― セ ピ ア ―



熱を出したあの日から、佐々木の上島に対する位置付けが、急速にスピードを上げて変わっていくのを肌で感じる。こういうの、気になる、というのか。

上島が何処にいて、とか、誰と話して、であるとか、今、何を考えているのか、だとか、どうにもこうにも、ついついと目で追ってしまうのだ。そうと思っていたら上島がこっちを向いて、パチっと一瞬目があった。

(わ……!)

こっちの視線に気づいてないか、慌てて机の上に視線を逸らす。少し、体温が上昇するのが自分でも感じられた。携帯で上島の画像を取るのに、視線を合わせない瞬間を選んだ自分の気持ちが分かるというもの。

(好きになったのかも知れない…)

漠然とそう思った。

何より、佐々木には分かってしまった。どうして3年後の自分がこの男を好きになったのか。何故、この男なのか。

上島は、強くて、いつも自信に満ちていて、素っ気無いけど肝心なところで優しくて、その総てが佐々木の理想、そのものだったのだ。

紅潮した顔を俯けると、佐々木は自分自身に突っ込みを入れた。何度でも言う。我ながら現金だ。

それでも、空から急に降って沸いてきたようなこの気持ちを、手放しで喜ぶほど、楽観した気分にはなれなかった。

(だって、男同士だよ……)

そんなことを考えていたら、廊下を歩く人影と勢いよくぶつかった。

「わ!」

持っていたフォルダが、引力に引かれるように真っ直ぐ落ちた。床に当たってカッっと鋭い音を立てたフォルダの背がグニャッと曲がり、倒れた拍子にその隙間から数枚の書類がすべるように散乱する。

「わ、すいませ……」

謝るより早く、その人影は佐々木と一緒にしゃがみ込んで、散らばった書類を広い集めてくれたのだった。

目下に入った、形の整ったきれいな指。明らかに男性ものだ。どんな顔をしているのかと一瞬の興味が湧いて、佐々木はチラッと上目使いにその顔を盗み見た。

(わ……)

ひどく、整った顔をした人だと思った。濡れたような真っ黒の髪の毛は上島とは違ったタイプの色気を感じさせる。

「すいません」

放たれた声に吸い込まれるように顔を上げると、言葉と同時に拾った書類を差し出されて、その容貌に思わずドキリとさせられた。

「い、いえ!こちらの方こそボーッとして……。?」

笑いを浮かべたまま、強張った。なんだ?

目の前の、もの言いたげな視線に正直佐々木は驚いた。初対面の人物に、こんな顔をされる覚えはない。

「あ、あの……」
「どうぞ」

事務的な口調で発して、呆然としたままの佐々木に書類を手渡すと、目の前の美貌の男はすっと立ち上がって、気持ち頭を下げて去っていった。

「知ってる人だったのかな……」

それなら話し掛けてくれればいいものを。

しばらくその去っていく後姿を見つめていると、背後から急に声をかけられて、飛び上がるほど驚いた。

「おい」
「わぁっ!!」
「何やってんの」
「あ、あの、人とぶつかって……」

回収した書類は裸のまま、まだその腕に抱かれたままだ。

佐々木の視線を追うように、上島は顔を上げた。

「ああ」

分かった、と言ったように頷いた。

「営業部の田嶋だ。何か言われた?」
「いえ、何も……」

言われてはいないけど。さっきのまなざしの強さは何だったんだろうと思う。上島はそんな佐々木を横目でふうん、と言って再び視線を戻した。

「そうだ」
「はい?」

上島の方へ顔向け、数度上に視線を上げる。

「今日飲み会あったろ。勧められるからってあんまり飲むなよ」
「飲み会?」

飲み会……。

頭の中で数回言葉を繰り返して、あっ、と思った。発熱騒動ですっかり忘れていたけれど、1月下旬の金曜日。今日は花丸商事総務部の新年会だったのだ。

財布の中には5000円弱。慌てて佐々木は、向かい通りにあるキャッシュコーナーまで金を下ろしに行ったのだった。

 

*   *   *   *   *   *

 

