「では、またよろしくお願い致します」

と、桂木はキチッと角度45度のお辞儀をして頭を下げた。ほんの数十センチ後ろには、桂木のしたのと同じように田嶋が頭を下げている。二人が同時に顔を上げると、桂木はまるで営業とは思えないような極々自然な笑顔をニコッと浮かべた。

「いえいえ、こちらこそまた宜しくお願いしますね」

返すように丁寧に頭を下げたのは、その店の女主人である。

桂木達の勤める花丸商事は主に家具や雑貨を取り扱ってる商社で、そこには企業・個人の隔たりはない。尤もオフィス家具を除いた家具といえばタンスやベッドで、大きな取り扱い店以外では個人の小売店の方が数としては圧倒的だ。

そして個人の店とくれば納品も爆発的な数はなく、少しばかりの大きな家具ならたいてい営業部員二人で納品に向かうのが尤も効率的である。何より、顔見知りの営業マンが店に顔を出して納品する方が店主としても安心するし、親近感を持ってもくれることだろう。ものを言い易い環境を作ることは営業の基礎と言っても過言ではない。

桂木はドアを出る前にもう一度店主に会釈をして店を出た。続いて同じように会釈をし、その後を田嶋が追う。店を出たところの歩道の、すぐ横に止めてある社用車の前をぐるりと回って桂木は運転席に乗り込んだ。運搬の為に開けていた後ろのドアを閉めようと、田嶋が車の後ろに回る。家具を運び出す際に乱れたシートを馴れた手つきで折りたたんで、後部のドアを閉めようとしたその時、突然後ろから呼びとめる女の声に田嶋は不意に顔を上げた。

「一臣くん!一臣くんじゃないの?」

人懐っこく寄ってきた女の顔を一瞥して、その思いもかけない人物との遭遇にさすがの田嶋も驚きを隠せない。

「…………!詩織さん…?」
「そうよ、元気だった?大学受験の時以来だったかしら」
「あ…。ああ、そうかも知れないです」
「いやだ、なんだか大人になっちゃって」

誰だ?

家具を運ぶために助手席に脱ぎ捨てた上着に手を伸ばした桂木は、バックミラーから見えるその女の突然の登場に、形の良い眉を密かに顰めた。バンのドアが開いたままになっていたので二人の会話は充分に桂木の耳にも届く。

「ちょっと前から見てたんだけど、絶対一臣君だって思ったの。だって雰囲気とかちっとも変わらない」
「あんまり成長してないんですね、俺」

田嶋は曖昧な苦笑を浮かべる。

会話の流れからすると、田嶋の昔の知り合いらしい。いや、知り合いなんてもんじゃなく、もっと親密な……。バックミラー越しに覗いた、女が誰かと確信した時の一瞬、ひどく驚いた田嶋の顔を桂木は見逃さなかった。

(昔の彼女、とか)

そう思ったのにはわけがある。だってそれは田嶋もあの女も親しげに下の名前で呼びあってなんかいたからなのだ。単なる友人や先輩で済ませられない。

(それにしちゃ田嶋より少し年上みたいだよなあ……)

「あ、ごめんなさい。一臣君、仕事中なのよね。あちら、会社の方?」

女が桂木の存在に気付いて会釈をする。急に話をふられた桂木はよせばいいのに、ちょっとぐらいいいですよ、と実に人当たりのいい、そのくせ女性ウケする笑顔を浮かべて頭を下げた。習性というヤツは恐ろしい。

桂木は二人が映るミラーをじっと睨んでいたが、そんなオトメのような桂木の心情に田嶋が気付くはずもない。尤も当の本人だって自分がそんなオトメだなんて気付いてもいなかったのだから当然といえば当然だ。

桂木は上着の内ポケットから愛柄である「ラッキーストライク」を1本取り出すと、その先にお気に入りのスリムな銀のフリントライターで恭しく火をつけた。ふう、と余裕があるかのように煙を吐きながらも桂木の興味は背後の会話一点だ。

桂木は田嶋が呼んだその 『シオリさん』 とやらをバックミラー越しにチラチラと観察する。気になるのだ。

『シオリさん』はちょうど30前後ぐらいに見える髪の長い知的な感じのする美人だった。笑った顔がとても落ちついていて、如何にも大人な雰囲気が漂う。対する田嶋にも桂木が滅多に見れないような笑顔を浮かべてなんかいて、それが返って桂木を面白くなくする。

早々に吸い終わった煙草の吸殻を車内の灰皿に押しつけて火を消すと、桂木はカチカチと落ちつきなく車のハンドルを指の爪先で鳴らした。感情を隠すことを知らない子供のように唇なんかを尖らせているだなんて、自分の顔に桂木は気付いているのだろうか?桂木はバックミラーを睨みつけたまま頭の後ろに両手を回して目を細めた。

前から薄々…、というか決定的に知ってはいたが、田嶋は桂木と違って 『男でないと勃たない』 男ではない。それどころか田嶋はあまり性別を気にしていないところがある。もし、田嶋が桂木のような節操のない人間であったのなら、ちょっとした歩く性犯罪者にでもなっていただろう……と桂木は脳内で、田嶋のもう一つの人生を勝手に想像してしまうのだった。

