3


花丸商事は広い会社ではない。だから総務部の上島と営業部の犬養がエレベータ前で鉢合わせるなんていうことはそんなに低い確率ではなかったのだ。

「…………」

花丸商事、第一営業部に所属する犬養竜彦(22)、は考えこんでいた。今、一緒にエレベータを待っているこの男。どこかで見たことがある。さてどこでだったか……。犬養は気づかれないように、横目でチラチラと、男の顔をうかがった。エレベーターの回数表示のランプがどんどん下がっていく。

犬養だってれっきとした花丸商事の営業マンである。人の顔を覚えるのは歴史年号の暗記の次に得意だったはずである。しかしなぜだろう。横に並ぶこの男。この端正な顔立ち、立ち姿、黒い髪……一度見たらそうそう忘れそうもないほどの印象的な人物なのに、どこかで見たような気がするのに……分からないのだ。

こういうことは思い出せないと気持ちが悪い。聞くは一時の恥、と犬養は思いきって口を開いた。

「すいません、どこかでお会いしたこと……ありませんでしたか?」
「…………覚えてない?」

横に並んだその男は犬養の顔も見ず、すぐ前のエレベータの表示ランプを見たままでそう答えた。その声は意外とも威圧的ともとれるような口調で、思わず犬養はたじろいだ。

「あ、あの、お会いしたこと……ありましたっけ…」
「困るな。花丸商事を支える営業部員が、あんな劇的な出会い方をした人間の顔をそう簡単に忘れちまうのは」

その時、ちょうど間を計っていたかのように、エレベータのドアがポーンと鳴って開いた。その間際、男は犬養の方へ顔を向けると、その時の顔と重なった。犬養は思わず「あっ!」という声をあげた。

「あっ、あっ……あ――――――っ!」

上島は悪びれるでもなく得意げにニヤッと挑戦的な笑みを浮かべると、一人だけさっさとエレベータに乗りこんだ。ドアの方に踵を返すと、犬養に向けてサラリと一言。

「土曜日はどうも。佐々木のヤツ、ゆっくりしてってもらえばよかったのにな」

上島が言い終わるのが早いか、エレベーターの戸は閉まり、後には呆然とした犬養だけが取り残されたのだった。


 

*    *    *    *    *

 

「はぁー……どうしよ。」

朝から何回ため息をついたのか分からない。かつてないほどに佐々木は落ち込んでいた。先週末はいろいろとありすぎたのだ。

上島が何の予告もなく隣へ引っ越して来たこと、食事を作ってくれる変わりにお風呂を貸すこと、そして犬養がやってきて佐々木と上島の関係を誤解――あながち誤解ではないが――していったこと。そしてその誤解はまだ解けていないこと。

犬養の携帯の番号は知ってるし、家も知っている。連絡を取ろうと思えばいつでも取れた。だが佐々木があえてそれをしなかったのは、この関係を分かってもらえるかどうかイマイチ自信が持てなかったからだ。あれは誤解なんだと5年来の友人に果たして信じてもらえるのだろうか。しかし誤解は解かなければ……。

 

犬養が仕事を終えて帰路へ就こうととしたのは午後8時を過ぎた頃だった。

全く今日は腹ただしい1日だ、と犬養竜彦は思った。昼間エレベータ前で会ったあの男のことである。一言二言言葉を交わした、ただそれだけのことであるのも関わらず、なんだか犬養は気に入らなかった。飄々として自信満々なあの態度。……なんだかバカにされたような気がしたのだ。

しかもあの男、犬養の思い違いでなければ先週の土曜日に佐々木のところにいた奴だ。本人もそれをほのめかすような言葉を言って去っている。間違いない。それに付随するように犬養の頭に浮かんだのは、この間佐々木の部屋で目撃したあの時の光景だった。

