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「………さん、佐々木さんってば!」
「えっあっ!……はい……」
「もう佐々木さんったら何度呼んでも返事ないんだから。コピー、終わってますよ!」

そう言って佐々木に非難めいた目を向けたのは佐々木と同じ総務課の女子社員、森田ようこだった。森田は一年早く入社した先輩だけれども、短期大学の出身なので実質的には佐々木より3つ年下の若い女の子だ。

ご指摘通り、いつ終わったのかは定かでないが、コピー機はの動きは完全に止まっている。佐々木は慌てて原稿とそのコピーを回収すると早口で、森田に謝った。

「すっ、すいませんっ!すいません……」
「そんな謝らなくてもいいんですけどね……」

本当に申し訳なさそうに謝られて、怒った森田の方が、反ってすまなさそうな顔をした。

「でもどうしちゃったんですか?最近ぼんやりしちゃって」
「いや、その……」

森田のいきなりの指摘に佐々木は口ごもった。どう言っていいのかわからない。佐々木は俯いた。

実は先日の飛行機事件以、驚くほどの速度で佐々木の頭の中は上島のことで一杯になっていたのである。

屋上で聞いた上島の気持ちが嫌でなかったこと、上司にホテルに連れ込まれて思わず上島の名前を呼んだこと、上島のいない休日の妙な淋しさと、そして先日。上島が目の前から消えてしまうかもしれないと真っ白な頭で家から飛び出したこと……これらの事柄は全て一つの方向に向かっている。が、佐々木は色恋沙汰には疎い。頭の中が上島で一杯になっているのに一体それがどうしてなのか、どういう意味を持っているのか……その肝心の答えが全く分からないのだ。

森田がどうかしたの?と心配そうな視線で佐々木を覗く。そんな森田の顔を見て、この点、洞察力の鋭い女性ならなにか分かるかも……と佐々木は思いつめた表情で、俯いていた顔を上げた。

「あの……森田さん。誰かのことで頭が一杯になるってヘン……なんですかねぇ」
「佐々木さん、誰かのことで頭一杯なんですか?」

森田がさも驚いたように聞き返してきた。慌てたのは佐々木だ。

「えっ……いやその……」
「常にその人のことを考えたり、無意識に目で追ったりしちゃうのはズバリ恋ですよ、恋!!いやーん、佐々木さん好きな人いるんですか?!」

常に、とか 無意識に、とか……誰もそんなことまで言ってない。(いや、本人が気づかないところでそうなっていたかもしれないが…)

若いOLに限ったことではないけれど、大抵女性はこの手の話題になると本領を発揮する。隣にいる森田も例外ではなかった。

ところが瞳をキラキラさせて、誰ですか、誰ですか?!と興奮気味に聞いてくる森田もそっちのけで、対する佐々木ときたら……まるで呆然とした顔つきでポツリと呟いた。

「好きな……人……」

ガーン……。佐々木にとっては、まさかの答えだった。

あまりの衝撃に佐々木は持っているコピーと原稿をバラバラと勢いよく撒き散らした。ああっ!と悲痛な声を上げながら、慌てて床に散らばった書類を拾い集める。その横で森田は『ビンゴなんですね!』、と一人盛り上がっていたが、当の佐々木にはもう何も聞こえてはいなかった。佐々木の頭の中はたった一つのことで一杯だったのだ。

(いや、そんな、まさか、男だよ。でも……もしそれが本当だとしたら……)

床にしゃがみ込んで、ばら撒かれた書類を一枚、一枚丁寧に拾いながら、それを当てはめると、俺の場合かなりマズイことになるのでは……と佐々木は額に薄っすらと汗を滲ませて、そう思った。

(俺が、上島さんのことを……好き…?)

森田に言われたことをそのまま自分に当てはめて、出てきた答えはズバリこれか。と、そこまで考えて佐々木は首を傾けた。そんなことってあるの?

