想いのカタチ


田嶋が桂木の『恋人』に昇格してから一ヶ月が経過した。

あの時桂木から貰ったマンションのカギは、『どうせ、いる時にしかいかないですから』、と、次の日田嶋はあっさりと返してしまった。こんなものを持って自分を特別な関係だと手放しで喜ぶには、あまりに桂木には前科がありすぎる。それにこれはいわゆる田嶋の『戒め』だったのだ。

こういう色恋沙汰において基本的に田嶋は桂木をあまり、というか、全然ちっとも信用なんかしていない。桂木に言えば、きっと「心外だ」とかなんとか言って怒るだろうが、当の田嶋は依然としてその姿勢は崩さないつもりだったのだ。

大体桂木という男は一人の男だけで長いこと続いた試しがない。桂木の男関係の全てを事細かく把握していたわけではないけれど、最高6ヶ月が最長記録だったように記憶していた。それでも、その時の恋人一筋だったというわけでは決してなかったし、やっぱりやるこたちゃっかりやっていたのを田嶋は知っていたのだ。そんな男にこれ以上溺れすぎては、いけない。

書類が散乱された机の上からふいに顔を上げると、ナナメ向かいの席に座った桂木が、あからさまにこっちを見ていて、田嶋を内心ドキリとさせる。田嶋と目が合うと、桂木はニコッと笑って意味深な視線をこちらに投げかけた。

田嶋は感情をそのまま素直に出せるほど、表情が豊かではない。尤もそれは無意識ともいえる下での、田嶋の防衛本能だったのだ。

田嶋は桂木と目が合ったまま目を細めると、そのまま無表情気味に視線を机上に戻した。軽く無視……と取れないこともなかったが、田嶋のその素っ気無い態度に桂木は思わず苦笑を浮かべる。

(まったくつれない恋人だ)

ひと月経っても、ちっとも興味が薄れやしない。そしてその態度が桂木を、ますます夢中にさせていることなぞ当の本人である田嶋は未だ少しも気づいていないのだった。

 

*    *    *    *    *

 

給湯室の前でふいに足を止めたのは桂木だった。なにやら女子社員数名が中で大騒ぎしていたからだ。

「見た?」
「見た見た!ダイヤだったね。いいなあー」
「永遠の憧れよねえ…」
「何がそんなにいいんだ?」

桂木は騒ぎの正体を知りたくて、よせばいいのにひょっこりと給湯室に顔を出した。

「あ、桂木主任。総務部の米田さん、来月結婚するんだって!」
「そうなんですよー。で、婚約指輪してたんだよねー」
「ダイヤだったよねぇ。羨ましー!」
「やっぱ、ダイヤがいいわよねえ」

桂木は次々に吐き出される女子社員の言葉に圧倒されながらも女はそんなのが好きだな、と言うと多数の女子社員にこっぴどく叱られた。

「主任。指輪はね、特別なんですよ」

それは『女』にとってだろう、と桂木は内心そう思ったが敢えて口には出さなかった。いや、出せなかった。何を言われるものかわかったものではなかったからだ。渦巻く空気が恐ろしい。

「指輪ねえ……」

桂木は、はあん、と手を口元に当てた。

そこそこの関係があって男が何か買ってやるいえば、8割の女が即座に指輪と答えるのではないだろうか。本来、指輪というのは女にとってこそ価値があるような気がするし、自分で買ってまで嵌める男は桂木世代には珍しい。そりゃあ人によっていろんな価値があるんだろうが。

『彼氏からもらった』というのを例にあげてみると、その指輪に特別な意味がこもっていると思う女もいるし、彼氏がいる女のステータス程度にしか思わない女もいる。酷いのになれば、金に困って質屋に売りに出す女もいるらしい。

じゃあ、送る男の方はどうなのか。 愛のしるしだとか本気で思っている男は、多分2割。かなりのロマンチストかよほどのおめでたいヤツだと思われる。 残りの8割は彼女が喜ぶからとか欲しがるからとか、一つの形式程度にしか思ってないだろう。

大体、桂木の相手はその男なんだから指輪なんぞ送った試しがないし、送ろうと思ったことなど一度もない。実のところ桂木は指輪に対してあんまりいい感情を持っていなかったし、なんだか儀礼的過ぎて、返って軽薄な感じがするのだった。今まで付き合った中で 欲しがったヤツがいたか?尤もそういう感情が芽生える前には、桂木の節操のなさに、ほとんど全ての相手がポシャってしまっていたのだが。

