5


「俺、明日の晩から日曜までちょっと家空けるから」

キッチンでビールを飲みながらそう言ったのは、淡いグレーのパジャマを着た上島洋介だった。そんな上島の言葉を は?というような顔で聞いたのは、風呂上りの濡れた髪をバスタオオルで拭き取りながら登場した佐々木智弘。テーブルを挟んで二人の間に神妙な空気が流れた。

上島が隣に越してきた時に交わした約束は今でも尚、健在だ。約束というのは他でもない。上島が朝・夜と食事を作る代わりに、佐々木の部屋の風呂を提供すること。大抵上島は風呂から上がった後、10時ごろまでを佐々木の部屋で過ごしていく。過ごしていくといっても大半はTVを見たり、上島おススメの音楽を聴いたり(これがまたマイナーで良い曲がそろっているのだ)……本当のところ、色気はほとんどない。

会社が休みの前の日はもっと遅くまでいたりするのだが、そのまま部屋に泊まっていくということは実はまだ一度もなかった。上島は結構古風なところがあって、こういうことにはきっちりしている男なのだ。

その辺あたりを考慮して、当初ほどの抵抗もさほどではなくなったが、それでもまだ緊張が全て解けるほどには至っていない。流石にいつかのように押し倒されることはなかったが、隙を見せるとホッペにキスをされたり耳に息を吹きかけられたり……その顔は始終笑顔で、からかわれてるのか真剣なのかよく分からない。とにかく完全に気を許すには危険過ぎるのだ。

『絶対手は出さない』、という約束もあるにはあったが信用できない。なんといっても上島は佐々木のことが好きなのだ。

「空けるって、どこかへ行かれるんですか」
「実家」
「実家……。確か、島根…でしたよね?」
「そう、島根。昨日家に帰ったら留守電が入ってて、今週帰ってこいとさ」
「は……」

今日は木曜日だから、それはまた突然な話である。しかしこれは佐々木にとって命の洗濯ともいえる好機会であった。上島が隣へ越してきてからの2ヶ月というもの、休みの日はほとんど二人で過ごしているような気がするからだ。恋人というお試し期間ではあるのだから、当然といえば当然、なのだが……。佐々木にとって上島はそういう対象ではないのだ。やったー、やったー、やったー……佐々木は心の中でひっそりと万歳をした。

 

翌日、 じゃ、行って来るからと素っ気無く、ただそれだけ言って上島は、会社から直接実家のある島根に旅立っていった。上島のいない部屋なんて何日ぶりだろう。たまに会わない日もあるが、隣に住んでいるのだから実は毎日落ち着かない。

会社から部屋に戻ると佐々木はなんだか嬉しくなって、この休みは一体何をしようかと張り切って考えた。本屋へ行くもよし、レンタルビデオを見てもよし、買い物もいい……と、ここまで考えて佐々木は おやっ?と思った。なんだ、これじゃいつもと変わらないじゃないか。ただいつもと違うのは、上島がここに居ないだけということだけだった。

佐々木はテレビのリモコンの電源を切るとキッチンの椅子に腰をかけた。何をどう考えたらいいのか、よく分からない。別に上島のことは嫌いじゃないが一緒にいるといつも緊張感がつきまとう。とりあえず今夜は夜更かしでもしよう、一人っきりで!と、佐々木は鼻歌混じりに風呂の用意を始めた。

 

*    *    *    *    *

 

「洋介です、ただいま戻りました」
「うむ」

夜遅く実家に着いて、開口一番そう言うと、上島は父親である健次郎の前に向かい合って正座した。

上島はどちらかというと父親に似ている。きりっとした眉毛、目鼻立ち……おそらく上島が年を取って口髭でも生やすとこういう感じになるのではないだろうか。

上島の家はいわゆる旧家だ。なので小さい頃から躾などはきっちりされてきた。言葉遣い、礼儀作法……。上島から発せられる独特の威圧感は多分こういうところで培われてきたのだろう。

上島は目を細めると、本題に入れといわんばかりに単刀直入に話を切り出した。

「で、わざわざ呼び出した用件はなんですか」
「……今日は疲れているだろうからゆっくり寝なさい。話は明日だ」
「そうですか。……じゃあ、明日伺います」

そう言って上島は席を立った。

(くそ親父……)