……やっぱりよく分からない。だって上島は男だし佐々木だって男なのだ。佐々木は女の子の方が好きだし、第一男には一度だって興味も色気も沸いたことはない。今だってそうなのだ。だけど実際、森田に言われてみるとスゴイ説得力を感じてハッとした。どうしてどうして、最近の上島と一緒にいる時の気持ちは、片思いをしている時の自分の気持ちと良く似ていて、なんといったらよいものか……うまく言葉に出来ない。

しかし、佐々木の今までの経歴からみて男なんか好きになるハズがないのである。上島に押されて、自分はとうとうおかしくなったのか、と少し思ったりもした。でもまてよ、もしかしたらこの気持ちは単なる勘違いなのかもしれない。他人にそういう風に言われてただなんとなく、そんな気になってしまっただけなのかもしれない。

佐々木は苦労して、いろいろと否定的な意見を並べた。実のところ男を好きになったなんて認めたくない。じゃあこの気持ちは一体何なのか……。

今の佐々木には説明のしようがなかったのだ。

 

*    *    *    *    *

 

「うーん、これも違うなあ……」

佐々木は下期の予算案申請書作成の為、総務課の資料室へ来ていた。過去の出納簿を参考にして次期予算を計上するのだ。出張旅費、事務消耗品、慶弔費、雑費、その他諸々出費の総て。七面倒くさい作業ではあるけれど、これも仕事だ。佐々木はしゃがみこんで、ファイルが収められた書庫に一冊一冊目を通した。

それにしたって花丸商事の資料は結構膨大で、総務用の資料が過去10年に渡って蓄積されている。いわゆる監査用のためではあるが、それはこの本社だけでなく、いくつかある支店のものまでコピーしたものが置かれてあるから驚きだ。佐々木は立ち上がると今度は上の棚を検索し始めた。

「これも違う……」
「何探してんだよ」

資料室にひょっこり顔を出したのは上島だった。驚いたのは佐々木だ。突然の上島の登場に一瞬躊躇し、思わず後ずさる。

「かっ、上島さん!……なっ、何しに……!!」
「何しにとはご挨拶だな。あんまりお前が遅いから見に来てやったんだよ。俺が頼んだ仕事だしな」

佐々木の応対に若干不満そうな硬い表情を向けて、上島はいつものぶっきらぼうな口調で淡々と言った。

「……す、すいません……」

なんでか、佐々木が謝る。そんな佐々木の言葉を無視するように、上島は書庫の棚を見ながら言った。

「で、何を探してんだよ」
「あ、去年の出張旅費の明細です」

ああ、それなら と上島は一つの棚をスライドさせた。上島だって年に何度もお世話になる書庫だ。何の資料がどこにあるかくらい、すぐに分かる。

「あっ、これですか」
「違う違う、こっち……」
「!!」

一瞬の間があって、佐々木の顔はみるみる高揚した。そのあからさまな反応に、上島の方がさも驚いたような表情を浮かべる。そりゃそうだろう。違ったファイルを取り出そうと伸ばした佐々木の手を遮る際に、上島の手が、ほんの少し触れただけなのだ。

佐々木は慌てて上島が触れた手を振り払うとすばやい動作でファイルを取り出した。

「あ、ありがとうございました!失礼します!!」

掠れた声で、やっとの思いでそう言うと、佐々木は一礼して一目散に資料室のドアを飛び出した。恥ずかしくて顔なんか上げられない。廊下に出て一目散に階段を駆け上がると、佐々木は踊り場の壁に持たれかかって両手で顔を押さた。

「まいった……」

佐々木は赤面しながらため息をついた。よもや手が触れたぐらいで、こんなに取り乱すほど意識しているとは思ってもいなかったのだ。

上島が触れた瞬間、森田の言葉が頭をよぎった。

『恋ですよ、恋!』

気のせいだと信じることでなんとか平静を保ってきたのに、頭よりも身体が先に反応を示した。今まで否定してこれたことの方が不思議なぐらいだ。これはもう勘違いなんかですまされる範囲ではないのかもしれない。多分……いや、おそらくそうなのだ。佐々木は赤い顔をゆっくり上げた。

