−後編−
流石は夏の風物詩、ビヤガーデンは大盛況だった。きっと桂木みたいなやつが大勢いるのだろう。ビールジョッキを沢山もったボーイ達が忙しそうに走りまわっている。

混雑はしていたが、どうにか4人座れるテーブルに案内されて、とりあえずの少しのつまみとビールを頼んだ。

「三好。三好は酒強いかもしれないけど自分のペースを守って飲めよ?」
「うん?なんやようわからんけどそうするわ」

西郷が隣の席で心配気にコソッと言うと、三好はニコッと笑って笑顔で返した。やっぱり可愛い。

目の前に大きめのビールジョッキが置かれると、とりあえず西郷は味わうように一口飲んだ。仕事帰りのビールは最初の一口が1番上手い。ビール独特のほろ苦い味と香りが口一杯に広がって、仕事に疲れた西郷に、なんともいえない満足な気分をくれる。

ふと視線をあの二人に送ると、まだ三分の一もいっていない自分と三好のジョッキを他所に、もう飲み終わりかというところまでに減っていて実際西郷を青くさせた。このペースで最後までいくのだ。まったくもって恐ろしい。

西郷は青ざめながらも、三好の方に視線を移した。

まあまあなんとか三好の方も、自分とそう変わらないようなペースで飲んでいる。西郷はなんだか少し安心したのだった。

一応忠告はしておいたし、店なんかと違ってビヤガーデンは注文して初めてジョッキで運ばれてくるから、空になったグラスに次から次へと注ぎ込まれることはない。自分のペースさえ守れば大丈夫なはずだ。はずだ。はず……だったが、三好は潰れてしまったのだった。

西郷が横目でチラリとみた当初は、三好はちゃんと自分のペースで飲んでいたのだ。しかし何時頃からだっただろうか。えらくピッチが上がってきて西郷の止めるのも聞かずにガンガン飲み始めたのだ。幸いビヤガーデンは時間制だったのでやれやれとも思ったが、更にもう一軒行くでー!っと三好が率先して2次会へなだれ込み、そこでも急ピッチで飲んだのだった。

 

「じゃあ、悪いけどよろしくな」

店を出たところの歩道で、桂木は少しすまなさそうにそう言った。と、いうのも潰れた三好を西郷が背中におぶっていたからだ。眠ってしまったんだからしょうがない……というよりは自分が率先して三好をおぶったのだが。

「はあ。それはそれでいいんですが……これから桂木さんたちはどうするんです?」
「まだ時間は早いし、明日休みだし…田嶋とどっかで飲みなおすわ」

桂木はそう言ってニコッと笑顔を浮かべると、田嶋の方に視線を送った。視線の先には田嶋が大ジョッキをあんなにガンガン煽ったようにはさほど見えないような顔立ちで車道側に立っている。

まだ飲みに行くのか、と西郷は半ば呆れ顔で思ったが、飲みまくっていたと思われる二人はまだまだしらふの部類で、付き合った西郷を驚愕させる。ビヤガーデンで大ジョッキで立て続けに6杯、スナックでキープボトルが半分、新しいボトルが1本……。(西郷はあまり飲んでいない)

二人とは近くの駅前で別れた。時間は12時を回る頃だったが、駅前はまだまだにぎやかな時間帯で大の男をおんぶした西郷だって注目される。西郷は早歩きで表通りを外れた。

タクシーを拾いたいところではあったが、いい歳したサラリーマンが泥酔している有様では、タクシーにだって乗車拒否をうける。それもあったが西郷は、泥酔してしまった三好に対して、なんだかわけありかな、という気がしてならなかった。もうちょっと三好をおぶっていてやりたかったのだ。だから西郷はしばらく歩くことにした。三好の目が覚めたら、携帯でタクシーを呼んでもいい。

線路沿いの道路にそってゆっくりと歩いて行く。満月ではなかったが、それに近い形の月が出ていて、足元を照らすには充分なほどに明るかった。

「………西郷」
「三好、起きたのか」
「ついさっき、目ぇ覚めたんや。重いやろ?下ろして、1人で歩けるさかい」

三好はそう言ったが西郷は利かずにモクモクと歩き続ける。三好もあえてそれ以上は強く言わなかった。

「すまんなあ、あんなに忠告してくれたのに、こんなに飲んでしもて。カッコ悪……」
「別にいいよ」
「……西郷の背中、気持ちいいわ」

三好は西郷の背中に顔をくっつけるとそっと目を閉じた。どちらも押し黙ったまましばらく西郷は歩を進める。ふいに口を開いたのは三好の方だ。

「なあ、西郷……厚底の靴って、どう思う?」
「えっ?」

厚底って最近若い女の子達の間で流行っているあの厚底靴のことだろうか…。関連性のない質問の真意に戸惑う西郷に、背中から勢いよく顔を上げた三好が興奮気味に更に言った。