赤い顔をした佐々木、不自然に近すぎる二人の距離……これはどう見てもアレだ。が、犬養は腑に落ちなかった。佐々木とは大学時代からの付き合いだ。犬養の知っている佐々木はそういう趣味のヤツでは決してない。なにか事情があるんではなかろうか。

………あるのだ。流石は名字に『犬』の字を頂く男、勘がいい。

 

受付のあるロビーに続く階段を降りていくと、その階段のたもとにある4人がけの椅子に佐々木が座っていた。人の気配に気がついた佐々木が犬養を確認すると、ゆっくりとした動作で椅子から立ちあがり無言で犬養に視線を向ける。犬養は正直驚いた。今まさにその佐々木のことを考えていたからである。佐々木は犬養の顔を不安そうな顔で見つめると言った。

「犬養。ちょっと話……あるんだけど」
「……俺も」

二人ならんで会社の正面玄関を抜けると、駅に向かって歩き出した。いずれも無言のままで、佐々木としては気が重い。駅の構内に入ると、喫茶店が目に付いた。佐々木は犬養に視線を向けると、犬養は「コーヒーでも飲むか」、と店内の入り口をくぐる。

しばらく沈黙が続いたが、喫茶店のウエイトレスが持ってきたコーヒーがテーブルに並べられると、佐々木はゆっくり――本当は言いたくはなかったが――今までの経緯を犬養に話し始めた。それを聞いた犬養の反応が心配だったが、犬養は以外にもあっさりと佐々木の話を信じてくれたのだ。そして言った。

「なんだ、そりゃ?信じらんねぇ!」
「……俺は今でも信じられないよ、犬養」

力なくそう言った佐々木の顔が酷く痛々しく見えて、いよいよ犬養は黙ってられなくなった。理由は、そればかりではない。あのいかすけない男にも一言ピシャリと言ってやりたかったのだ。犬養はイライラと足でテーブルを揺すった。

「お前が言えないんなら、上島……だっけ?俺が今から言って直談判してやるよ」
「え、ちょ……犬養!やめてくれよ、3ヶ月経ったらちゃんと断るから……」
「そんなこといって本当に断れんのか?お前気ぃ弱いじゃんよ」

佐々木は答えに困った。気が弱いのは本当のことだからだ。言うの言わないのと押し問答になったが、結局佐々木は犬養の情熱に負けた。ここでも気の弱さは遺憾なく発揮されている。

それにしても心配だ。犬養は血の気が多い。上島と喧嘩にならなければいいけれど、と佐々木は胸の不安を隠せなかった。

 

*    *    *    *    *

 

「はあ?」

あからさまに不機嫌な顔を露骨に示したのは上島だった。そりゃそうだろう、自分より早く帰ったはずの恋人――仮ではあるが――が夜遅く、男を連れて自分の部屋に来たのだ。しかもそいつは関係もないくせに、開口一番佐々木と別れろと言う。

「そうだ、迷惑してんだってよ。な、佐々木!」
「…………う、うん」

佐々木は小さいながらに肯定の返事をした。ここまではっきり言われて交際を推し進めるやつはいないだろう。犬養は思った。が、それを聞いて肝心の上島は動揺するどころかしゃあしゃあとした素振りで答えを返してきた。

「そんなの承知の上だけど?」
「なっ……!」

動揺したのは犬養だった。まさかそんな返事が返ってくるとは思ってもみなかったのだ。せめてちょっとはすまなさそうな顔をするとか、もっとうろたえたりするとか……そういうことを思っていたのだ。

上島にしてみれば何を今更的なことだった。そんなこと佐々木の身体を手に入れ損ねた、あの夜に分かりきっている。それを承知で交際を迫ったのだし、仏心で期限もつけた。上島はジロリと犬養を見据えて言った。

「わざわざこんな時間にそんな事を言いに来たわけか?は、ひま人だな」
「何っ!?」
「佐々木だって子供じゃない。自分にかかる火の粉ぐらい自分で払えるだろうさ、そうだろう?佐々木」