総務部、経理課、庶務課。4階のフロアを占める3つの部署は、総勢30名程度ではあるけれど、会場を借りるとなると結構な人数に感じられる。会社最寄の駅から5つ程度先にある居酒屋で、総務部恒例、今年の新年会が行われるのだった。

とりあえずは幹事長の挨拶から始まって、乾杯、それからは各テーブルに置かれた鍋を囲みつつ、懇談、部長の挨拶、解散……と、まあ、例年こんな感じで進められる。それなりの企業に属するならば、どこの部署でも会社でも、同じような進みになるとは思うけど。

ところでここからがこの部所特有というか。1つのテーブルに5人づつ、6つのテーブルがあるけれど、絶対に確定した席がある。佐々木と、佐々木のその隣。

部署柄女性が圧倒的に多い職場だから、テーブルのほとんどが女性なのは当然なのだけど、視界に男性の姿が入らないというのはどういうものだか。

数少なくて若い、見た目もそれなり、更に独身貴族ときた日には、残り3つの座席といったら結構な競争率だろうことは推測に難くない。

(お、女の人ばっかり……)

その緊張から頬をうっすら紅潮させて、佐々木は正面に座った3人の女性を左から右にかけて視線を廻した。左から、総務部の加藤、経理の和田、同課の川村。年齢も系統もバラバラだけど、共通点が一つだけある。皆独身でお年頃、という点だ。経理の二人は業務上、面識程度しかない。

「いつもごくろーさん。今年もよろしくお願いします」

幹事長の挨拶の後に行う乾杯のためのビールを、上島は一番に総務部の加藤に注いだ。

加藤は上島よりも若干歳は下だけど、上島が総務部へ転属してきた時の新人で、総務というカテゴリーに関していえば同期でもあり、佐々木なんかより付き合いはよっぽど長い。

「わ、一番なの。ありがとう」

仕事には几帳面だけど、笑うと頬にエクボが出来てちょっと可愛い。満杯にビールを受けると、今度は佐々木の方に体を向けた。

「佐々木さんもお疲れ様」
「は、はい」

言いながら佐々木のコップにもビールを注ぐ。隣に視線をちらっと向けると、上島は経理の二人にも何やら一言かけながら酌をしていた。上島のコップは、というと、どちらかが注いだのか。もう既に満杯になっていた。

慣れない幹事長が新年の挨拶を述べ、乾杯を終えると、各々のテーブルで酒と談話を交えつつ、鍋をつつき始める。他愛ない会話をしながらも、意識は隣の上島を気にしてばかりで、なんだかなあ、と佐々木は思う。ここにもそこにも沢山、いい感じの女の人がいるじゃないか。

そんなことを思っていたら、経理の川村が口を開いた。

「あの、上島さん。小耳に挟んだんですけど」
「何」
「屋上で人生相談してるって本当ですか」
「は?」

突拍子も無い話に呆気にとられて、横で聞いていた佐々木は思わず噴出しそうになった。ちょっと似合ってる……というか、確かに上島みたいなのに相談すると、白黒とはっきりした答えを出してくれそうだ。

「してねぇよ。一体誰に聞いたんだ」

苦笑を浮かべて上島は言う。

「まあソースは秘密っていうことで」
「なんだそりゃ」

上島はビールの入ったコップの中身を飲み干すと、すぐさま川村が注ぎ入れる。多少のがっかりした顔が、心の落胆を感じさせた。

「なんだあ、やってないんですか」
「するか。でも何、相談したいことでもあんの」
「え、いや、まあ、その……」
「ふうん」
「……」
「バレンタインとか?」

言葉に思わず顔を上げた。

「わ、上島さん、ビンゴ!すごいすごい、どっかの占い師みたい!」
「なるほどね。上島さん、するどい!」

横から和田が納得面して頷いた。

「アホ。今の時期、どこに行ってもそれで持ちきりだっつの」
「……言われてみればそうですね」
「まっさかお前、未だに手作りか既製品か迷ってんじゃないだろうな。手作りが喜ばれるのは恋人と、実は両想いだったってオチぐらいだぞ」
「ちゃんと既製品です」

