今日は月末の土曜日で、月に2回の週休2日制である桂木たちの勤める花丸商事は休日だった。

お前が好きだと正式に交際を始めてからというもの、桂木と田嶋は2日に一度は関係を持っている。だから連休2日の週末ときたら、そりゃもう夜から朝まで……と言いきってしまいたいところだが、ところがそうでもないらしい。元々の性質が堅い田嶋のことだから、時間が来たらさっさと帰ってしまうのだ。一体、惰性というものがこの男には存在しないのか、と当初桂木はよく苦笑を浮かべたが、いやいや、それさえも興味を誘う。「あばたもエクボ」というやつか?

そして改めて気付かされたことがある。それは、田嶋の顔はやはりそうとう綺麗だということ。

 

「何、人の顔じろじろ見てんですか」

桂木のあからさまな視線に不愉快さを隠さない様子で、田嶋は不機嫌そうに口を開く。テーブルを挟んだ真向かいの席で、空になった朝食の皿を前に桂木は飲んでいたブラックコーヒーを一口ゴクリと飲みこんだ。本当に一瞬口に溜めてしまっていたので、音ぐらいは田嶋の耳まで聞こえたかも知れない。桂木はその間を埋めるように右手のひらで、それでもそうは見えないように、すました素振りで口を拭った。

だが、堅いはずであるその男が今週はなんでこんな朝の早くから恋人の部屋にいるのか。実は昨晩のうちに帰ろうとした田嶋を子供のようにダダをこねて引きとめた桂木の一応の成果らしい。そして夜から朝まで……ええ、ええ。そりゃもう最高でしたとも。

桂木は昨夜の情事を思い浮かべて、翌朝見た田嶋の寝顔も綺麗だったなあ、と記憶を巡らす。テーブルの背もたれに背中を逸らすように押し当てると、フッ、と桂木は小さなため息を洩らした。

「いや、今更だけど田嶋は美人だよなあ……って、今まであんまり気にして見てなかったんで忘れてた」
「じゃあ、今までどこを見てたんですか」
「どこって、からだ…………」

そこまで言って、桂木は髪を掻き上げようとした右手をハッと止めた。田嶋のひややかな目が桂木を睨んでいたからだ。こういう時の田嶋はとてつもなく恐ろしく、桂木は慌てて何かを付け足そうとしたが、気の利いた言葉の一つも出やしない。……気まずい。

まあそんなことだろうと思いましたけどね、と、田嶋が吐き捨てるように呟いた。呆れた怒りであさっての方角に逸らされた視線はちょっとやそっとじゃ帰ってきそうにありゃしない。……いかん。

が、しかしここは花丸商事一恋多き男、第一営業部主任・桂木圭吾(29)である。拗ねた恋人の機嫌を瞬時に直すのは造作もないこと。尤もこれが計算というわけではてんでなく、天然だから始末に悪い。

コンコンッ、と桂木は右手中指の第二関節で軽くテーブルを叩いて田嶋の視線の興味を取り戻すと、ニッと人懐っこい笑みを浮かべた。桂木はこの表情が自分に好意を持ってる人間に、どういう効果あるのかを本能的に知っているのだ。愛想があるか、素っ気無いかは別にして、それは田嶋とて例外ではない。

「だって田嶋の身体って、すっごく俺好みなんだも〜ん。相性もピッタリみたいだし?」

さっきまでのバツの悪さはどこへやら、桂木がひょうひょうと悪びれもない笑顔でこう返すと、不意に田嶋の目が少し驚きの色を浮かべた。テーブルを挟んだ目の前では、顎の前で手を重ねた桂木がさっきと寸分も変わらない笑顔でニコニコと田嶋を見ている。田嶋は目を細めると少しの軽蔑さを隠さない視線でぶっきらぼうにこう言った。

「…あんた、何やってんですか」
「何って、なにが」
「足」

ああ、足…と桂木は満面の笑みを浮かべたまま、その実はテーブルの下でスリッパを脱ぎ散らかした桂木の足が、田嶋の足の甲を撫でまわしたりなんかしている。先月、29にもなった男のすることか。

「……本っ当に行儀の悪い人ですね」
「そう?」

眉間にしわを寄せた田嶋とは対象的に、重ねていた右手を下げてそのまま頬杖をついた格好の桂木が笑って言った。

「で、どう?」
「どうって、何が」

澄ました顔のまま、桂木の足が田嶋の膝の辺りまで、すーっと流れるように上がる。

「機嫌、直った?」
「機嫌?別に悪くは……あ……っ!」

思わず声を上げた田嶋が2、3秒俯いた後、ジロッと桂木を睨むと、当の本人ときたら何やらもの言いたげな表情を浮かべてニヤニヤと笑ってなんかいる。何が起こったのかと聞かれれば、テーブルの下で悪戯をしていた桂木の足が田嶋の股間辺りにまで伸びた、とだけ言っておこう。

「……この!」

怒った顔も美人だな、と桂木はそんな田嶋を無視して言う。田嶋は思わず言葉を詰まらせた。ギシ、と椅子の背持たれを鳴らして背骨を逸らすと、桂木は目を細めて微笑を浮かべる。

