夏 休 み の 過 ご し 方



うだるような夏の陽射しを浴びながら、左手首の時計はもう、昼の2時を指していた。

盆休みの上に有給をつぎ込んで確保した、大型連休の最初の3日で帰省を終えて、田嶋はしばらくぶりの桂木のマンションのドアの前へと立っている。しばらくぶり、と言っても2泊3日。それも行きは昼過ぎの出発で、 今日の昼前には家を出てきたのだから、正味はさほどでもない。

部屋に入ったらしばらく眠ろう、と、田嶋は、突っ込んだ鍵穴からキーを抜き、ドアノブをそっと廻してドアを開けたら……

「おか・えりー!ご飯にする?お風呂?それとも俺!?」

と、玄関で叫んだ同居人の勢いあるテンションの高さに、思わず田嶋は、そのままその場に卒倒したのだった。




「……てか、何でアンタがここにいるんですか……」

忌々しげな顔をして、額に当てられた冷たいタオルに手をかけながら、担ぎ下ろされたソファの上で、田嶋は低いトーンで呟いた。

「何でって、ここは俺の家だもん」

床に膝をついて、上からキョンとした表情の桂木が返す。

「いえ、ですから」

呆れたように一息ついて、田嶋は桂木の顔をじろっと見据えた。

「あんた、帰りは明日だったんじゃなかったんですか?」

休日初日に家を出た。桂木の里帰りは田嶋より一日遅く、家には誰もいない予定だったのだ。

「予定は未定。いちゃマズかった?」
「や、別に悪くはないですけど……」

びっくりするじゃないか。

言葉の意味とは裏腹に、田嶋は細めた目で非難がましい視線を向けた。それを喰らった桂木といえば、そんなこと、さほど気にしてもない様子で、仰向けに転がった恋人の身体にパタパタとうちわで起こした風を送る。キンキンに冷房を効かせたこの部屋で、その冷風はそろそろ寒い。

田嶋は左側面に座る桂木に、右手を上げて動作を制 ると、上半身を起こしてソファに座った。同時に桂木が、待ってましたとばかりに、こちらの都合を聞きもしないで、図々しく、当たり前のように隣のスペースに腰掛ける。田嶋といえばその様を、冷たい目線で見たりして、それでも何の苦情も出さなかった。

「幻覚をみたのかと思いました」
「はあん、何?俺の幻覚を見たかもと思うほどに会いたかったとか!」
「さあ……。脳内妄想はよくありますから」
「何!」

桂木は思わず大きな声を上げた。もっ、もももももももも妄想って妄想って妄想って妄想って……!!

「どっ、どんな!!」
「そんな」

ガバっと押し倒さんばかりの勢いで、顔を近づけた桂木に、田嶋は冷静な物言いをピシっと放った。

「まあ、もうメチャメチャ腹立った時とかですね、そういうあんたを想像して、三回に一回くらいは散弾銃連射で射殺ってオチでストレスを発散したりしてますが何か?」
「うわあ!お前そんな涼しい顔して、なんつーえげつない想像するんだ!!……で、後の二回は?」

残りの3分の2の自身の扱いが、ムショーに気になる。が、間髪いれず、そこに田嶋の即答が。

「ビンタ」
「……」

桂木の頬が涙で濡れているけど気にしない。同情すると、すぐに付け上がるのだ。

「なあ……、他の展開とかねぇの?その幻想にその気になることとかさあ……」
「ありますよ。思い出したように時々。滅多にはないですけど」
「あんの!?」
「そりゃ……ありますよ。俺だって男なんですから、好きな子をナニするような妄想ぐらいするでしょうよ」
「好きな子……って俺?」
「……まあ、今はそうですよね。ナニしますよ、アンタをね」

妄想、と思っても止められない。覗いてみたい、妄想で俺にナニしてる田嶋の顔を……!!

