の  す  ぐ  後
 
前編

11月下旬の寒空の下で二人は押し黙ったままだった。それでも、先に沈黙を破ったのは田嶋の素っ気無い一言だったのだ。

「で、あんたこれからどうするんですか?」
「どうって……」
「終電、出ちゃってますよね」
「出てる」
「タクシー、この辺走ってませんよね」
「走ってない」

と、桂木はそこまで答えてはっとした。

「おいおい……まさかこのまま帰れってんじゃあ、あるまいな?」
「あれ、違うんですか?」

田嶋はすこし意外そうな顔して、到底とぼけてるようにも見えない田嶋のこの言葉に、思わず流石の桂木もプチンときれた。

違うんですか?

「違うだろっ!この寒空の下で、一刻も早くお前に告白せんがために身体を冷え切らせるまで待った、目の前の哀れなこの男に、帰れ、だあ?!」
「いえ、そんなつもりで言ったんじゃ……」
「薄情」

最後まで言わせないまま、桂木は田嶋を形容してこう言った。薄情も薄情だ。じゃあ一体どんなつもりだっつーの!

桂木は非難するような面持ちで目を細めると、更に押し殺した声で連呼を飛ばした。

「薄情だ薄情だ。ほんと田嶋は薄情だっ」
「薄情って……」

そこまで聞いて田嶋は眉をひそめた。薄情だって?

田嶋は素っ気無いけれど、そこまで鬼ではない。帰ると言ったらちゃんと引きとめるつもりだったのだ。大体、待っていたのは桂木の勝手だし、深夜の一時だなんてそんな非常識な時間にこんなところでする会話でもないだろう。

田嶋はムッとしたように口を結ぶと桂木をジロリと睨んでこう言った。

「分かりましたよ、部屋に上げりゃいいんでしょ。なんならついでに風呂も御馳走してあげましょうか?」

そう言って、肩を怒らせて素っ気無く背中を向けると、田嶋はマンションの方へどんどん歩を進めた。その田嶋の背中を見つめて思わず桂木は苦笑した。

「ごねてみるもんだなぁ」

 

*    *    *    *    *

 

田嶋の後に続いて玄関をくぐると、桂木はカギも締めずに背後からいきなり両手を身体に回した。

「ちょっ……」

言いかけた田嶋の言葉も軽く無視して回した手をスライドさせる。背後から耳元につけた口が田嶋の耳に歯を立てた。

バチン!

「…いてっ!」
「行儀の悪い人ですね」

桂木は左の頬を抑えて田嶋を睨んだ。

「何すんだよ!」
「そりゃ、あんたでしょう」

冷ややかな表情をした田嶋が言う。

「ああ、俺?何で?」

全くなんでか、分からない。桂木は眉間にしわを寄せた。

一応、数分前から晴れて恋人同士になったのだ。深夜に訪れた恋人の部屋で二人きり。しかも自分は数多い愛人達と手を切るのに10日も奔走していて、誰かとするのは本当ご無沙汰で切実に溜まっている。そんな男がいきなりやるこた一つしかないだろう!

そんな桂木を見据えながら、冷たい口調で田嶋は続けてこう言った。

「あのねえ、このマンション、ていうかアパート。築15年なんですよ」
「それが」

なんだ。

「ですから、壁も床も、結構薄いんです」
「だから」

どうした。

「近所迷惑なんです」
「は…………」

迷惑!っと吐き捨てるようにそう言いながら田嶋は靴を脱ぐと、さっさと部屋に上がっていく。2Kの田嶋の部屋は玄関からすぐシンクのある6畳間と、そのおくにある8畳間で、呆れがちに ふっ、とため息をつくと桂木も靴を脱いで部屋に上がった。

おいおい、迷惑って一体どんなすごい声を上げるつもりだ?

石油ストーブに火を入れた田嶋は顔を上げると、風呂淹れてきます、と素っ気無く風呂場に消える。まさに難攻不落の恋人だ。

(恋人なのに不落……)

桂木は苦笑しながらコートと上着を脱いだ。それを無造作に二つ折りにすると床に置いて自分もその横にドカッと腰を下ろす。桂木は頭をかいた。

「さてと、どうするかな……」

なにするつもりだ、桂木……と突っ込みたいのもやまやまだが、程よく気温の上がってきたこの部屋で、なんだか桂木の頭はひどく朦朧としてきたのだった。

「は……眠む……」

欠伸を押し殺すと、急に目蓋が重くなった。実はここ4、5日ろくに眠れていない。睡眠と、性欲、どっちが上かなあ、とぼんやりした頭でそんなことを考えながら、桂木はゆっくり目を閉じた。

 

*    *    *    *    *

 

11月下旬の寒空の下、桂木が田嶋に愛の告白をしてから実に数十分が経過していた。あのすぐ後の今、一体彼らが何をしているのかといったら……。

「…………」

田嶋は未だ無言で風呂場の掃除をしていた。といっても浴槽の、ではない。洗面器やら椅子やらタイルやら……もっと正確にいうと、風呂の湯をはりながら、風呂場の掃除をしていた、と言った方が正しいのかもしれない。