「なあ」
「…なんですか」
「こんなんなってるけど?」

と、桂木は足先に軽く力を入れた。田嶋は身体をビクッと震わせたが、桂木を睨んだその表情を崩さない。

「なあ」
「今度はなんですか」
「してって、言えよ」
「……言いません」
「なあ」
「言・い・ま・せ・ん・!」

田嶋はプイッとそのまま顔を逸らして目を閉じた。閉じられた瞳はそのままに、田嶋の頬がどんどん高揚していく。そしてとうとうその首筋までもを赤く染めた。

「……」

見る間に赤くなった田嶋の顔に桂木は、なんでか無性に仕掛けた自分が悪いことをしているような感覚に襲われた。身体の関係だけはもうすぐ4年にもなるというのに田嶋のこの反応ときたらまるで、初めて性的な洗礼を受けた処女のようではないか!

テーブルの下の足が悪戯をすんなり止めて元の持ち場に帰ったとき、あれっ、と視線を上げた田嶋は初めて桂木のその様に気が付いた。

「…………なんであんたが赤くなってるんですか」
「え、いや、その……」

桂木は田嶋から目を逸らして右手のひらを口元にあてた。そして数秒後その手を額にあて、また数秒後にまた口元に戻し……という動作を意味もなく繰返す。とにかく桂木が落ちつきをなくしていたのは明白で、その様を田嶋が不思議そうな視線で追っている。

やがて言葉を無くした桂木が、ポツリと一言こう言った。

「……そんな顔するなバカ。俺の方が照れるだろ」

これにはさすがの田嶋も唖然とした。自分で散々煽っておいて、この恥じらいは何なのだ。ひどく意外そうな顔をして、田嶋は赤くなった桂木の顔をマジマジと見つめた。そんなに見るなバカ、と桂木が目も合わさずにそう返す。すいません、と、そうは言ってもいつまでも視線を逸らさない田嶋の顔を盗み見て、桂木は憮然とした表情のまま顔を上げた。

田嶋の真正面で目を閉じて、その双眸をゆっくり開ける。田嶋は桂木のその様に一瞬胸をドキリとさせた。一見なんの変哲もない仕草なのに、どうしてこの男がするとなんでこんなに絵になるのだろう。だが習性というのは恐ろしいもので、そんな素振りの一つも田嶋は見せやしない。見とれた瞳は涼しいままだ。

不意にテーブルに置かれた田嶋の腕に桂木の右手が そっ、と触れて、田嶋は少し身体を硬直させた。桂木の唇がゆっくり動く。

「なあ」
「はい」
「責任取れよ」
「責任?」

怪訝そうな顔をすると、桂木は接触していた右手を離してその指でコイコイと田嶋を呼んだ。その言葉をなんの深読みもせぬまま、素直に従う子供のようにガタンと椅子から立ち上がると田嶋は桂木の隣に立った。椅子から見上げるその顔は、さっきまでの照れた少年のような表情とは打って変わっていつもの勝気な桂木の顔だったのだ。

下方から手が伸びて、田嶋の耳をギュッと引っ張る。口元まで半ば強引に引き寄せられた耳に、低く桂木が囁いた。

「あんまり挑発するな」
「!誰が……」

最後まで言わせないまま桂木は田嶋の口をキスで塞いだ。口内に舌を軽く突っ込むと、それに答えるように田嶋が唇を開いて奥へといざなう。下唇をあま噛みするように二、三度顎を動かすと、桂木はゆっくり口を離して田嶋の顔を神妙なまなざしでじっと見つめた。対する田嶋の顔ときたらこんな時でもいつもの無表情な顔立ちで、それが余計に桂木の心を捉えて離さない。

椅子から立ち上がって田嶋とおなじ目線の高さになると、桂木はもう一度その唇に軽く口付けた。桂木の唇はそのまま首筋へ移行して、小さな音を立てながら田嶋のパジャマの裾の背中へと手を突っ込む。首に回された田嶋の腕に力が入り、そのまま桂木の髪を掻き乱した。

桂木は田嶋と一歩進んだ関係になったあの日から浮気と呼べるシロモノは未だに一度もしたことがない。今まで桂木をフラフラさせた浮気の虫が、今回に限ってはどうにも目移りしないのだ。どうして田嶋がこんなにも魅力的だったのに今まで無関心でいられたんだろう、と桂木はその思いを田嶋を抱く度に強くする。

(4年間、勿体無かったかな…)

身体の下で心地よく耳を撫でるその声はどんな媚薬よりも甘い。「盪ける」という言葉はこういうことを言うのかも知れないな、と桂木は切に思う。

二人の仲は順風満帆だった。桂木は田嶋かしか見えていないし、田嶋に至っては桂木が知らないだけでその想いは筋金入りだ。だがしかし、そこには落とし穴も確実に存在する。想いが強ければ強いほど、それは思いもよらない形で姿を現すことになるだろう。

発端はそれも本当に些細なことで、だがそれは、その次の週末を待ってくれるゆとりさえなかったのだ。嵐は突然、やってくる。

 


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