彼との始まりは今にして思うと、かなりな確率で奇跡的な事だったのではないか、と、桂木は思っている。もちろん、 『運命』 という名の定義において。


 朝、目が覚めると自分のベッドに見知らぬ男が眠っていたなんていう事は桂木圭吾にとってはよくある話。しかし、今回に限っては『見知らぬ』、というのは少し語弊があったりした。何故ならそいつはこの春、4月1日付けで桂木の勤務する花丸商事・営業部第一課、しかも同じ営業班に配属された男だったからである。

 朝10時過ぎのベッドでうとうと開眼。正面、一番に飛び込んできた男の顔は寝起きのまだぼんやりした桂木の頭に、急速な覚醒を促した。平たく言えば、ショックで一遍に目が覚めた。ホントウに?

 桂木は右肘をそっと上げて、肩まで掛かったシーツの中身を注意深く確認した。うわおう……。

 シーツの乱れ具合といい、2人の格好といい。どうもこの男と関係を持ってしまった事は間違いなさそうだった。だって横で眠る男の首から肩からありとあらゆるところに、昨夜の情事の激しさを物語る生々しい痕が刻まれているのだ。何もなかったわけがない。

 その光景に信じられない、と、しばらく呆然としていた桂木だったが、そこでようやく一言発した。

「…………マジで? 」

 この桂木という男、いわゆるゲイで男と見れば多少の選り好みはあるけれど、かなりの確率で見境がない。節操もない。そこに桂木ときたらかなりの男前で、今ウケする色素の薄い髪と目の色、すらっと伸びる身長は180にも近い。その完璧に近い容姿に、リムレス・フレームの眼鏡が全体的にこの男の雰囲気を人懐っこく、気さくなものに見せている。そのテのところにいくと十中八九声をかけられたり、気に入ればその日のうちにも関係を持ってしまう事は少なくなかった。当然、そのほとんどが一夜限りで、それどころか大学生からゲイバーのホストや客とまで関係を持った事のある呆れた男なのだ。なので朝起きて見知らぬ男が隣に寝ているなんて事はもはや日常茶飯事……などと書くと一見どうしようもなく聞こえるが(本当にどうしようもないのだが)今回だけは勝手が違った。

『同僚には手を出さない』。

 ある意味、桂木は自己防衛のガードが固い。こんな身近の関係者なんてもっての他だ。ゲイだなんてセクシャルマイノリティには、まだまだ世間の風は冷たく厳しい。

 会社にプライベートを持ちこむ事をひどく嫌っていたのだから、如何に関係にクールな桂木としても多少の狼狽を隠せなかった。それを凝縮したものがさっき放った第一声だったりするのだが、一体どうしてこんな事になったのか。

 桂木は右手を下ろして、覗きこんでいたシーツをそっと戻した。

(あれかな……)

 桂木にはちょっとした心あたりがあったのだ。

 もう1年も前の事になるけれど、私事で営業部から総務部に転属した上島洋介という男の存在がそれである。

 上島は営業部では異例の実績があり、桂木といつも契約数を競っていた。並いる同期を飛び越して、大抵は上島が一番、桂木は2番。話を始めれば朝まで語れるかと思うぐらい会話がはずんだし、酒を飲みに行けば2人で浴びるほど飲んだ。桂木は上島が好きだったのだけれども、恋とか色とか……残念ながらそういう対象にはなる事は出来なかったのだった。でも、それはそれで構わない。上島みたいな男とは色恋沙汰に陥って、切った張ったの、そういうありきたりな関係になりたくなかったのも桂木の本音の一つだ。

 その上島が営業部から総務部へ去り、関係が疎遠になった。桂木の酒の相手を出来る者が周りにいなくなって久しかったのだ。そこに現われたのが今、桂木の隣でやすらかな寝顔で寝息を立てている男、田嶋一臣だったのである。

 この男、酒がえらく強く、久々に桂木は気持ち良く酔えた。桂木といい勝負で飲める男はそうそういない。田嶋は頭の回転も良かったし話題もなかなか豊富で、そしてなにより聞き上手だった。桂木は久々の好人材にすっかり嬉しくなって飲みまくってしまったのである。なにしろ昨日の記憶が途中からなくなっているぐらいなのだから。

