物だとは思えない。

 本当に、何回抱いても良い身体だよなあ、と、開いたワイシャツの襟元から露になった鎖骨に自分の痕跡を残しながら桂木は思った。

(でも田嶋って)

 田嶋って、本当のところ何を考えてるのか良く分からない。気のむいた時には寝てくれるみたいだけど、と、そこまで思って桂木は考えるのを止めにした。注意力散漫に、田嶋とナニをするのは勿体無い。

 桂木は掛けていたリムレス・フレームの眼鏡を微笑を浮かべながらゆっくり外すと、後ろのソファに田嶋を押し倒した。



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