心外そうな顔をしながら川村は、それでも後半の台詞にはため息混じりだ。

「誰。差し支えないなら言えよ」
「……営業部の……」

言いかけて、5名いた一同が、全員テーブルの中央に耳を寄せた。

「は……」

と、上島。

「競争率高いって」

と、和田。

「いや、勝負は出てみないと分からないわよ」

と、加藤。

「誰……」

は、まあ置いといて。

「そんなんじゃないんですよ!ファンクラブの一環なんですから!っていうのか!特定の人がいる方が興ざめ!!」
「まあ、賢明かな……つか、それがいい」

栗色の短いショートヘアをして活発そうにみえるけど、川村は23歳のうら若い乙女なのだ。憧れは憧れのままで。

上島はテーブルに肘をついて片手で頬杖をつくと、小さな息を一つ吐いた。

「いいんだよ、加藤はそれだけで充分可愛いんだから。何贈っても喜ばれるだろうよ」

そう言って上島はニコっと笑った。

「……上島さん、いい男ですね。ファンクラブ作っていいですか……っていうか、非公認でもやりますけど」
「アホ」

スケコマシ…、と言う単語が佐々木の脳裏によぎったかどうかは定かでないが、驚いたのは本当だ。女性に、優しい。

(でも、この人ホモなんだよね…)

と心の中で弱腰な突っ込みをそっと入れつつ、最初の乾杯で注がれた、まだ1杯目のビールをちょびっと一口、口に含んだ。

(苦……)

やっぱりアルコールは苦手だ、と思う。少量飲んでも眠たくなるし、美味しいと思ったことなど数えるほどの飲み会では一度たりとも無い。学生の時代から、コンパにおいての酒の席は、佐々木にとってはえらく苦痛だったのだ。

「佐々木くん、飲んでる?私にも注がせてよ」
「えっ!あ、はい、いただきます……」

恐縮そうに頭を下げて、佐々木は右手のグラスを差し出した。

同じ部署の先輩に、特に女性というならば、酌をされては断れない。せっかく空いたグラスの隙間に、波々と、再びビールが満杯に注がれた。誤魔化し程度に口をつけたら、もう既に次の瓶を持った女子がこっちを見ている。マジですか……。

顔には出さずに、2センチ程度、グラスから減らすと、ええ?もっと空けてくださいよう、と、経理の和田。困ったぞ、と、思っていたら、上島がついぞ横から手と口を出してきた。

「はい、そこまで」

言いながら佐々木の手からコップを奪う。

「コイツ、まだ本調子じゃないんだわ。カンベンしてやって」

上島はニコッと笑みを浮かべると、そのままグラスを一気に呷った。

「はい、終わり」
「うわあ、上島さん、豪快!私のも飲んで下さいよう」
「よっしゃ」
「きゃー!私も!」

ここだけでなく、近辺のテーブルからも女性達がやってきて、再び空っぽのグラスが満たされる。

良い飲みっぷりとはこういうのを言うのだろう。上島はそれを丁寧に一つ一つ受けて、気持ちが良いほどのスピードで飲み干した。酒の強い弱いは、体内のアルコール分解能力の差で決まると聞いたことがあるけれど、一体どういう構造になってるんだろう。同じ人間とは思えない。

「か、上島さん、大丈夫ですか……」
「あん?何が」
「もう5本ぐらいいってますよね…」

横に転がった大きいサイズのビール瓶に視線を移して、顔色一つ変わっていない上島に、佐々木は到底信じられない、というような顔をする。対照的にしれっとした調子で上島は言った。

「あー、平気平気。俺ザルなの。若い時とか一晩1.5升はいったしなあ」

クラッ…。一升瓶を頭に浮かべて、一瞬佐々木は卒倒しそうになった。だってあの瓶すごくでかいよ!

そして清酒は5%前後のビールなんかよりも、よっぽどアルコール度数が高いのだ。

「ど、どういう体を……」
「知ってるくせに」

低い低音でボソリと呟いた。

「え?」
「なんもない」

そう言って上島はしたたかな微笑を浮かべた。ニコッと爽やかに微笑まれるよりも、こういう笑顔の方が曲者で魅力的に見えるのには違いない。佐々木の心拍数が数回、上がったのだった。

 


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