「……とすると当然俺が誘ったんだよなあ」

 ブツブツと呟いて、桂木は自分のした行動に今回こそはよくよく考え込んでしまった。

 相手は今年の新人で、男! である。相手も自分と同じ「男好き」であれば多少いびつでも丸く収まるかもしれないが、そんな都合のいい事がそう簡単にあるわけがない。

 恐らく酔った勢いで、いつものように部屋に連れこんでしまったんだろうなあ、と桂木は考えた。これからだって同じ職場で仕事をしていかなくてはならないというのに、こんな関係を持ってしまうなんて……。

(たしか同じ部署だったよな……。まいったなあ)

 近すぎ。桂木はそんな事を考えながら、頭をポリポリと掻いた。

 桂木は公私混同をするような男ではない。さっきも言った通りだが、そういう事を非常に嫌がる性質だ。もし相手が公私を混同するタイプだった場合、仕事が非常にやり難くなるのは目に見えているし、最悪の場合、慰謝料を要求されたり、へんな噂をばら撒かれたり、入社したばかりなのにいきなり辞表を提出されたり……と、どう見てもマズイ方向に推測される事ばかりで、それだけで精神的にドッときた。が、今現在、桂木が最も心配しなくてはならない事は隣で寝ている男が起きた時の、この状況の説明だったりする。

「……どーしよ」

 桂木が枕もとのアナログ時計に視線を送ると朝の10時半を過ぎたところで、まあ今日という日は会社が休みのため、慌てて起きる必要も起こす必要もない。

(ま、いっか)

 いいわけあるか、と瞬時に突っ込みを入れたくなるけれど、やってしまったものは仕方がない。フッ、と自嘲気味に息を吐いて、桂木はサイドテーブルに手を伸ばした。

 愛飲のラッキーストライクを一本咥えて火を付ける。それでもちょっと落ち着かない。一息吐いて、横目でチラリと、まだ夢の中にいるだろう昨晩の情事の相手に目をやった。

 昨日は気づかなかったけど。

 どうしてどうして、田嶋は結構な桂木のタイプだったのだ。長いまつげ、面長な輪郭、鼻筋のとおった顔。漆黒の髪の色がそれらを全部統一して、いっそう美しい印象を持たせる、いわゆる『美人系』の顔立ちだ。

 会社の人間は除外というフィルタを最初から掛けているから、じっくり顔なんか見た事なかった。本気になったら自分が困る。

 桂木は少し惜しいな、と思った。いくら好みの美人系でも会社の、しかもこんな近くの人間はマズイだろ。お仲間じゃないかもしれないし。

 尤もその方が確率が高い。

 そんな事を考えていたらば田嶋のその両の目が、不機嫌そうにゆっくり開いた。

「!」

 桂木は近づき過ぎてた上半身を慌てて起こした。気がつかなかったのだけど、いつの間にか田嶋の顔を深く覗き込んでいたからだ。

 だがしかし、なんて説明すればいいのだろう。さっきの開きなおりは伊達だった。少しの事には動じない自信のあった桂木だったが、珍しく額から汗が吹き出していたりなんかする。このシチュエーションで動揺しない男がいるか。

「え、えーと……」

 僕とキミは昨日ベロンベロンに酔って勢いで一線を超えてしまったんだ。まあ犬にでもかまれたと思って……俺は犬か! ……とでも突っ込んで、笑いでも誘えばいいのか? 済むか、そんなもんで!

 ダラダラと汗をかきつつ、試行錯誤を巡らせる桂木の心情なんか気にもかけないで、この田嶋という男、桂木の想定を勢いよく飛び越した。

 上半身をベッドの上に起こすと、シーツの下の自分をまず確認。取り乱す様子もなく桂木を見て、周りを見て、自分の格好を見て、もう一度桂木を見つめた。そして少し考えた素振りをした後、ああ、そういえば……というような顔をして、更に開口一番がこれだ。

「昨日はどうも」

 この後田嶋は桂木のうちで淡々と朝食を取り、何事もないように帰路に着き、次の日なんかは何事もなかったように出社した。オマケにもひとつ付けておこう。朝食時の話題は『酒の勢いと男の習性について』。

「まあ、男なら長い人生のうち、一回ぐらいは経験するかもですよね」と、田嶋談。

 ないない、男となんか滅多にないって!

 これが2人の始まりだったのだ。

 
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