上島は部屋から出て障子を閉めると心の中でひっそりと呟いた。健次郎がこういう優しいものの言い方をするときは、大抵とんでもない用事の時が多い。一体どんな用事だというのか。

 

翌日は土曜日だったが、健次郎は何か用事があったらしく、朝早くから出かけたので話は夕食時ということになった。急な用だというから慌てて帰って来たというのに、この歯切れの悪さ……。どうやら昨日の予測通りあまり良い話ではなさそうだ。さっさととんずらしてやろうか。

しゃがみ込んで、池で泳ぐ鯉を見ながらそんなことを考えていると、後ろに母親の百合子が立っていることに気づいた。視線には気づいたが、別にあらたまるほどの仲じゃなし……上島はしゃがんだまま、気づかないふりをした。そんな上島の内心を察したのか、百合子は上島の横に並ぶように腰を下ろす。旧家の出らしく百合子は大抵着物を着ていて、その姿での立ち振る舞いはその名の通り、百合のように優雅だ。

「洋介。帰りは日曜なの?」
「ええ、日曜に最終飛行機で帰るつもりです。ま、用事次第ではすぐに帰るかもしれませんがね」
「……そう」

一瞬の間が気になったがもう一つ気になっていることがあって上島は話を続けた。

「姉さん達は元気ですか。家中うろついても茉莉姉さんがどこにもいないんですが」
「ああ、茉莉なら今週はいないわよ。なんでも親子3人でどこかのテーマパークへ行くんだって言ってたから」
「昔と違って、学校は週休2日制になりましたからね」

上島には上に二人の姉がいる。元気か?と尋ねてはみたものの、実は上島はこの二人の姉達が少々……いや、かなり苦手であった。というのもあの二人、少しばかり飛びぬけている。そりゃあ外見は上島の姉として二人ともかなり美人の部類ではあるし、華やかではある。だがしかし……。性格に欠陥があるのだ。あの喧しい女達はプライバシーなどと気のきいたものなど持ち合わせていない。たまに実家へ帰ると上島の近状を根掘り葉掘り聞いてくる。しかしこんな姉達でも結婚はしているのだから驚きだ。もの好きもいたものだ、と上島は思う。

上島の家は代々女が婿養子をとって家を継ぐことになっている。だから長女の茉莉は婿をとってこの家の離れに暮らしているのだ。いつ会ってしまうのかと思うと、憂鬱感が否めない。更に帰ってくることがわかっていれば次女の朱莉にでも連絡していたかもしれない。なにせこの二人は非常に仲がいいのだ。

「いないんですね。それなら、いいんです」

百合子に念を押すと上島はやれやれ、という感じで安堵のため息を漏らした。

 

*    *    *    *    *

 

8畳ほどある部屋で昨晩と同じく、上島は父親の健次郎と向かい合う形になって座っていた。夕食もそこそこに、目の前にはつまみのお膳と、冷酒が置かれてある。まあ飲め、と健次郎が勧めると上島は遠慮なく口を付けた。そして一口口に含むと上島は驚いたように言った。

「これ、『雪中梅』じゃないですか!……何かいいこと、あったんですか?」
「……まあな」

歯切れの悪い返事に思わず上島はいぶかしんだ。昨日の態度といい、今日のこの酒を出すことといい……。不審さ大爆発だ。そんなふうに思いながらも、上島は銚子を傾けた。滅多に飲むことのできない酒だ、遠慮なく頂いておこう。上島はおちょこでなく、水でも飲むような普通のガラスコップになみなみと酒を注いだ。

『雪中梅』は米所新潟の幻の銘酒と言われる美酒だ。標準価格は2300円とそうでもないが、実際にはこの6〜7倍ほどの高値で取引されている。『幻』と言われるだけあって、かなり入手が困難な酒なのだ。上島の特に好きな酒の一つだったがそんな理由で上島家でもお祝い事でもなければ滅多に出されることはない。

2本目の銚子に手を伸ばしたとき、健次郎は口を開いた。

「洋介。お前、明日見合いをしろ」

それを聞いて、上島は思わず口に含んだばかりの『雪中梅』を噴出しそうになった。慌てて右手で口を抑えたものの、口から微量の酒が上島の顎を濡らした。喉も咳き込む。手元にあった手拭で口元を拭うと、上島は勢いよく怒鳴りたい気持ちを抑えて、努めて冷静であるように言った。