結局焦点はここか、という突っ込みは置いといて、桂木は。

「何!詳しく聞きたい、その田嶋の妄想を!!」

色に関することには率直極まりない。

「まあ……俺がアンタをベッドに組み敷いて、突っ込んでアンアン言わせるわけですよ」
「それじゃ分からん!もっと、具体的に!!」
「具体的にって……なんで俺がアンタ相手にオナニーネタを披露せんとイカンのですか」
「えっ!お前それで抜いてんの!?つか、田嶋でもすんの!?」
「まさか」

興味津々な桂木に対して、田嶋は冷たい素振りで素っ気無い。まさかなのは、そのネタで抜くことなのか、田嶋の自慰行為自体のことなのか。

「冗談ですよ。気持ち悪いですね」
「えぇー?お前、気持ち悪いって……」

桂木は口を尖らせて苦情を申し立てたけど、そんなのは相手にしない。田嶋は桂木に向けていた視線を床に逸らした。

冗談、というか、途中までは割とホントだったんだけど。

正直言って、桂木相手にタチじゃ勃たないだろうと田嶋は思う。桂木には自分からどうこうするよりも―――。

そこまで思いを巡らせて、田嶋はあっさり思考を閉ざした。

「さっきの話なんですけど、あんた、明日帰ってくる予定だったんでしょう?何で帰ってきてるんですか」
「はーい!よくぞ聞いてくれました!その1、田嶋の顔を早く見たかったから!その2、疲れて帰ってきた田嶋を新妻のように出迎えたかったから!その3、田嶋と1秒でも多く、貴重な休日を過ごしたかったから!」
「4。早くセックスしたかったから」
「ピンポーン!……って、おいコラ。俺の純情を汚すな」
「当たり?」
「まあ、当たらずも遠からず……田嶋限定だけど」

と、桂木は少し頬を赤くして口元に手を当てると、ゴホゴホと人工的な咳払いをした。やっぱりというか、なんというか……。

「ま、別にいいですけど」
「いいの!?」

間髪入れずにことに及ぼうとした桂木の右手に手をかけて、田嶋はビシっとそこで制した。

「後で。久しぶりに帰省して、良い息子と良い兄を演じて疲れて帰ってきたんです。良い恋人までやらなくてもいいでしょう?」
「お前の良い恋人の定義って……」

誘ったら断らない、かぁ?おいおい、良いどころか素晴らしい恋人じゃないか。

「良い恋人なら俺がいるだろっ!」

と、後ろにハートマークが5個も6個も付いてきそうな勢いで、にこやかな満面の笑みを浮かべた男が、ガバっと押し倒すような格好でさっきの続きを、と、田嶋に覆いかぶさったのだが。

「ああ……疲れたときにはゆっくり休ませてくれる、良くて優しい恋人、ね」

言いながら田嶋は冷静な目を細めると、左手首の時計を外して桂木の眼前に突き出した。

「お」
「2時間ほどおやすみなさい。起こしたり、やらしーことしようとしたら ビ ン タ ですから」

ビンタのところを特に強調。迫力ある低音で釘刺すようにそう言って、スルリとソファから席を外した。

「おい」
「床の方が落ち着くんですよ」

言って、そのまま床にゴロリと転がる。同時に出た欠伸を右手で押さえると、田嶋は1分も経たない間に寝息を立て始めたのだった。


*     *     *     *     *     *


自分自身の存在と、いる場所と、現在の状況を、ゆっくりと繋げながら、徐々に意識は覚醒へと向かう。

ゆるゆると開いた双眸が、同じ速度で視界を広げた。冷房の良く効いた部屋の中で、ベランダに面した大きな窓を覆うカーテンの隙間から入り込む暑そうな陽射しから、外は相当なカンカン照りだということが想像でき る。冬とは違って昼がめっぽう長いから、今が一体何時なのか、まったくもって見当が付かない。

端に入った濃紺のジーパンに気がついて、田嶋は気持ち程度、視線を上げた。

「あ……」

桂木だ。

いつものような、並ぶ目線とは違う。ソファの椅子を背もたれに、床の上に胡座をかいた体、腕、背中のライン、顔。下から見上げた恋人の眺めに、田嶋は内心をドキリとさせた。

真っ直ぐなまなざしを向けた桂木の視線の先を追うと、何を読んでいるのか。文庫本の片鱗がその手の中に見える。シンとした部屋の中に空調の音と、桂木の息遣いだけが聞こえて、意識を集中させると、その空気に溶け込むような錯覚を起しそうだ。ひどく、心地が良い。