「……やっぱり好き…なのかもしれない……」

 

*    *    *    *    *

 

意識しだすともうどうにもならなかった。どこにいても上島の動向が気になるし、最近では会話だってちゃんと話せているかどうか自分でもわからない。23歳にもなる男が小学生ではあるまいし、と自分でもそう思うのだが性格上しかたがない。佐々木は今どき珍しい、かなり純真な男なのだ。

 

「俺の顔になんかついてんのか」

朝食を食べながら不機嫌そうに言ったのは上島だった。そう聞かれて困ったのは、当の本人である佐々木。どうやら上島の顔を無意識にじろじろと見ていたらしい。

「あ、いやっ……その……」

誤魔化そうとしたがうまく喋れない。喋れないどころか、動揺した。手に持った箸を思わず落とすと、佐々木の顔はみるみる赤くなった。それを見た上島が怪訝そうに佐々木を覗く。

「顔、赤いぞ。熱でもあるんじゃねえの?」

そう言うと同時に上島の手が佐々木の額に躊躇もなく触れた。そのとたん佐々木の顔が更に赤くなって、すごい早さで上島の手を弾いて椅子から立ち上がった。

「ね、熱なんかありません!!だ、大丈夫……です……」

勢いよく声を荒げてみたものの、途中我に帰って言葉の語尾が小さくなった。佐々木は困った表情を浮かべて俯いた。対する上島はそんな佐々木の様子を、よく分からないといったふうに見つめる。その表情は若干心配気味で、ある種、神妙な雰囲気が二人の間に漂った。

「ならいいんだが」
「……すいません。歯、磨いてきます……」

そう言って洗面台に向かう、力なさげな佐々木の後姿を目で追いながら、少々考え込むような仕草で上島は呟いた。

「………ふーん」

 

佐々木は更に困ってしまった。一度気づいてしまった気持ちにフタが出来るほど佐々木は大人ではない。しかしそれを安々と、なんの躊躇いもなく告白しよう、と思えるほど子供でもない。だから佐々木は迷っていたのだ。気づいてしまった自分の気持ちをバカ正直に伝えるか、そうしないかを。

両思いになったのなら、それはそれで大変結構なことではないか、という見方もあるかもしれないが、それは相手が異性だった場合の話。自分の気持ちを伝えてしまうと、もう後戻りなんて出来やしない。それは、つまり、そういうことなのだ。

―――自分が同性愛者になるということ。

はっきりいうと佐々木はゲイに対してあまり良いイメージを持っていない。背景には社会的にその存在が好意的に認知されていないせいもあるのだろうが、どうも道を踏み外す、といったような印象があって、正直感心しない。佐々木がそうであるように、おそらくは世間でも全部とは言わないが、『ゲイ』というとそういう印象が多数を占めているのではないだろうか。

しかし、それは単なる自分の憶測であって、一辺的な見方に過ぎない。じゃあ実際『ゲイ』ってどうなのか。佐々木の知っている『ゲイ』といえば一人しかいないし、その上島はといえば普通の、いたって真面目で、男を恋愛対象に見ること以外はその辺の男となんら一切変わりがない。むしろその堂々とした素振り……カッコいいとすら思う。

友人や知人にそのテの人間はいないし、その辺の知識も皆無に近い。内容が内容だけに、相談できる相手も見つかりはしないだろう。『うっかり男を好きになりました』なんてそんなこと一体誰に言えようか。自分の気持ちの戸惑いもさることながら、気になるのは『世間の目』だった。

 

*    *    *    *    *

 