「俺が、ですか?……冗談でしょう?」

上島はジロリと健次郎を睨んだ。対する健次郎の顔といったら、何事もなかったかのように澄ましていて、それがかえって上島の神経を逆なでする。

「冗談でわざわざこんなとこまで呼び出すか」
「……俺の趣味知ってんでしょう?それを承知で言ってんですか」

承知、承知と健次郎は無言で頷いた。趣味とは上島が同性愛者であるということ。尤も上島家の間では暗黙ではあるが公認の事実だ。それを父・健次郎が知らぬはずがない。一体こんなことを引き受けてきてどういうつもりなのか。上島はさっきよりも厳しい目つきで健次郎を睨んだ。

「理由を、聞かせてもらいましょうか」
「実はこの見合い、克巳のところへ持ち込まれたものなんだが……逃げたんだ」
「………逃げた?」

上島は唖然とした。開いた口が塞がらない。

『克巳』は2つ年下の、上島の従兄弟である。中学生までは毎年長い休みに入ると、決まって長期滞在で上島のいるこの家に遊びにきた。一人っ子の克巳は上島を兄のように慕い、上島も上の二人がああなものだから、克巳をまるで本当の弟のように可愛がってやったものなのだ。いわば兄弟のような間柄ではあるのだが、克巳の性格は上島よりもやや軽い。引き受けた見合いをドタキャンするなんていうのは、やつならやりかねないことだ。

実際見合いは先週の日曜日で、克巳を呼び寄せたはいいがそれを告げると夜中に姿を消してしまったらしい。見合いはご破算になったわけだが、それでは相手の面子が立たない。結局、その週は急な仕事が入ったと嘘の言い訳をして延期にしてもらったが、もう一度呼び寄せようにも連絡が一切とれなかったというわけだ。しかしダメになったからと言って突然相手を代えるには失礼過ぎる。

「それでアイツの代役として急きょ俺が選ばれたわけか」
「流石は洋介、察しがいいな」

上島と克巳は年齢といい、背格好といい……なにより顔立ちがよく似ているのだ。写真だけしか知らない相手ならば『上島克巳』として充分通る。察しもクソも……忌々しい!と、上島は不愉快な表情を隠さない。

「バカバカしい、そんなことで呼び出したんなら今すぐ帰ります」

なんで俺が克巳なんかの変わりに……、そう言って上島は立ち上がろうとしたがうまく立てなかった。立てなかったどころではない。力が抜けてゆくのだ。二の足は力なく、上島はそのまま座敷に倒れ込んだ。一瞬何が起こったのかと思ったがすぐに察しが付いた。……『雪中梅』、だ。

「……クソ親父!酒の中になんか入れやがったな……!」

上島は健次郎を睨みつけて吐き捨てるように言った。

「お前のことだから素直には受け入れないと思っとった。お前にまで逃げられちゃ、こっちもシャレにもならんからな」
「素直も……クソも……」

酒の中に入れられたそれは睡眠薬かなにかの類だったらしい。上島の瞼がどんどん重く感じられ、上島の意識は次第に薄れていった。

 

*    *    *    *    *

 

目が覚めるとどういうわけか座敷牢の中だった。上島の家は旧家なのでこんな時代掛かったものが残されている。子供のころ悪さをするとよくここへ閉じ込められたものだ。しかしこの歳になってこんなところに軟禁されようとは……。夏で良かった。冬なら代理見合いどころか、このままとっくに凍死している。

上島は上半身をを起こすと両手を動かして、身体の自由を確かめた。昨日の薬はどうやら残ってないようだ。

壁側にある小さい小窓から太陽らしき光がさし込まれ翌日になっていることを告げている。上島は上半身を起こすと左腕の袖をめくって腕時計を見た。時間は10時を指している。薬が効きすぎたのか、はたまた疲れていたのか。上島にしてはちょっと寝過ぎだ。上島は右手で前髪を恭しく掻き揚げると、どうするかな、と小さなため息をついた。

「すまないなあ、洋ちゃん」

背後から突然声をかけてきたのは上島をお見合いに担ぎ出した張本人……上島克巳、その人だった。上島がこうなった経緯を知っているのか、克巳はニヤニヤしながら座敷牢の中の上島を見つめている。