ゴシゴシとスポンジで擦っていた手を止めて、水道の蛇口をひねると、田嶋は泡だらけになった洗面器と椅子とタイルにシャワーを向けた。みるみるとした勢いで泡が流れて湯とともに排水溝に吸いこまれていく。その様子をぼんやりと見つめながら、一体全体、こんな深夜に自分は一体何をやっているのか……ふっ、と田嶋は小さなため息を洩らした。

実は洗面器も椅子もタイルもそこそこに掃除されていて、こんな時間にわざわざキレイに洗いなおす必要はどこにもない。それは、二人きりになるのを避けた田嶋のささやかな時間稼ぎだったのだ。

排水溝に流れて行く泡の塊を見つめながら、ふいに田嶋は目を細める。

桂木が、自分のことを好きだと言った。

そのことに対して、田嶋は平静でいられる自信がなかったのだ。自信も何も、素直に喜べばいいではないか、とも思わんでもなかったが、田嶋はそういう風に自分を表現することに慣れていない。そんな自分に、桂木は失望したりしないか?

思ってもいなかったこの展開に、田嶋はひどく困惑していた。先日まで毎日のようにセックスもしていたし、会話だってそこそこに交わせていたのに、桂木が振り向いたとたんに二人になるのが恐くなるなんて、本当にどうかしている。

田嶋は目を閉じるとまた一つ、今度は深い大きなため息をついた。

 

*    *    *    *    *

 

結局田嶋は湯が溜まりきるまで、待ってしまった。貴重な時間を無駄にして、一体何をやっているのやら、とそんな自分を少し情けなく思う。でも、困っているのも本当だ。

浴室のドアを開けて桂木のいる6畳間にひょっこり顔を出すと、驚いたことに桂木はその場に横になって眠り込んでいたのだった。

「……主任?」

声をかけても返事の一つも返ってこない。田嶋はすぐ傍にしゃがみこむと、桂木の顔を覗きこんだ。

細身だけれども180もあるデカイがたいのくせに、丸くなって眠るその様は、なんだか小さな子供を思わせる。眠り込む桂木のその表情は、今まで見てきたどの顔よりもあどけない、そして無防備な寝顔だったのだ。

時刻はもう2時を廻っている。眠くならない方がおかしいか、と、田嶋は思わずふっ、と笑った。ふいに桂木の脱いだ上着の傍に銀色の携帯が落ちているのに気がつく。会社とは全然別の、桂木のプライベート用の携帯だ。田嶋は無造作にその携帯を拾うとしばらく見つめた。

田嶋は知っているのだ。この携帯にどれだけの番号が記憶されているのかを。

「…………」

田嶋は目を細めると、確認するように指を滑らせた。

「…………あれ?」

田嶋はまるで肩透かしを食らったような表情を浮かべた。

おかしい、ないのだ。こないだまでびっしり数字で埋まっていたハズの電話帳のメモリーが。

カチカチと何度も何度もボタンを押す。しかしその小さなディスプレイに写し出されたのは、ほんの数人を残したままのアドレスで、返って田嶋を当惑させた。ご丁寧にも、通信履歴までもがキレイさっぱり消されている。

『身辺整理してきた』

そう言った桂木の勝気な笑顔が脳裏にフラッシュバックした。

「本当、だったのか……」

田嶋は思わず唖然とした表情を浮かべる。桂木がいくらどうこう、うまいこと言ったって、そう簡単には信じられなかった。だからといって、これがこの先持続するとは到底思えなかったが、今現在、桂木のあの言葉の本気さを裏付けるものとしては、田嶋にとっては充分な証だったのだ。

「……参ったな」
「何が参ったって?」

その言葉にビクッと驚いて、ゆっくり田嶋が後ろを振り返った。その眼下では、床に肘をついて顔をもたげさせた桂木が、上目使いでものいいたげに田嶋を見ていて、ひどく整ったその顔立ちに思わず目を奪われる。

「あ、いえ。携帯……落ちてました」

そう言って、田嶋は無造作に銀色の携帯を桂木に差し出す。それを無言で受けとると、桂木はゆっくり身体を起こしながらこう言った。

「ああ、なんかこう……睡魔が」
「お疲れみたいでしたね」
「うん…会社、早く帰る分、家に仕事持ってかえってたから……」

あんま寝てないんだ、と桂木は本当に眠そうに首筋を2、3度擦った。目蓋をフッと開くと同時に田嶋の唇が桂木の口に当たって、そのまま二人は床に倒れる。衝撃で手から離れた携帯がドッと鈍い音を立てて、畳の上に転がった。そして倒れてから2秒後に、初めて桂木は何が起こったのかを理解したのだ。

押し倒されてる……。

するりと滑りこんできた舌が、桂木の口内をあますことなく侵す。角度を変えて何度も何度も求められる口付けに、桂木は目を閉じてそれを返した。

「……んん…っ、……は……」

クチュクチュと淫らな音を立てて、口角から床を目指してこぼれた唾液がキスの激しさを推し量らせる。頬に伸ばされた桂木の手が、田嶋の黒い髪を掻き乱して、やがて二人の唇がゆっくりとした動作で距離をあけた。

10cmにも満たないその距離で、お互いの視線を絡める。やがて田嶋の頭の下で、ニヤッと笑った桂木が、いじわるそうにこう言った。

「行儀の悪い男だな」
「そうですか?」

そう言って冷ややかな表情を浮かべた田嶋は、もう一度桂木の口に自分の唇を落とした。

 


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