あれからいろいろと考えている間にすっかり季節が移り変わってしまった。夏も半ばに指しかかり、会社の外では夏休みの学生の姿がやたらと目に付く。

3ヶ月、というお試し期間は実は7月の末で終わっていた。しかしどういうつもりなのか、上島は返事を迫るどころか、何も言わない。言わないどころか、今までと寸分変わらない生活を続けてくれているので、佐々木としてもなんとなく切り出せないでいたのだ。実際、答えはまだ出せないでいる。

案外、このままでもいいかとも思うがそうはいかない。意識する自分は健在だし、気持ちを黙っているにはそれなりの葛藤があるのだ。第一上島にも悪いと思うし、フェアじゃない。いっそ好きだと肯定してしまえば楽になるのかもしれないと思ったが、その後の状況を考えるとどうしても、小市民である佐々木はそこから踏み出すことが出来なかったのだ。

 

「上島くん、いるかしら」

総務部のフロアで、佐々木に聞いてきたのは営業部のお局さま、佐伯加奈子だった。

『お局さま』といってもこの女性は結構な美人で、スタイルも良い。性格もあっさりしていて実に好感がもてる。上島と同期入社という話だから、女性としては決して若いとは言えないが、若いだけの女子社員よりもずっと人気があった。

佐々木は佐伯の声が自分に向けられているのを確認すると、デスクに傾けていた顔を上げた。

「ああ、上島さんだったら、さっき外の方へ……」
「佐伯じゃねーか。何か用か」

佐々木が言い終わらぬうちに総務部の扉から入ってきたのは上島本人だった。いつものように颯爽と、肩で風を切るような、そんな堂々とした登場っぷりだ。

「上島くん。ちょうど良かった、大した用事じゃないんだけど……」
「大した用事じゃないならわざわざこんなとこまで来るなよ」

営業、忙しいんだろ?と上島。言い方は素っ気無いが上島の顔は笑っていて、仕事中にはいつも仏頂面の上島にしては珍しいことだと佐々木は思った。

(上島さんが仕事中にあんな顔を……)

その笑顔は佐々木には少々意外な印象を与えた。驚く顔の佐々木の横から、いらぬ情報を教えてくれたのは経理課の米田だ。

「佐伯さんって、昔、上島さんのこと好きだったらしいですよ」
「……へえ」
「上島さん、女子社員に人気ありますもんね。うかうかしてると、上島さん取られちゃいますよ」
「えっ!?」
「だって、仲、いいでしょう?」

状態が状態なだけに佐々木の心は激しく揺れ動かされた。米田が上島と佐々木のこの奇妙な関係を知っているのかとでも思ったのだ。しかし、悪意のない顔でクスッと笑う米田を見て佐々木は、ああ、そういうことか と瞬時に理解した。同時に佐々木の胸に安堵が広がる。勘ぐり過ぎもいいとこだ。佐々木は曖昧な笑みをもらした。

「い、いやだな米田さん。そんなに仲良くもないですよ」

ここまで言って佐々木の胸はチクッと痛んだ。もちろん米田はそういうつもりで言ったのではない。仲の良い先輩を取られるような意味合いで言ったのだ。笑って答えはしたものの、その言葉は佐々木の心の波風を立てるには充分な威力を発揮していたのだ。

(とられる……)

頭の中で繰り返して、佐々木はぎこちない表情を浮かべた。だって、そんなこと考えもしなかったし、女性にだけはありえない。上島はゲイだし、自意識過剰かも知れないが、何よりも自分を好きだと言っているのだ。

しかし本当にそうなのか。考えてみると、上島は女性には興味はないと言いながらも実際には女性のウケは大変良い。口は悪いし愛想もないけれど、さりげないところで女性に優しいところがあるのが人気の秘密なのかもしれない。男しかダメだと言っているが、意外と女性もいけるかもしれない、と佐々木は思った。