いきなり話を振られて佐々木は焦った。しかし上島のそれには頷けなかった。そういったことが出来ないからこそ犬養が付いてきたのだ。更にややこしいことを言えば、その申し出を断ることも出来なかったのだから、犬養が付いてきたのだが……まあ、そんなことはどうでも良い。佐々木の返事を待たずに上島は犬養の方へ視線を移して言った。

「どうせお前が話をつけてやるとかなんとか言ってきたんだろう」
「ぐっ……!」

図星だった。勘がするどいのか犬養がわかりやすいのか……。佐々木はその二人のやり取りを横で見ていてやっぱり犬養を連れてくるのではなかったと後悔した。狼狽の色を隠せない佐々木を横目に上島は続けた。

「それとも何か。お前、佐々木に惚れてるとでも言うのか」

この発言がいけなかった。犬養の神経を逆なでしたのだ。さらに上島のこの人をバカにしたようなこの態度、それに加えてこの人を見下したようなこの目つき……気に入らなかったのはこれだ!犬養の中の何かに火がついた。

「ああ、そうだよ!俺は佐々木が好きなんだ!!」

売り言葉に買い言葉ともとれる犬養の言葉に一番驚いたのは佐々木だった。

「いっ、犬養!お前何言って……!」
「ふーん、冗談にしちゃ上等だな」

狭い部屋のリビングで三人の男が向かい合って立っているのはあまりにも異質だ。しかも一人は頭に血が昇っている、一人は慌てふためいている、もう一人は平然と構えている……なんだかおかしな光景だった。更にこのメンバーでたった今、三角関係が出来上がってしまったのだから話は余計に複雑だ。

口を開いたのは犬養だった。

「今日はこれで帰るけどなっ、上島っ!佐々木に……ヘンなことするなよ!!」
「ヘンなことってのはどういう意味だ。例えば?」
「……まんまだ!」

そう言い放つと犬養は佐々木の腕を掴んで、すごい剣幕で上島の部屋を出て行った。玄関のドアが勢いよく閉まった音が聞こえて上島は思わず笑ってしまった。

「営業部の犬養だったけ?からかうとおもしれーのな」

 

*    *    *    *    *

 

頭に血が昇っていたとはいえ、どうして自分でもああいうことを言ってしまったのか……。当の犬養自身にもよく分かっていなかった。そりゃあ、犬養だって佐々木のことは好きだ。だけど決してそういう意味の好きではない。あくまで友達としての『好き』だったはずだ。少なくともこの時点までは。

「犬養っ、ちょ……離せよっ!」

上島の部屋から駅に向かう途中の道で声を張り上げたのは佐々木だった。犬養の手はまだ佐々木の腕を掴んでいたのである。犬養はそれに気付くと慌てて佐々木の腕を離した。

「あ、悪ィ!」

佐々木の住居は上島の部屋の隣だ。頭に血が昇っていたためそんな初歩的なことさえも忘れてしまっていたらしい。しかも犬養はかなり強い力で引っ張っていたようで、痛いのか、佐々木は目を伏せて掴まれていた腕を擦った。その佐々木の仕草に犬養は目を奪われた。

(……あれ?コイツ、こんな顔してたっけか……)

犬養の心臓がドキンと一つ、大きな音を立てた。更に佐々木は犬養を批判するでもなく、不安気な顔をこっちに向けた。その顔ときたら!犬養の心音は一気に速くなった。

(あれ、あれれ……?どうしてこんなに動悸が……おいおい、これって……)

そんな犬養の心の流れを知ってか知らずか佐々木は言った。

「犬養さ、さっきのあれ……」
「あ、あれって?」
「……俺のこと、好きだっていうの」

犬養の心臓は更にスピードアップした。

「あっ、あれ、あれね!えーと……」
「冗談だよな?だって俺達友達だもんな」
「そ、そうだよ、冗談に決まってんじゃん!」

そう言いながら犬養の胸が激しく痛んだ。これってやっぱり……。

「そうか、そうだよな!」

大きな安堵感からか、そう言って笑顔を向けた佐々木を見て犬養はたまらなくなった。

皮肉なことに先ほど交際を諦めろ!と直談判しにいった上島の一言で、今まで考えても見なかった感情に気付いてしまったのである。何ということだろう。さっきまで友達だったはずの同性の友人に対してこういう気持ちを抱くなんて!