しばらく、このまま、と思っていたなら、桂木がこちらを見ていて驚いた。

「起きた?」
「はぁ……」

気のない返事を返して、それから田嶋はゆっくりと身体を起こした。目線が並んでいつもと同じ高さになる。

「何時です?」
「6時過ぎ」
「俺、3時間も……」

2時間程と言ったけど、ちょっと寝すぎだ。

「いいじゃん、休みなんだし」

言いながら、桂木は手にしていた文庫本をパタンと閉じて床に置いた。それからすぐ様、密接するほど身体を寄せて、田嶋の肩に頭を乗せる。

「あー……落ち着く」

床に置いた田嶋の手に自分の手を重ねて、撫でるように指を絡める。田嶋はツッと目を細めて桂木の顔を見たけれど、ちっとも悪びれた様子もない。まあいいか、と田嶋は前に視線を戻した。

「なあ、明日何する?」

桂木が言った。

「別に。家でゴロゴロ」
「明後日は?」
「ゴロゴロ」
「明々後日は?」
「ゴロゴロ」
「その次は?」
「ゴロゴロ」
「……」
「……」
「それは休み中、ずっと家で俺とイチャイチャしてたいってことなんだな?」

都合の良い結論に、田嶋は「は?」と小さな声を発したのだけれども、もう桂木の耳には届いていない。

「ようし、分かった!今からスーパー行って、休み中、家から一歩も出ないで済むように、買出しに行ってくる!!」
「!!わ、ちょっと!!」

そうきたか!

田嶋は勢いよく立ち上がった桂木を追いかけるように、慌てて腕を伸ばして肩を掴んだ。

「主任、まっ……!」

が、想像以上に力は強く、勢いに引っ張られて、田嶋と桂木は、大きな大人らしく、ドターンと豪快な音を立ててそのままその場に倒れこんだのだった。

「イテ……」
「す、すみません……」

慌ててどこうとした田嶋の腕を、下から桂木がぎゅっと掴んで、そのまま止めた。ぎょっという顔をして田嶋は桂木の顔を見たのだけれど、眼下に押し倒された男ときたら、ニヤニヤ笑ってこっちを見ている。

「どっか遊びに行くとかしたくねぇの?」
「え、や……学生時代はバイトばっかで長い休みに慣れてないので……。人ごみも好きじゃありませんし……」

言いながら目を逸らす。改まって合わす視線に、さほど田嶋は慣れていない。

「ま、今はどこに行ってもいっぱいだよな」
「あんた、どっかに行きたいですか?」
「別に。田嶋と一緒ならどこでも構わないし」
「……はぁ」

起こして、と桂木はしれっとした顔をして田嶋の両肩に腕を廻す。呆れた顔をして、言われるままに、田嶋は桂木の上半身を身体でもって、引いて起こした。真正面に座る形になって向かい合う。

「じゃ、この夏は家でゴロゴロに決定」
「いいんですか」
「結構!ゴロゴロ休みがいっぱいあったら、妄想を現実に出来るかもよ」

真っ直ぐに目を合わせたまま、桂木はニヤっと笑うと田嶋の手を引き寄せて、指の背中にその唇を押し当てた。

「妄想?」
「ほら、俺を押し倒してアンアン言わすの」
「ああ……」

そんなくだらない冗談、覚えておくな。

「ああ、でもあれだな。なかなか面白そうなシチュエーションではあるけれど、実際できるかっていうと、想像もできないな」
「なんで」
「なんでって。田嶋にはしてもらうより、俺の方がしてあげたいから!」

言葉と同時に満面の笑みを浮かべた桂木に、田嶋の胸がドッ!と大きな音を立てた。どうして桂木はいつも自分の欲する言葉を、絶妙なタイミングで出してくるんだろう。しかもサラリと。

