― セ ピ ア ―
14


朝っぱらからメインに、鮭の塩焼きと具入りの玉子焼きは豪華だな、と、思う。両手を合わせながら、目の前に燦然と輝く食卓の風景に、毎朝佐々木は感動とありがたさを感じずにはいられない。

「い、いただきます……!」
「ん」

一番最初に手を付けた味噌汁をすすりながら、チラッと上島を上目遣いで見てみたら、向こうも同じように椀を口に付けていて、なんだかとても焦ってしまった。間接キスしてるみたい、と一瞬脳裏に横切ったのは、あからさまな意識のし過ぎだ。

佐々木は内心を誤魔化すように、ご飯を一口、口に入れて、それでももう一度、チラリと上島の顔を盗み見た。

昨日の告白劇は一体全体なんだったのか。

告白しようとして、柔らかくかわされたような、結果的には受け入れて貰えたような……分からない。

ただ一つ。分かっているのは上島が、うんと先のことを考えていたということだ。いきあたりばったりの気持ちの昴まりだけで、告白をしようとした自分とはまるきり違う。きっと上島のことだから、もっと先の先の先の事まで考えているんだろうな、と佐々木は思った。

自分の覚悟不足で言わせてもらえなかったあの言葉を、いつか上島にキチンと言える日がくるのだろうか。

「あ、あの、上島さん……」
「うん?」
「一つ聞きたい事があるんですけど……」
「何」

言いながら上島は、佐々木に真っ直ぐにピントを合わせたまま、玉子焼きを口に入れた。

「か、上島さんは、なんで俺の気持ちを知ってたんでしょう……」
「なんでってそりゃ……分かるだろ」

3秒経って、首を傾げた。

「顔に書いてあるし」
「え……えぇっ!?」

頓狂な声を上げて、佐々木は背中をピンと伸ばした。

「か、顔にって……!」

おたおたと頬に両手を当てた佐々木の様子に、上島は思わずふっ、と噴出してしまった。クツクツ笑って肩を揺らしながら、冗談だよ、と肘を突く。

「まあ、例えね」

まだ笑いを含んだような声で言いながら箸を置いて、上島はテーブルに置いてあるタバコの箱に手を伸ばすと、一本出して口に咥えた。同時にライターの火を点ける。上島は最初の一息を大きく吸い込んで、ゆっくりと煙を吐き出した。

「分かるよ。毎日見てるのに」

上島は微笑を浮かべて伏せた目のまま俯いた。まあ、佐々木は分かり易過ぎるんだろうけど、と、付け足すのも忘れない。

「わ、分かり易過ぎって……」
「態度も視線も。正直、参った」
「め、迷惑でしたか?」
「一つ屋根の下で」

上島は一息タバコを吸い込んで腕を伸ばすと、フィルターを2回弾いて灰皿に灰を落とした。

「好きな男が自分と同じ気持ちを持ってるのを知ったら、正直理性なんか軽く吹っ飛ぶだろ」
「そ、それって、昨日言った、俺と、その……」

こっちを上目遣いに見た佐々木の顔を数秒見つめた。

「まあ、そういうことね」

言いながら一口吸って、上島は灰皿にタバコの先を押し付けた。目だけは真っ直ぐにこちらをロックして逸らさない。見透かされそうな瞳に、佐々木は思わず戸惑いと体温の上昇を感じた。

「友情ごっこじゃあるまいし、この歳での告白はそういう意味を含んでるだろ」
「そ、それは……そうです」

躊躇気味に、それでも肯定の意を佐々木は示した。

「でも知ってるよ。佐々木は一線を越える覚悟までは、まだない」
「……」
「男は急に止まれないっていうだろ。無理強いして嫌われでもしたら困る」

二本目のタバコに手を伸ばすと、上島はキン、という音を響かせて、ジッポライターで火を点けた。

「だから待つけど……」

上島は再び独特のジッポライターの金属音を響かせて蓋を閉じた。ゆっくりと時間をかけて吸う最初の一口目は、その間の取り方がとても絶妙で、次の上島の行動をドキドキしながら待たされることになる。けどなんだ!

「正直どうかなぁ」

煙を吐き出しながら上島は、ニヤっと不敵な笑いを浮かべた。目の前の佐々木ときたら、その笑みの意味が分からずに一瞬ポカンとした顔をしたけれど、すぐさまそこへ行き着いた。

「や、あの、ちょ……!」
「ほら、早く片付けて。遅刻するぞ」
「あ……」

テーブルを指でトントン叩かれて、朝食の途中だったのを思い出した。目の前で新聞を広げ始めた上島は涼しい顔をして、今にも鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気だ。からかわれた、と佐々木は思った。

(もう……)