上島のウケがいいのはなにも社内に限ったことではなかった。答えは簡単だ。上島は見た目がかなり良い。178cmと高めの身長に加えてこの顔だ。周りが放っておくわけがない。今だって帰りの電車の中でこっちを見ている女子高生のグループがいるくらいだ。佐々木はつり革に右手をかけて隣に立つ上島を横目でチラリと見つめながら思った。

(そういえば最近、前ほど手を出されなくなったなあ……)

『手を出す』とはいわゆる上島のちょっかいである。少し隙を見せると頬にキスをされたり、耳に息をふきかけられたりと油断ならない。よくよく考えてみれば、それがなくなったのは交際のお試し期間の3ヶ月を過ぎた頃からではなかったか?

佐々木の胸の中で不安が動揺に変わった。もしかすると、上島はもう佐々木のことなんか何とも想ってないんじゃないか……。

そう考えると胸が急に痛くなった。わが身可愛さに気持ちを伝えるのを躊躇した結果がこれだとしたら、自分は案外大バカなのかもしれない。今頃『言っときゃよかった?』、じゃ遅いのだ。

 

乗り換えの駅でホームに降りたとき、3人の連れの女子高生が上島と自分に声をかけてきた。さっきこっちを見ていたグループの子たちだ。

ひどくルーズな白いソックスに、やたら短い制服のスカート。すこし日焼けした顔に、白く色の抜けた髪や茶髪、おいおいお前ら本当に学生なのか、と声をかけたくなるくらいバッチリと決められたメイク……。いわゆる『今時の女子コーセー』ってヤツだ。

「ねえねえ、ヒマ?」
「あたし達、ヒマしてんだー。どっか連れてってよー」
「そっちの人、可愛い!アタシチョ〜タイプ!!」
「アタシはこっちのオジサン!ね、ね。名前教えて?」

オジサン……。まあこんな16、7の子供からみれば大学を出てすぐの、しかも童顔系の佐々木はともかく、上島ほどの年齢ならばオジサンと呼ばれてもおかしくはない。まあ、上島にとっては呼び方などどうでもいいことだ。迷惑そうな顔を隠そうともせず、上島は怪訝な表情で女子高生達を一瞥した。

上島と一緒にいるとよく女性に声をかけらるが、こんな若い子に声をかけられたのは初めてだ。しかし問題なのは、その独特のテンションの高さだった。軽い頭痛を覚えるほどにうるさい。口々に一方的に喋ってくるその姿に、佐々木の頭は少々混乱気味になる。そんな佐々木を庇うように口を開いたのは、オジサンで悪かったな、の上島だった。

「お前ら、もう9時過ぎてんぜ?子供はさっさと家、帰れ」
「えー、大丈夫だよー」
「ウチら門限ないしー」

だからどっか連れてってよ!と強引に会話を繋げる。

「俺等、見ての通りしがないサラリーマンなの!お前ら連れてどっか行くような甲斐性ねぇよ。他を当たってくれ」
「えー、オジサン達みたいにルックスいいならお金なくてもいいよー」
「そうだよー、あたりーってカンジ」

ダメだ。何を言っても話しにならない。このままじゃ本当にどこかへ連れて行かなきゃならなくなりそうな雰囲気すら漂ってきた。

(こ、困ったことになってきたぞ……)

呆然と彼女らのやりとりを聞いているとそのうちの一人が佐々木の腕をグイッと強引に引っ張った。確か最初にこの佐々木をタイプだと、光栄なことを言った子だ。佐々木はその攻撃的ともとれる実行力に驚いた。

「行こうよー!」
「え…ちょ、ちょっと!」

そう言って佐々木の腕を更に強く引っ張る。佐々木は思わず助けを求めるように上島の方を見たのと同時だったか、上島の手が佐々木の腕を引っ張る女子コーセーの手首を掴んだ。びっくりした女子コーセーの手がパッと佐々木の腕から離れる。それを確認した上島は、女子コーセーの手首を離すと今度は佐々木の身体を自分の方へグイッと力強く引き寄せて、おもむろに信じられないことを口走った。