田嶋は思考を閉ざしたさっきの言葉を思い出した。

桂木には自分からどうこうするよりも―――。

ただ、求められたい。横着だとか、駆け引きだとか、そんなものでは一切なくて。

指の背中に口付けていた唇が、指先を口に入れ、田嶋の人差し指を軽く噛んだ。一度に意識がそちらに行くと、指先に舌の感触が触れる。一瞬驚いて力が入った指を、桂木は逃がさない。指先を舐めたまま、胸中を探るような目線をこちらに向けた。

「……」

吸い込まれる。

桂木の目が好きだ。

胸の内を見透かすような色素の薄い茶色の瞳は、真っ直ぐな視線と共に田嶋の背中をゾクゾクさせる。

田嶋の手から離れた右手が、今度はゆっくりと頬の輪郭に沿って滑った。顎で止まった親指が、田嶋の形の良い唇を丁寧になぞる。

桂木の指が好きだ。

この指で触れられたところから体温が高くなって、いとも簡単に理性を忘れてしまう。

親指が唇に割って入って、その後、桂木の顔がゆっくりと近づいた。

桂木の唇が好きだ。

甘い口付けと同時に離れた指先は、首筋を伝って、敏感な鎖骨を撫で上げる。背骨がビクっと跳ね上がって、慣れた身体はもう快楽を追うことしか知らない。歯列を割って侵入した舌が、口内を甘い吐息で犯し始めると、頭の中が真っ白になって、もう、何もかもがどうでもよくなった。腰に廻した手が、田嶋のシャツをめくり上げて、背中全体を優しく擦るように愛撫する。

「ん……」

舌先で軽く遊ぶような口付けは、やがて激しい音に変わり、首に廻された手のひらが逃げ場を塞いで、貪欲なまでに田嶋の口内を犯す。そのままゆっくりと押し倒し、ようやく離した唇で、間髪入れずに桂木は田嶋の首筋を強く吸った。

「!ぁ……っ、ぁん、やっ……!!」

甘い声を上げた田嶋の両手に力が入った。桂木は、どこをどういう風に、どうしてやれば、田嶋の身体が一番良く反応するのかを知っている。そして、それを見るのが、何よりも好きなのだ。

一枚づつ、理性の皮を剥ぐように衣服を脱がしていく。露にされてゆく身体の、なんと美しいことか。

耳穴を舌で舐め上げながら、桂木は囁いた。

「好きだよ」

小声で言って、次には耳に歯を立てる。

「田嶋が、好きだよ……」

きっと桂木の声も好きだろう田嶋には、その理由を考える余裕を持ち合わせてはいなかった。


*     *     *     *     *     *


やり過ぎた、と、田嶋は思った。いや、正確にはやられ過ぎたというべきか。2時間で3回というのは、ちょっとカンベンして欲しい。

冷たい床の上に無造作に投げ出された身体の上に、桂木のかけてくれたタオルケットがあるのだけれども、疲れで脱力して、服を着る気にもなれない。 周辺に来ていた服を散らばして、タオルケットの下は何も着けない裸のままだ。

田嶋はうつ伏せに転がると、上半身を起こして肘を付いた。忌々しい顔をして、右手のひらでクシャクシャと髪をかきあげると、何やらスッキリした顔立ちの男が、情事前の格好にきちんと着替えて、玄関に向かって歩いて行くではないか。

そんな関心事でもないのだけれど、田嶋は聞かずにはいられなかった。

「ちょっと、主任。どこ行くんですか」

田嶋の質問を背に、ローキャビネットの上に置かれた財布をズボンのポケットに突っ込みながら、桂木は思わせぶりな微笑を浮かべて振り返った。

「買い物」
「今から?もう8時過ぎてるじゃないですか」

田嶋は顎をしゃくって、リビングにかけられた壁時計に視線を送る。ところが、である。田嶋が指した時計から目線を戻すと、桂木は満面の笑みを湛えてこう言った。

「残った休日いっぱい田嶋と!明日から、家でゴロゴロするんだも〜ん」
「は……」

ハートマークが使えれば、5個も6個も付けたような勢いで、桂木は右手を振りながら、ドアの向こうに消えていった。ガチャンと鍵をかける音がして、呆然と、ただ呆然と。

人ごみにまかれた方が、まだまだゆっくり出来たかも、と田嶋は思ったのだった。

end.

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