もっとまずいことに頭に血が昇った犬養は、もはや自分の気持ちを抑えきれなくなってしまっていた。単純なのか?勢いづいて佐々木にこう言ったのだ。

「ごめん、佐々木!」

いきなり謝りだした犬養の行動に佐々木は驚いた。一体いきなりなんなのか。犬養はそんな佐々木に構わずに続く言葉を口にした。

「今気付いたんだけど俺、どうやらお前のこと……本当に好きみたいだ」
「………は……はあ――――っ?」

あまりの突拍子のなさに佐々木は一瞬言葉が出なかった。佐々木の頭は混乱している。やっとの思いで吐き出した言葉がこれだ。

「……それって、上島さんと一緒……ってことなのか?」
「アイツなんかと一緒にするな!」

犬養は怒ったが、どこがどう違うというのか。佐々木は呆然とした瞳で犬養を見つめた。友情が愛情に変わった瞬間だった。

 

*    *    *    *    *

 

(頭、痛い……)

最近は朝、目が覚めた瞬間からこの調子である。別にどこか病気というわけではない。上島と顔を合わせるのが憂鬱なだけだ。しかしこの日はまた別に頭の痛い出来事が佐々木を打ちのめしていた。佐々木の大学からの友人、犬養のことである。何度思いだしてみても夕べのことは夢ではなさそうだったのだ。

『俺、どうやらお前のこと、本当に好きみたいだ』

もちろんそういった意味で、である。昨日のあの瞬間までは確かに犬養とは友達同士だった。それは間違いなかったのだ。

 

「……元気ないな。どうした?」

めずらしく優しい声をかけたのは右手に箸、左手に椀を持った上島だった。引越してきた時の強引な約束通り毎朝毎晩食事を共にしている。これまた強引に合鍵を作り、たいてい上島が佐々木宅に訪れて食事を作る、という具合だったのだが。

多少の憂鬱はあるが、とりあえずこういう風景は2週間経つのでもう慣れた。誰が作ったにしろ朝ご飯が出来てるというのは悪いものではない。食に無頓着な佐々木の健康にとってはむしろありがたいぐらいだった。

「いえ、その………」

言葉を濁す佐々木に上島は鋭い一言を放った。

「昨日の犬養の買い言葉は実は本当だった、とか」
「!」

驚いた佐々木の表情を見て頬に手を当てながら上島はニヤッと笑った。

「ビンゴ。お前本当に嘘のつけない奴なのな」
「………」
「で、どうすんの」
「どうするって……なにが…ですか」
「交際すんの」
「ま、まさか!……断りますよ」
「ふうん、断れんの」
「ぅ………」

佐々木は言葉に詰まった。犬養は友達だ。そのスタンスは誰がなんと言っても譲れない。しかし何といって断ればいいものか……。無下に断れば友情だっていきなり終わりそうな気がした。

狼狽する佐々木に面白がっているのか、ニヤニヤしながら上島が言う。

「俺が断ってやろうか?」
「け、結構です!自分で、出来ますから!!」

佐々木は慌てて断った。昨晩はそうやって犬養の介入を許したがためにこんな事態陥ったのだ。上島は一言 ふうん と素っ気無い返事をした後「ま、頑張れよ」とだけ言った。これが他の男に言い寄られて困っている恋人(仮)にいう言葉なのか!?その顔はライバルの登場、というには程遠いほど余裕の表情だったのだ。