「俺等、デキてんの!お前等みてーな女に興味ねぇよ。折角の時間を邪魔しないでくれないか?」

『デキてる』のは嘘だが、『女に興味ない』のは本当だ。これには流石の『今時の女子コーセー』達も唖然としたらしい。ウソ…、マジ?と次々と言葉が発せられた。不思議なことに『キモチ悪い』という言葉はでてこなかった。まあ、上島ほどの男前の横に、そんじょそこらの女が隣に並ぶよりも、可愛らしい顔立ちの佐々木が並ぶ方がずいぶんと絵にはなる。

ホームの周りにチョロチョロいた乗客たちが、さも珍しそうに上島と佐々木をジロジロと、あるいは薄ら笑いを浮かべて通り過ぎて行ったが、そんなことはもう佐々木の目には入っていなかった。佐々木の目にはただ、何の迷いもなく、こういうことを言えてしまう上島の顔がやたら格好良く映って、心臓が破裂しそうな勢いでバクバクといっていた。

驚きを隠せなかった女子コーセー達ではあったが、しばらくすると少し納得したように じゃあシャーないな、と、さも呆れたという感じで去っていった。案外、あのぐらいの世代の女の子達の方が頭が柔らかく出来てる分だけ順応が早いのかもしれない。

女子コーセー達が去って行くのを見届けて、上島は佐々木を身体から離した。そして迷惑そうな顔をすると、ため息まじりに言った。

「まったく、今どきの高校生はよ……」

良くわかんねぇ、とでも言いたげに、電車を乗り換えるための階段を上島は昇り始めた。折角いい具合に乗り継ぎが組まれているのに1本逃してしまったようだ。

スタスタと歩いていく上島の後ろを早足でついていきながら、佐々木の心臓は飛び出しそうなぐらいに心拍数が上がっていた。ドキドキとした動悸が否応にも上島を意識させる。佐々木は上島の後姿にあった視線を足元に落とした。

(こんな時にあんなこと言うなんて……、上島さん、ズルイよ……)

 

*    *    *    *    *

 

マンションから最寄りの駅につくと、上島は一度も振り返らずにさっさと先に歩き続けた。いつもなら佐々木と並んで歩くのに今日は一体どうしたというんだろう。足早に歩く上島の後を離れないように、少し後をついて行きながら佐々木は思った。

10時をまわった商店街が開いてるはずもなく、ひっそりと静まり帰っている。人通りはほとんどなかった。

しばらく黙々と歩道を歩いていると、上島の速度が急にペースダウンしてそのまま……止まってしまった。おや?っと佐々木が上島の隣に追いつくと、まるでそれを待っていたかのように上島は呟いた。

「さっきは……悪かった」
「何がですか?」

佐々木には何が悪いというのか皆目見当がつかなかった。電柱の薄暗い蛍光灯が二人の頭上で白白と灯りをともす。それを頼りに佐々木は上島の横顔に目をやったけれど、無表情な顔からはなにも読み取れなかった。そんな佐々木の視線もお構いなしに、更に上島は淡々と続ける。

「お前さあ、人前でああいうこと言われんの嫌だろう」
「ああいうって……」
「ほら。『俺等デキてる』ってあれ。……あそこまで言わないと行ってくれそうになかったからさ」

佐々木はさっきのことを思い出して、思わず顔を高揚させた。上島に向いていた視線を反らして俯くと、若干上ずったような声で、途切れ途切れに言葉を繋いだ。

「め……迷惑じゃ…ない、ですよ。た、助かったぐらいです」

佐々木のその言葉を聞くと、上島の顔が幾分か柔らかくなった。

「そう言ってくれるとこっちとしても気が楽だ」

そう言って、上島は再びゆっくりと歩き始める。上島の背中を見ながら、佐々木はなんとも言えない気持ちになった。『人前で、ああいうことを言われんの、嫌だろう』。そんなことよりも。