「克巳!お前、どうしてこんなところにいるんだ。逃げたんじゃなかったのか?」
「俺って結構責任感強いからさ。今日の見合い本当に行ってくれるのかと心配で心配で……。朝一番でわざわざ見に来たんだぜ?」

上島は半ば呆れた。自分がすっぽかしたくせに責任感が強いとは片腹痛い。悪びれた様子が微塵も感じられない克巳に上島は言った。

「すっぽかすぐらいなら最初から引きうけるなよ」
「俺もこっちに来てから聞いたんだよ」
「そんなに嫌なら、その後、断りゃいいだろう」
「俺、フェミニストだからなあ」

自分から断れないんだ、と克巳はしゃあしゃあと言った。会ったわけでもないくせに、もう断られない気分でいやがる。尤も見合いというのは本来男からは断ったりしてはいけないらしい。上島はやや軽蔑のこもった目で更に続けた。

「来たんなら丁度良い。予定通りお前が見合いしろ」
「あれ、伯父さんから聞いてないの?」
「聞いてって……何を」
「伯父さんと取引したことだよ」

正直上島は驚いた。取引って一体何を親父に言ったんだ?

上島の脳裏に浮かんだのは昨日の経緯を説明する健次郎の顔だった。そういえばなんだか強引ではなかったか。

「いい人口歯って保険効かないんだよなあ。割引してあげますよ、って言ったら伯父さん、二つ返事で引き受けてくれたよ。高齢化社会に向けて歯医者はいい職業かも知れないね」

悪魔のように、ニヤッと白い歯を見せると克巳は得意げに言った。

上島の叔父にあたる克巳の父親は、偶然ではあるが上島の努める花丸商事のすぐ近くに、歯科医院を開業するベテランの歯科医だった。昨年の暮れ、余生を故郷で、と引退を表明し、すべてを一人息子の克巳に託して島根に帰ってきていたのだった。つまり克巳は齢、26という若さにして一国の城を持つ、立派な歯科開業医なのである。

「保険……。要するに……俺は親父に売られたってことか。目眩がするぜ」

こうなってくるとお袋もグルか……。頭痛もしてきた。少し下がった前髪を掻き揚げ、額に手を当てるとふと佐々木の顔が浮かんだ。そういえばこっちについてから何も連絡していない。上島は克巳に視線を向けた。

「お前、携帯持ってるか」
「ああ?持ってるけど?」
「貸してくれ。ちょっと長距離だけど俺への仕打ちに比べれば安いもんだろう」

仕方ないな、と言いながらも克巳は快く貸してくれた。仕方ないのはお前の方だろう。上島にしてみればとばっちりを受けたんだから当然だ。逆に礼の一つでも言って欲しいところである。上島は格子ごしに携帯を受けとると佐々木の部屋の番号をダイヤルし始めた。

 

*    *    *    *    *

 

(こんなつもりじゃなかったのに……)

そう思っていたのは部屋でレンタルビデオを見ながらスナック菓子をつまんでいる佐々木だった。

上島がいない2日間。思いっきりハメを外そう…!と思っていたのに、予想に反してなんだか全然つまらない。そりゃあ上島が旅立った直後は鼻歌なんぞが出る勢いで気分良く過ごしていたものだが、次の日の朝、昼、夜……時間が経過する毎になんだか胸にぽっかり穴があいた気持ちになってきたのだ。始めは何だかよく分からなかったのだが、どうやら人恋しくなっているらしい。上島が隣に越してきてからというもの1人になることが少なくなったせいだろうか。

折角借りてきたビデオも一人で見てもちっともおもしろいと感じないし、一人でする食事も味気ない。犬養でも呼ぼうか、そう考えていた時だった。勢いよく佐々木の部屋の電話が鳴った。

「はい、佐々木……」
『佐々木?ああ、俺。上島だ』
「!上島さん?……まだ島根ですか?」

佐々木はそう言った後、しまった!と思った。一応帰りは19時半の出雲空港発だと聞いていたのだ。今はまだ朝の10時を回ったところで、他の場所にはいるはずがない。これじゃ、まるで待っていたみたいじゃないか、と佐々木は慌てて別の話題を振った。