 

*    *    *    *    *

 

今は昼時だ。上島に宣言した通り、佐々木は犬養の告白を断るため営業部を訪れた。少し気が重い。営業部のドアを開けるとみんな昼食を食べに行ったのかほとんど人は居なかった。

(犬養、居ないのか……)

佐々木がドアを閉めようと後ずさると、何かに当たった。人だ。

「おっと、ごめんよ」
「あ、いえ、すいません……」

後ろを見ると先日犬養とロビーで会ったときに見かけた犬養の若い上司と、犬養の先輩か、それより若干年が若そうな、上島と少しよく似た感じのする男が立っていた。しばらく呆然と二人を見つめていた佐々木だが、犬養の上司ならどこに行ったのか知っているかもしれない、と思いきって口を開いた。

「あの、総務部の佐々木といいますが、犬養……どこへ行ったか知りませんか?」
「犬養?ああ……そういやさっき屋上の方へ上がって行くの見たな。なあ、田嶋?」
「見ましたね。あれは確か総務部の、ええと……」

上島だ!佐々木は直感で思った。慌てて二人に礼を言うと佐々木は屋上へ駆け出した。

(なんで、なんで上島さんと犬養が一緒なんだ?)

佐々木の脳裏には今朝上島が言った言葉が浮かんできていた。

『俺が断ってやろうか?』

まさか。佐々木はそう思ったが、じゃあどうして犬養と上島が屋上なんかに行ったのかさっぱり説明がつかない。屋上へ続く階段を一気に駆け上ると佐々木はドアをそっと開けた。

(居た……!)

慌てて来てみたものの、自分がその中に入っていっていいものかどうか佐々木は迷った。しかし……気になる。開いたドアから二人の会話がわずかだが聞き取れた。

「話なら手短にすませよ、犬養。忙しいんだ」
「いちいち勘にさわるものの言い方するヤツだな……」

どうやら呼び出したのは犬養だったらしい。何を言うつもりなんだろう、佐々木に緊張が走って思わず拳をグッと握る。一方上島というと迷惑そうな顔を隠そうともせず煙草を吸い始めた。上島の余裕の態度が更に犬養の気持ちを逆なでする。強気な発言を犬養は続けた。

「俺、昨日佐々木に告白した」
「らしいな。だからどうなんだ」
「佐々木と別れろ」
「どうして。話が見えないな、ちゃんとイチから説明しろよ」

上島の横柄な物言いにカチンときながらも犬養は冷静に話を進めようとした。

「佐々木は好きでお前と付き合ってるわけじゃない。だから俺にも平等にチャンスがあるはずだ」
「かもな。でもそれは俺のお試し期間が終わってからにしろよ。ま、俺が3ヶ月かかって落とせなかったものをお前なんかが一生っかかっても無理だと思うけど?」
「〜〜〜〜〜〜っ、何だとうっ!?」

とうとう上島の暴言に耐えきれず、犬養の頭に一瞬で血が上った。が、それを止めたのは上島の冷静な言葉だった。ジロッと威圧的なまでの視線で犬養を睨むと上島は低い、それでいてゆっくりとした口調で言った。

「お前どういうつもりで佐々木を好きだって言ってんだ」
「どういうつもりって……好きなんだよ!」
「今まで気付きもしなかったくせに、いっちょまえのこと言ってんじゃねぇよ」
「俺のどこが一人前じゃないっていうんだよ!」
「そういうところが一人前じゃないっていうんだよ」

上島はそう言うと犬養のネクタイを右手で掴んで勢いよく自分の顔の方に近づけた。視線がもろに上島とぶつかる。犬養は上島より3cmほど背が低いが、圧倒されているのかそれ以上に大きく感じて犬養は思わず動けなくなった。