上島が自分のことに気を使ってくれた事実にたまらない衝動がこみ上げてきて、佐々木は胸を抑えた。今まで、上島に伝えようかどうしようかと、佐々木を躊躇させてきたもの。

佐々木の胸を抑えた手に、力がこもった。

……世間体なんて、もうどうだっていい―――。

「上島……上島さん!」

佐々木の勢いのいい呼びかけに上島は若干、驚いたように振り向いた。

「……なんだ?」
「あの、僕…………」
「僕?」
「あの…………」
「…………」
「…………」

その続きがなかなか出せない。佐々木は俯いた。しかし今言わなくて一体いつ言えるというのか。

佐々木は覚悟を決めて拳を握り締めると、ありったけの勇気を振り絞って言葉を繋いだ。

「僕……、僕、上島さんのことが……す…す……」

佐々木の握った拳が白くなる。

「…………っ」

だめだ、言えない。

握り締めた手の力が急に抜けた。ゆっくりと白くなった手が血色を取り戻して元の色に戻っていく。その先を言える勇気が出せなかった自分が、ひどく意気地なしのように思えて、佐々木は視界の滲んだ目尻を右手の人差し指で擦った。嫌になる。

上島はその場で立ち尽くして、黙ってしまった佐々木の様子に、多少の驚きを隠さないまま、ゆっくりと歩み寄った。佐々木は俯いたままで、微動だにしない。上島が目の前で立ち止まると、佐々木の頭を2、3回 ポンポン、と叩いて優しく声をかけた。

「どうしたよ?」

上島の言葉が、ジンと、佐々木の胸を熱くした。

(ああ、俺やっぱり)

この人のことが好きだ……。

そう思うと、胸が一杯で何も考えられなかった佐々木の口から、不思議と、ごく自然に…さっきどうしても言えなかった言葉がスルリと漏れた。

「好きです……」

消え入りそうな声で佐々木は言った。良く聞こえなかったのか、上島は無言のままだ。

「好きなんです、僕っ……上島さんの、事が……!」

2度目は声が大きくなった。

とうとう佐々木は言ったのだ。上島に、『好き』だと、自分の気持ちをはっきりと!

佐々木の顔は今まで見たこともないような赤さで首まで染まっていて、見ているこっちの方が恥ずかしいくらいだった。

対する上島といえば一瞬驚いたような顔をしたが、俯いてきつく目を瞑ったままの佐々木にはその表情は見えていない。向かいあうこと数分間。少し長めの沈黙の後で上島はポツリと言った。

「うん」

たった、一言。

(え……これだけ?)

佐々木のようなノン気の人間がこれほど葛藤して想いを伝えたというのに、この素っ気無さ。しかも最初に言い寄ったのは佐々木ではなく、当の上島だったというのに!

佐々木の頭に動揺が走った。

もしかして、もう上島の中では脈なしと見なされてて、もしかして自分のことなんか、なんとも思わないようになっていて、もしかして、やっぱりさっきの科白も女子コーセーを追い返すだけの言葉で、もしかして、もしかして……佐々木の頭の中はたくさんのもしかしてで一杯になったが、最後まで考えつかないうちに上島の手が力強く佐々木の手を引っ張った。

あまりの突然さに佐々木はなにが何だかわからない。分かったのは今、上島に抱き締められたことと自分がものすごく赤い顔をしているということだけだった。そして一言。

「一緒に、暮らそうか」

佐々木は目を見開いて驚いたが、ゆっくりと目を閉じながら言った。

「…………はい」

その時佐々木は自分の気持ちを伝えられたことと、上島に受け入れてもらえた事実で頭が一杯になっていて、これから沸きあがってくるであろう問題を想像だにしていなかったのだ。


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