「よ、用事、済みました?」
『いや、まだこれから』
「そ、そうですか……。で……、何か……用、ですか?」
『……用がなきゃ電話しちゃいけねえの?』

佐々木はドキッとした。上島にしては珍しく拗ねたような、甘えたようなもの言いで、さらに受話器を通して耳元で囁かれているような気がしたのだ。電話なので上島には分からないかもしれなかったが佐々木の顔はみるみる高揚していった。言葉にも動揺が走る。

「い、いえっ、そんな……ことは……」
『ま、本当に用事はないんだけどな。ちょっと声、聞きたかっただけ。それじゃ』
「あっ、ちょっ……上島さん!」

最後の佐々木の声は届いたのか届かなかったのか……とにかく電話はそこで切れた。自分に好意を寄せていることを隠しもしないくせに、上島にはこういう素っ気無いところが多々ある。

佐々木は通話の途切れた受話器を物憂げに見つめた。

「そんなに慌てて切らなくてもいいのに……」

何故だか解らないけれど佐々木はもう少し、上島の声が聞きたかったのだ。

 

*    *    *    *    *

 

押しつけられたお見合いは出雲市内にあるシティホテルの一室で行われことになっていた。和室の縁側には見合いには欠かせない定番の日本庭園なんかが見えていて、いかにも!という雰囲気が漂っている。上島は「ああ、かったるい」、と思っているとは億尾にも出さず、きっちりと座敷に正座して見合いの相手を待った。

左手首の時計で時間を確認する。約束時間の5分前だ。いっそ大幅に遅れてでもしてもらって、怒って帰ったと言ってもらいたいもんだ。と上島はそう思った。しかしその願いも空しく、3分前となったところで部屋の戸が開いた。そして淡い清楚な色の着物を着た、見合いの相手であろう女性と、その母親らしき人物が入ってきたのだ。そして上島の前に座ってお互いの視線を合わせると、相手の女と上島はお互いあっ!という顔をして言った。

「洋介……!」
「……加代子……?」

上島が驚いたのも無理はなかった。見合いの相手の田中加代子は、上島の近所に住む幼馴染だったからなのだ。同時にそれは高校時代の苦い思い出を彷彿とさせた。上島は遠くを見るように目を細めた。

 

ホテル内の日本庭園を二人で散歩しながら加代子は言った。

「驚いたわ。なんであんたがここにいるのよ。釣書と違うじゃない」
「まあ、いろいろと事情があってな」

上島は苦笑した。

「こっちも驚いたよ。まさか見合いの相手が加代子とはな」
「写真ちゃんと見た?失礼じゃないの」

どうせ始めから断るつもりだったし、元は人の見合いだ。顔なんかどうだっていい。しかし世の中こんな偶然ももあるのか、と上島は思った。

ひとしきり話をしながら庭園を歩いた後、池のほとりにある竹の椅子に加代子は腰をかけた。その横に上島も座るとタバコ吸ってもいいか?と聞いてジッポのライターを取り出す。

上島はふーっ、と煙草の煙を吐き出すと横目で加代子の方を見つめた。何年ぶりかで会うオンナっていうのは変わるもんだ、と上島は思った。尤も高校時代といえば上島にとっては初めて自分の性癖に気づき始めた頃でもあり、女性である加代子の当時の顔なんか実はオマケ程度にしか覚えていない。

一本目のタバコを吸い終わると、上島は携帯用灰皿を内ポケットから取り出した。

お見合いというのは礼儀として普通男の方からは断われない仕組みなっている。女性に対して失礼に当たるからだ。今時そんな律儀な男もいないだろうが、上島だって女性には優しい。どうやってやんわり断ろうかと思っていたのだ。しかし相手が知り合いなら話は早い。向こうの方から断ってもらえばいいのだ。上島は加代子に言った。

「で、見合いは断ってくれんだろうな」
「さあ、どうしようかな」
「……お前、あいかわらず性格悪いのな」

ふふふっと加代子が笑った。

「だってあんたあたしを振ったじゃない?少しは意地悪させてよ」
「意地悪、ね」

その声に悪意はない。最後には断ってくれるであろうことを上島は知っていた。加代子はそういうヤツなのだ。ある意味そこいらの男よりもさっぱりしている。

「あーあ。相手が洋介だってわかってたら大輔絶対来たのに……」
「大輔?なんで俺だと大輔が来るんだよ」
「あたしが昔洋介を好きだったから」
「付き合ってんのか、大輔と……」