 

*    *    *    *    *

 

桂木が昼前に外回りをしにロビーへ降りると、総務課の米田が今ごろ出勤するところにバッタリと出食わした。

米田は今は総務部に所属している上島洋介の元部下でもある。身長は152cmと少し低いが、細身のボディと可愛らしい顔立ちが多くの男子社員の憧れの的であった。 実際性格も顔に裏切らない。

仕事がら顔見知りだし、さっきの給湯室でも話題の主でもあったので、桂木はあと5mで接触する米田に何の躊躇もなく声をかけた。

「よお、米田。結婚するんだって?」
「!もう桂木さんにまで伝わってるんですか?」

目の前まで来た米田が、鳩が豆鉄砲でもくらったような表情で口を開いた。女の噂は時としてジェット機より速いのではないかと思われる。

「広がってるぜぇ〜」

桂木はニヤニヤと笑って言った。

「ああ、もう……」

今日の午前中に式場に用があって、昼からの出勤になったんだ、と米田は苦笑を浮かべて言った。

打ち合わせをするために、結婚式を挙げるまで、何度も何度も式場に足を運ぶらしい。中にはエステなんかにも通う女性もいるらしく、 ブライダルは結構大変なんだそうだ。

しばらくそんな話をしているとふと、さっき女子社員達が騒いでいた噂の指輪が桂木の視界に入った。

(石っころ……)

結構、デカい。

視線に気付いたのか米田が左手を胸の辺まで上げた。

「ダイヤで大きく見えるけど、そんなに高くないんですよ。だって可笑しいでしょう。結婚指輪の方が安いだなんて」

尤もな話だ。俺もそう思う、と桂木は大きく頷いた。

「でもね、初めて貰った指輪なんですよ。あの人がどんな顔して買ったんだろう、って」

米田はあまり指輪であるとか首輪であるとか……アクセサリー類は好まない方だと思う。その米田がこの指輪一つでこんな幸せそうな顔をするのだ。結婚するという相手の男も送った甲斐がさぞあっただろう。つられて桂木も微笑を浮かべた。

まあ米田にしてみると指輪どうこうよりも相手が自分の為に選んでくれたり、悩んだりしてくれたことの方が価値があるのだという。

『指輪はね、特別なんですよ』

さっきの女子社員の言葉が頭に浮かんだ。なるほどそういうことか。

やっぱりそういうのってちょっとうざったい気がしないではないが、米田のところのように送る側と受け取る側の気持ちが通じ合ってるなら、こんな良いことはないよなあ、と桂木にしては珍しくそう思ったのだった。

 

*    *    *    *    *

 

桂木は、その日は出先から直帰した。相手先の会社から最寄りの駅へと足を運ぶ。駅の周りにはいろんな店ところせましと並んでいて、どこの駅前もこんなもんなんだろうが、つい興味深げに覗いてしまう。 いわゆる商店街というやつだ。

桂木が「今週は田嶋と何をしようか」と、週末に思いを馳せて、軽い足取りで歩いていると、ふと気に止まった店が一軒あった。いわずと知れた宝石店である。 ショウウィンドウのディスプレイに、あるわあるわアクセサリーの類が。

ペンダント、イヤリング、ブローチ……そして指輪。

桂木は少し可笑しくなってウィンドウを覗きこんだままクスッと笑った。よくよく今日は指輪に縁のある日だ。

そういえばいつだったか、田嶋の指には細い、銀の指輪が似合うなと思ったことがあったっけ。 決して女のように柔らかい小さい手ではないけれど、長くて形の整ったきれいな指だ。

桂木はそれを思い出すと並んでいる指輪にじっくりと視線を落とした。銀の指輪は定番なのか流行っているのかよくわからなかったが、とにかくたくさんあったのだ。

(見てるだけだぞ、見てるだけ。大体俺が指輪なんか……)

心の中で思わず呟く。一体誰に弁明しているのだ。

(……あれなんか似合いそうだよな……)

ふいに目を止めた指輪があまりにもシンプルで良い感じで、思わず桂木は田嶋がその指輪を嵌めているところを想像してしまった。

「…………」

ふっ と、今日見た指輪の話で幸せそうに笑う米田の顔が田嶋のそれとだぶった。

「………………」

気がつくと桂木は店の中へ足を踏み入れていたのだった。

  


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