「だから、厚底や!底の厚い靴や。あれ履いとったら骨盤いがんできて子供産めんくなるっちゅう悪魔の靴やで!」
「……どうって、別に」

自分が履くわけじゃなし……西郷は更にわけがわからなくなった。少し困った西郷に、三好は大きなため息を深々とついて西郷の背中に再び顔を押し当てた。

「そうやよなぁ。西郷には分かれへんよなあ」
「三好……」
「実はなあ、厚底の女に振られたことあるんや。入社前なんやけどな」
「え……」

三好といえば喋りはおもしろいし、話題も豊富だ。顔だって可愛らしく女の子受けする顔だろうし、それを証明するかのように女社員の人気も高い。そんな三好を振る女がいるなんて西郷には到底信じられなかった。意外な話の内容に西郷だって当然驚く。

「けっこー、最近や」

三好のビールを飲むピッチが上がったのは何時だった?そういえば厚底靴をはいている女の子の団体が入ってきた時あたりからではなかったか。

三好は更に続けた。

「しかも、しかもやで!振られた理由が厚底の靴履いたら俺より背ぇ高なるからなんやって……そんなんありかぁ?」
「……………」

なんという言葉をかけて慰めてやればいいのか、西郷には分からなかった。振られたこともなくはないが、人を巧く慰めてあげられるほど西郷の経験は豊富ではない。ましてやそんな理由なら、ことさらどう慰めてあげれば良いのか見当すらもつかない。

「西郷には分かれへんよなあ。182cmもあるんやもん」
「…………三好は背ぇ低くないよ」

それはそれで本当だ。大きくもないが特別低いわけでもない。しかし160cmの女の子が10cmからある厚底の靴を履くと、三好より背が高くなってしまうのもこれまた事実だったのだ。

そういえば入社したとき三好は立ち上がった西郷を見て何かいいたげな顔をした。そうか、そういうことがあったからなのか。西郷はふとそんなことを思い出した。

(三好。その女の子のこと本当に好きだったんだろうなあ……)

「……西郷と付き合えやんのは、この辺にあるんや」
「その女の子のこと、まだ好きだから?」

西郷は単刀直入に聞いてみた。このテの問題に関して、気の利いた返答を返せる性格ではない。それでも、三好が首を横に振ったのは背中に押しつけられている頬の動いた感触ですぐにわかった。

「……西郷に会うて、すぐ好きになってしもた。笑われるかもしれへんけど、運命やて、そう思た」

西郷は三好の言葉をゆっくり待った。

「そん時なあ、その子への気持ちが、急に薄っぺらなんのを感じたんや。振られてまだ2ヶ月も経ってないのに、西郷に会うてどうでもよくなったやなんて……今までの自分の気持ちが全部嘘やったことになる。正直自分に嫌気さした。それと……」
「それと?」
「170cmないんは俺のコンプレックスや。そんな振られ方して自分より大きい男とすぐに付き合いたなかったんや」

少しの沈黙の後三好は言葉を続けた。

「自分のつまらんプライド守るために、自分と……西郷の気持ち押し殺したんや……」

肩から首に回った手に力が込められたことに西郷は気付いた。

「最初から断るべきやったんや。堪忍な、西郷……」

ああ、だから『しばらく』、だったんだ。一気に謎が解けてゆくのを西郷は感じた。

しかしこんなに早く謎が明かされるとは思ってもみなかった。三好のあの様子からしたらもう少しかかると思っていたのだ。もう黙っているのも限界だったところをアルコールが多量にはいったおかげでタガが緩んだのかも知れない。

『つまらないプライド』、『聞けば呆れる理由』、『男の沽券』……。

だが何時か見たTVの番組で『170cm未満の男は身長を聞かれると170cmと答える』というのを検証する実験をやっていた。結果はずばり7割がサバを詠んでいた。小柄な日本の男にとって、身長というのは結構切実な問題であるのかも知れないな、と西郷は思う。

堪忍な、堪忍……と背中で何度も繰り返し続ける三好に西郷は言った。

「いいよ、三好の気持ちの整理がつくまで待てるよ」
「西郷……」
「俺も、三好に運命感じてるから」

それを聞いた三好の顔が一瞬背中から離れ、また背中に押し当てられる。それから小声で、おおきに、と消え入るような三好の声が西郷の耳は聞こえたのだった。

 

*    *    *    *    *

 

翌週出社した三好はいつもどおりの明るく元気な三好だった。だから西郷も思わず少しホッとする。三好にはいつも元気で明るくいて欲しい。

あれから実に1ヶ月近くの月日が経っていて、今や残暑の厳しい8月も半ばだ。そして肝心の三好はというと、3日前から盆休みで大阪に帰っている。予定では明日帰ってくるのだと言っていた。