加代子は小さく頷いた。上島は驚きをかくせなかった。天野大輔という男は加代子同様、上島の幼馴染で、高校時代まではよく3人でつるんでいた。おまけに大輔には多少の因縁もある。何を隠そう上島の初恋と思われる人物だったからだ。しかし大輔は大輔で加代子のことが好きで、更に具合の悪いことに加代子は上島のことが好きだったから始末に追えなかった。まあいろいろとあって、大輔とは上島が大学入学の際、家を出てから音信不通状態になっていたのだが。

高校を卒業してからもう10年経つとはいえ、どういう経緯かは知らないがこの二人は今付き合っている。更によくわからないことに大輔というれっきとした恋人がいながら加代子はお見合いなんかしている。しかし勝気な加代子のことだ。何故そういうことをしているのか大体察しはつく。

「継いだ家の事業がうまくいってなくてね。まあ、それがポシャるともう絶対結婚しようなんて言わないわよね、大輔のあの性格じゃ!」
「苦労させたくないってか。大輔の気持ちはわかるけどな。」
「あたしの気持ちは分かってくれないの?最後の賭けに出たっていうのに」

加代子は他人に幸せにしてもらおうと思うような女ではない。あくまで幸せの選択は自分で、というタイプの女だ。事業に失敗した男を支えられるのはまず、こういう気骨の座った女なのだろう。上島は苦笑した。大輔なんかよりよっぽど男らしくてたくましい。

 

しばらくたわいない昔話に花を咲かせていると、ふいに加代子が時間を尋ねた。3時前だと答えると勝気な笑顔を見せていた加代子は急に花がしおれたように元気がなくなった。

「今日のお見合い、日時と、場所と……言ったのに」
「待てよ、終わってからくるかも知れないぜ」
「大輔が来なくて、見合いの相手がそこそこに良い相手だったら即決めよ!ってタンカをきってきたのよ。今来ないならもう来ないわ」

加代子だって本当は不安だったのだ。そんな加代子に上島は言った。

「……信じてやらねえの?」
「…………」
「多分来るぜ、あいつ。きっと、来る」
「……もう無理よ。だって3時頃に終わるって言っちゃたもん」

加代子の目は涙で潤んでいて今にも泣きだしそうだった。上島はスーツの内ポケットからハンカチを取り出すと、無言で加代子に差し出した。女に限らず、子供でも、男でも……泣かれると居心地が悪い。ありがとう、と上島の手からハンカチを取ると、加代子は涙を拭いながら言った。

「洋介、なんか変わったわね。なんだか……優しくなった」
「俺は昔から優しいぜ」
「嘘よ。昔ならこういうとき真っ先に『来ない』、とか言うヤツだったくせに」
「あのなあ、俺だってもう28だぜ?誰にどう言や痛がるかってことぐらい……分かるよ」
「今、大事な人でもいるの?そういう人には、余裕があるもの」

上島の脳裏には佐々木の顔がちらりと浮かんだ。

「まあ……めちゃくちゃ大事なのが一人、いることはいるよ。まだ片思いだけどな」

 

*    *    *    *    *

 

結局、大輔は上島が言った通り来たのだった。長い散歩を終えて座敷へ戻るとそこに大輔がいたのだ。

加代子にはああいったが、実は内心、こんなところへ加代子をさらいには来ないだろう、と思っていた。大体大輔は昔から優しいところがあって、まず相手のことを一番に考えるヤツだったからだ。しかし礼儀を重んじる点は昔からちっとも変わっていない。加代子よりも先に付き添いである加代子の母親と、見合いの相手に頭を下げに来たのだから。

(全くばかばかしい話だ。わざわざこんなことのために呼び出されたのか)

帰りの飛行機の中で上島は思った。まあ悪い話ばかりではなかったが、久しぶりの帰省だというのに酒に薬は入れられるわ、見合いをさせられるわとんでもない休日だった。もっとも見合いの相手の顔を見たときの、大輔の驚いた顔はちょっと忘れられない。これだけでも来た価値はあったか。大輔とは気まずい思いをさせたっきり別れたので上島には気になるところではあったのだ。