少し話しこんだその後、田嶋は何事もなかったような素振りで助手席に乗りこんだ。そんな田嶋の横顔を目線だけでジロッと睨んで、即座に視線を正面に戻す。面白くないのが丸分かりで、ちょっとは隠せよと突っ込みたくもなるぐらいの子供っぷりだ。それでもそんなことには田嶋は少しも気付きはしない。

「待たせてすいません。戻りましょうか」
「ん」

言葉少なに返事を返す。

コラムシフトをパーキングからドライブに入れると、桂木はウィンカーを右に出して緩やかに車道へ流れ出た。昼前のこの時間帯は交通量が結構多くて、自分たちのような営業なんかが多く出まわってるに違いない、と桂木は思う。

いくつ目かの信号に捕まって、緩やかにブレーキを踏んで停車する。その助手席には納品書の控えに目を通しながら涼しい顔をした田嶋がいつもどおりのキレイな横顔を見せて、桂木が盗むように視線を向けるとなんだろう。いきなり田嶋がこっちを見ていてドキリとさせた。

「どうしたんですか。さっきから黙って」
「俺はそんなに喋りかよ」
「ええ、喋りです」

ツイ、と横を向いて田嶋は素っ気無く言う。そりゃあ田嶋のような寡黙な男からみれば、どんな男も喋りだろうよ。桂木は苦笑して、なんだか急に可笑しくなった。そうだ。気になるのなら、この際素直に聞いてしまえ。

桂木は信号が青になるのを確認してアクセルを踏んだ。景色が流れる。

「なあ」
「なんですか」
「さっきの、知り合い?」
「さっき……ああ。詩織さんね。ええ、そうですよ。それがなにか?」

田嶋の口調は素っ気無い。いつも通りであるけれど、しかし何かが引っかかるのだ。桂木の第六感がそう告げる。桂木は横目でチラッと田嶋を見つめた。そこで止めておけばいいものを桂木は更なる追及をかける。

「どういう付き合いだったんだよ」
「バイト先の先輩ですよ。高校の時です」

助手席に乗っているにも関わらず、田嶋は桂木の方を見ない。それが何だか無性に気になるのだ。桂木はウィンカーを出した左の方へとゆっくりとハンドルを切った。視線は真っ直ぐ前を見たまま。

「……本当にそれだけ?」

桂木は念を押すように神妙に聞いた。自分でもちょっとしつこいかな、と思ったけれど気になることは放っておけない性格なのだ。

そういう桂木の性格を知っていたのか、それとも顔に 『知・り・た・い!』 と大きな文字で書いてでもいたのか、田嶋は迷惑そうな顔をするとつっけんどんに一言言った。

「何か言いたいことでもあるんですか」
「べっつに〜。いや、色男の田嶋クンのコトですから年上のお姉様にさぞかしおモテになったんでしょうにと」

一体どっちが色男なのだ。

ところがそこで食傷気味に目を細めた田嶋が、急に不機嫌そうに黙りこくってしまったのでなんだか車内が気まずくなった。田嶋は厳しい顔のまま助手席側の窓に肘をついて頬杖をつき、その横顔から冷たい拒絶感があからさまに伝わってきて、桂木の口をも重くする。

「……………」
「……………」

数分の沈黙に堪えかねた桂木が、ちょっと嫌味っぽかったかな、と反省し、軽くフォローを入れようとした正にその時、田嶋の口からポツリと小さな、しかし衝撃的な言葉が洩れたのだ。

「ショタイケン」
「え?」
「初体験の相手だったんですよ、あの人。あんたにもあるでしょう」

あまり言いたくなかったのか、田嶋の言葉の語尾には怒気が少し含まれていたような気がする。が、ある種、衝撃を受けた桂木にはそんなこと気付くゆとりさえありはしない。唖然とした表情を浮かべて、バカみたいにその言葉を文字どおりに繰り返したのだった。

「……しょたいけん?」

しょたいけん、しょたいけん……しょたいけんってアレだよな……。一体他になにがあるのだ。

ところが呆然とした桂木よりも、今、目の前の現状に驚いたように田嶋が声を上げた。

「あっ、主任、前っ!信号赤っ!!」
「え?あ、うわっ!」

桂木は言われて初めて気がついた。30m前方に見えていた信号が実はもうとっくに赤色に変わっていて、慌てて急にブレーキをかける。ギギキィーーーー!と怖い音が響いてそれが更に緊張感を増す。停止線を少しオーバーして、歩道線から少しはみ出たところで桂木の車は動きを止めた。

急なブレーキは事故のもと。窓際左上のアシストグリップを掴んだまま前のめりになった田嶋が顔を上げて開口一番激しく怒鳴った。

「あんた、一体なにやってんですか!危ないじゃないですか!!」
「…………」
「いいですか?急ブレーキなんかかけて、後続車が来てたらねえ………」

クドクドと罵声を浴びせる田嶋の声も届かない。目の前のハンドルに突っ伏して、桂木は思った以上のダメージを受けたのだ。急ブレーキに?そうではない。

(……さっきの女が、田嶋の……)

初体験の相手。


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