本気だかなんだか分からない。顔を紅潮させてちょっと睨んで見たけれど、効果のほどはなさそうだ。

ささやかな抗議の視線を引っ込めて、佐々木は目の前で中途半端に皿に残っているご飯をきれいさっぱり平らげた。

とりあえず今日も一日頑張ろう、と玄関に出ようとしたその先で。

「あ、あの上島、さん……?」

きゅっと握られたその手に困惑の色を浮かべる。その手を少し強めに引っ張って、目の前の身体を抱き寄せると、10センチ近く低い佐々木の頭が、上島の肩に押し当てられた。

「会社に行くと構えないから触り溜め」
「は?」

佐々木の疑問符が聞こえたのか聞こえないのか。返事も返さず上島は、その手で肩から髪の毛から、くしゃくしゃと軽く撫で回し始めた。

「え、えと、その……」
「飼ってる犬にハグぐらいするだろ」
「いっ、犬ぅ?!」

頓狂な声を上げた佐々木の背中をポンポンと叩くと、上島の右手のひらが前髪を掻きあげて、鮮やかな速さで晒されたその額に、チュっと軽く口付ける。

「はい、おしまい。賢くしろよ」

ひどく魅力的な微笑を浮かべて、自分を見下ろすその男の顔といったら!

言って上島はあっさりと、身体を離して背を向けた。その背中を真っ赤な顔して見つめながら。

(い、犬を愛でる気持ちって……)

こういうことですか。

身体に触れるその手には性的な求愛というものは一切感じられなくて、それはある意味ガッカリでもあり、正直内心をホッとさせるものでもあり、ストイックというかなんと言うか……幸せ、かも。

扉を開けた上島の後に、佐々木は慌ててついて飛び出したのだった。

 

*   *   *   *   *   *

 

手も繋ぐ。舌を入れないキスもする。

ただそれに性的な衝動を伴わない、しごくプラトニックなスキンシップを上島は取ってくる。それでも、その一挙一動にドキドキ翻弄されてしまうのは、時々、とても切ない目を向けて自分を見ている上島に気づいてしまったからなのだ。だから待つけど、と上島は言ってくれたが、こんな真摯な顔で要求されたらうっかりと流されてしまうに違いない。

先に進んで近づきたいのか、それともこの均衡を保ったままにしたいのか。

性的な類の免疫を持たない上に相手は男。佐々木にとって、正直、前者は怖いのだ。

告白劇から数日経った今でも寝る部屋はやっぱり別で、上島の鉄の自制心はなかなかに強靭なものだといえた。尤も、いつも涼しい顔をした上島からは、そんなカツカツとした素振りは一度だって垣間見えたことすらないのだけれど、襖一枚のみを隔てた向こうの部屋の上島の気配に、佐々木は毎晩落ち着かない。

オレンジ色した薄暗い豆電球の明かりが気になって、佐々木は襖に背を向けて寝返りを打った。

(意識の、し過ぎかも……)

と、その時。

「佐々木、起きてる?」

上島の声に思わず佐々木は時計を見た。時刻は23時をとっくに過ぎていて、なんだかとても微妙な時間だ。返事すべきか?

(ど、どうしよう……)

上手く廻らない頭で一生懸命考えたけど、ベストどころかベターな答えも出やしない。佐々木がそうこう迷っている間に、隔てた襖がスッと開いた。

わ!

躊躇ないその音がとてつもない緊張を与え、佐々木は思わず首をすくめた。

「ごめん、ちょっと明日の事なんだけど……」

畳を歩いて近づいてくる足音がすぐ後ろに来て膝をついた。

(わわ……!!)

背中に感じる上島の気配に否応なく身体総ての神経が集中する。上昇する鼓動を気づかれませんように、と、佐々木はぎゅうっと固く目を瞑った。

「佐々木、寝てんの……?」

どうかどうか、このままなにもせずやり過ごしてくれますように!

そう祈った佐々木の願いとはうらはらに、上島は、無反応の、眠ったフリをした佐々木の後ろから動こうとしない。

(な、なんだろう……)

起こそうとするわけでもなく、ただただ上島の視線が気になった。

「佐々木……」

長い沈黙の後、ようやく放った上島の一言が、佐々木の心臓に跳ね上がる程の緊張を与える。と、同時に首筋へと伸びてきた上島の手のひらが、頭へとなぞる様に滑っていった。そのまま髪をクシャクシャ撫でて、そのまま動きを止めてしまう。数秒の間を置いて、独特の低音がその後を継ぐように小さな声で呟いた。

「……お前の事を、忘れたわけではないんだよ」
「!」

その言葉は躊躇なく、佐々木の心に大きなダメージを与えた。誰だって?

心臓がバクバク言って、心拍数を大いに上げる。ともすれば、身体まで震えてしまいそうだ。

誰だって?

そんなの聞かなくても分かっている。上島の記憶を持っている、『3年後の自分』だ。

概念的なイメージの考えが言葉になった時、佐々木の身体からどっと汗が噴出した。

止まった手が動いて、佐々木の髪を再び撫でる。その手はやがて離れて、上島は囁いた。

「おやすみ」

立ち上がった上島の気配は、そのまま襖の向こうへ消えた。

(どうしよう……)

どうしよう、どうしよう。

あの人が好きなのは、自分ではない。

佐々木の身体がガクガク震えた。

 


自分では、ないのだ。

 


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