「いいか、犬養。佐々木は別に男が好きなわけじゃない。お前だってそうだろう」
「まあ、それは……」
「そういう人間と恋愛する。意味わかってんのか?」

同性と恋をする。佐々木のようなまるっきりノンケな人間でなくとも、この事実を受け入れるのはかなりものすごいことだ。自分の中の動揺もさることながら、世間や家族に対する妙な後ろめたさだって感じるだろう。認めてしまう前に本人が潰れてしまうこともあるかもしれない。

上島は掴んでいたネクタイを離すと、犬養を横目で見ながら右手をズボンのポケットに突っ込んだ。

「お前は好き好きって勝手なことばっかり言ってるけど、その辺の責任取れんのか」
「責任って……」
「言っとくけど、生半可な気持ちじゃやっていけないぜ。世間は思ってるよりも冷たいからな」

世間の同性愛に対する知識や理解はまだまだ浅い。誹謗や中傷だってあるだろう。自分が言い出ださなければそういうものとは無縁の、ごく一般的な幸せを手に入れられたであろう佐々木の人生を自分の我侭で壊してしまうかもしれないのだ。

犬養はたじろいだ。正直、上島がそこまで考えていたなんて思ってもいなかった、というか自分の気持ちで手一杯になってしまってそんな考えには至らなかったのだ。犬養は自分の軽率さを恥じたが、それを誤魔化すために上島に食ってかかった。

「偉そうなこと言ってるけど、じゃあお前は責任取れんのかよ!」
「取れるさ。俺は佐々木が好きなんだ」

上島はさらりと言ってのけた。

「もし佐々木が俺のことを好きになって、俺の手を取ってくれるんなら俺の全部捨ててでも、守ってやるよ」
「!!」

覚悟は出来ているのだ。しかもハッタリでもデマカセでも、その場しのぎでもない。ためらいのないそのまなざしを見た瞬間、犬養は直感的に「負けた」、と思った。まあ、最初から犬養と上島では格が違う。所詮は犬養のかなう相手ではなかったということだ。

それらの会話を聞いていて赤面している人物が一人いた。扉の前で会話を立ち聞きしていた佐々木だった。

(……あの人、本当に俺のこと好きなんだ)

まずいことにほんの少し胸が高鳴った。上島の言うことには筋が通っている。……かっこいいのだ。そこまで考えていたのか……、と思った瞬間に目の前のドアが開いて、そこには少し驚いたような顔をした上島が立っていた。屋上から入る日差しの逆光を浴びて更に格好の良いシュチュエーションに思えた。

「あ………」

目と目が合ったが、上島は何も言わず佐々木の方に一瞥くれるといつもの勝気な笑顔を見せて階段を降りて行った。ちくしょう、かっこいい。

ドアの向こうに目をやると、後には悔しそうな犬養が屋上に取り残されていた。佐々木はそんな犬養に優しく声をかけた。

「……犬養」
「!佐々木……聞いてたのか?」
「少し」

犬養は慌てて、口に手を当てた。本当は全部聞いていたのだが佐々木は黙っていることにした。その方が犬養にとって良い、と思ったからだ。犬養はバツの悪そうな顔を佐々木に向けて言った。

「佐々木、俺……」
「犬養……。俺、お前のこと友達としてしか見れないよ」
「……上島なら、いいのか」
「そんなんじゃなくって……」

佐々木は続ける言葉をゆっくりつないだ。

「お前とはずっと友達でいたいんだよ」

犬養は昨晩、初めて気づいたであろう佐々木の可愛らしい顔をしばらくじっと見つめていたが、やがてどうしようもない、という感じでこう言った。

「ちぇっ、分かったよ。……アイツにゃかなわねぇよ」

それとこれとは話がちょっと別だと思ったけど ま、いいか と佐々木は思った。そして犬養の肩を軽く叩くと、行こうよ、と言った。その穏やかな笑顔を見て、犬養はああ、やっぱりこれで良かったのかも、とも思った。良かったんだ、うん。そういうことにしておこう。犬養もニコリと笑った。



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