付き添った克巳の母親も事情が事情だけに二つ返事でOKした。対面を傷つけられて何故にこんなにすんなり許してもらえたのか。向こう側には一体何が何だかわからなかっただろう。ま、終わり良ければすべて良し、か。

(それにしても………)

上島はちらりと時計を見た。

おかしいのだ。到着の予定時刻をとっくに過ぎているのに、飛行機はちっとも着陸する気配がない。それどころか空港の上空をくるくる回っている感じがするのだ。

(おかしいな)

予定時刻を少し過ぎた後、都合で送れるとのアナウンスが入ったが、30分は長すぎだ。乗客が騒ぎ出すには充分な時間だった。

 

*    *    *    *    *

 

そのころ地上ではその飛行機についてちょっとした騒ぎになっていた。テレビはあまり見ない佐々木がその時間、テレビの電源を入れたのはほんの偶然で、その情報は緊急速報の白いテロップだった。しかし、騒ぎの内容を確認するには充分すぎる内容だったのだ。

『19時30分出雲空港発……278便、M87の車輪が降りなくなり、現在空港上空を……』

佐々木は思わず立ちあがった。

「うそ……」

この機体こそ上島が乗ってるはずの飛行機だった。出発前に上島から連絡先の住所から、帰りの時刻・便名まで紙に書いていったのだから間違いない。佐々木の視界がグニャリと歪んだ。瞬間、ハッと我に返って頭を2、3回激しく振る。佐々木の頭の中は真っ白で、思考回路が十分に動作できない。その状況で、やっと発した言葉がこれだ。

「行かなきゃ……」

佐々木は財布を掴むと家を飛び出した。

 

*    *    *    *    *

 

佐々木が空港に着くと、車輪が無事降りたかどうかは知らないけれど、上島の乗っていた飛行機は無事着陸を終えて、乗客もそのほとんどが降りた後らしいところだった。ロビーにはまだ多数のレポータやカメラが回っていて、その飛行機に乗り合わせていたと思われる客たちがインタビューを受けている。

佐々木は肩で息をしながら辺りを見まわすと愕然とした。飛び出したときには気が動転して気付かなかったけれど、こんなに広い場所で、なおかつ、沢山の人ごみの中から上島を見つけられるわけないではないか。もし今、飛行機が無事着陸した瞬間であったとしても、こんな人だかりの中、上島を見つけ出せる自信は、とんとなかった。時間のロスが嫌いな上島のことだ。さっさとどこかに移動した後かもしれない。

佐々木は広いロビーにポツンと立ち尽くした。慌てて飛び出してきた自分がなんだか馬鹿のようではないか。

そう思うと急に情けなくなってきて、思わず涙が出そうになった。佐々木は慌てて右の手のひらで目を擦った。

「折角来たけど……帰ろ……」

あまりの広さと人ごみに圧倒されて場違いなところにいる感じがした。自分はここにいてもしょうがないんだ、と半ば諦めムードになったその時だった。背後から佐々木を呼ぶ声がしたのだ。

「おい……佐々木!」

後ろを振り向くと小さ目のスポーツバッグを肩からぶら下げた上島が立っていた。これには流石の佐々木も驚いた。一体どこをどうやったらこんな条件でたった一人を見つけられるというのか。しかし上島はその中からたった一人、この佐々木を見つけ出したのだ。

「どうしたよ、こんなところで」

今からどっか行くのか?と、上島。休みも終わりで、そんなこと、あるわけないじゃないか。慌てて佐々木が訂正する。

「あ、あのニュースで……上島さんの乗ってる飛行機の車輪が出なくなったってテロップが……」
「それでわざわざ空港まで?」
「来ても、どうしようもないってことは来てから気づいたんですけど……」
「……心配して?」

佐々木は耳まで顔を赤くすると、目を伏せて俯いた。なんと言っていいのか分からなかったからだ。上島は意外そうな目を向けて佐々木を見ていたが、やがて言った。

「めちゃくちゃ、嬉しい」

そう言って笑った上島の顔みて佐々木の心臓は大きな音を一つ立てた。

どういう意味で佐々木の心臓が反応したかは知らないが、これはちょっと、やばいんじゃあ……と佐々木はなんとなく思い始めていたのだった。



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3つ数えろ!第5話・島根弁ヴァージョン

 

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