西郷は、自宅マンションの一室でコロンとフローリングで寝返りをうった。

三好だって毎週休みになると遊びに来るわけでもないけれど、すぐに会えない距離にいるのはやはり淋しい。もう明日中には帰ってくるというのに西郷は急に三好に会いたくなった。

二人の関係は相も変わらず友達のままだったが、前と全く同じというわけでもない。前は付き合いを完全に否定されたが、今は根本が違うのだ。三好の気持ちの整理が付けば、すぐにでも二人は晴れて恋人同志になれる。でもそれは1ヶ月先なのか、1年も先なのか……もしくは3年ぐらいかかったりして……。三好次第なのでなんともいえない。

(我ながら、我慢強いなあ……)

と、そこまで考えて西郷は苦笑した。

 

ドアのチャイムが鳴ったのは夜の10時を過ぎた頃。もう風呂に入ってすでにパジャマで寝る体制に入っていた西郷は一体誰かとドアを開けた。

「はいどちら………三好!」

立っていたのは昼間会いたくて会いたくてたまらなかった三好直之だった。西郷は驚いて声をかける。

「どうしたんだよ、帰ってくるのは明日だったんじゃ……」
「西郷、付き合おっ!」
「は?」
「俺ら、付き合お、言うてんのや!詳しいことは後やっ。西郷、水、飲まして……」

勢いよく喋り出した三好ではあるがよほど喉が乾いていたのか、最後まで喋りきらないうちに声に覇気がなくなった。駅から走ってでも来たのだろうか。ずいぶんと息が高く上がっていて、今にもその場に倒れそうなほどのへたり具合だ。

三好は身体を引きずるように部屋の中に入ると、西郷の差し出したコップの水を一気に飲み干した。

「あー……、ほんま……。生き帰ったわ。西郷、おおきに……」

ふぅーっと、ひと息つくと、三好はテーブルにコップを置いた。当然分けが分からないのは西郷だ。突然やってきて、なんの脈絡もないことを言う。付き合おう?

西郷は三好に言った。

「で、どうしたの」
「だから『付き合お』って言いにきたんやん」

飲みこみの悪い西郷に業を煮やしたように三好が言う。

「……それだけ言いに、わざわざここへ?」
「せや」
「こんな時間に?」
「そ・う・や!くどいで、西郷。……嬉しないんか?」

最後の方は困惑気味に顔を上げた三好に西郷はすごい勢いで首を振った。嬉しくないわけがない。今だって、三好に会いたいなー、なんて思っていたところだったのだ。でも一体急にどうして?

「今日の昼、出先であの子に会うたんや」
「『あの子』?」
「せや、俺を振ったあの女や」

ああ、あの三好を身長のことで振ったヤツ……西郷はこの間の話をうすらぼんやり思い出した。

「1人やなかった。ツレがおったんや」

この場合の『ツレ』とは当然その女の子の彼氏のことを指差すのだろう。へぇー、と西郷は頷き、三好の話の続きを待った。

「彼氏、いたの?」
「みたいやな。けど重要なんはそんなとこと違うんや」

そこで三好の顔は真剣になった。

「なんやと思う?」
「さあ……」

皆目見当つきません。三好はちょっと納得いかない、という顔をして声を荒くした。

「その男、俺より背ぇ低かったんや!」

それを聞いた西郷はえっ?と正直、驚きを隠しきれなかった。

普通なら『へぇー』、とか『そう』とか適当な相槌を打ってしまうところだがこの場合は勝手がちがう。三好は厚底の靴が履けなくなるから振られたのだ。しかしツレの男はその三好よりも背が低かったという。それは一体どういうことなのか。

「納得いかんやろ?俺、ちゃんとわけ聞いてきたわ」
「な、なんて?」
「『俺のこと振ったんは身長のことやったんと違うんかい!しばくどボケッ!!』」

西郷はその場面を想像して思わず笑った。いかにも三好らしいケンカの売り方だったからである。

「もともと好きな男おったんやて。ホンマにまぎらわしい振り方すんなっちゅーねん」
「はぁー」

西郷は驚くやら感心するやら……三好の行動力に、である。自分ならそのまま声をかけずに終わってしまうところだが、躊躇なくケンカを売った三好は、ある意味スゴイ。尊敬に値する、と西郷は思った。

「おかげで、遠回りしてしもたわ」
「でも、よかったじゃないの。身長が原因じゃなくって」
「そりゃあそうやけどな……」
「それと三好……ごめん。俺、ほんとはこのままお友達どまりかとちょっと思ってた」

三好はプッと噴出した。つられて西郷も笑った。

それを聞いた三好は一刻も早く西郷にこのことを伝えたくて、慌てて新幹線で帰ってきたんだと笑いながらそう言った。そういえば入ってきたとき大きなカバンを肩に掛けていたっけ。驚いたのでそんなこと、ちっとも気づきやしなかった。それを知った西郷の胸は熱くなる。

どうしよう、抱き締めてキスしたい。

気がつくと三好が覗き込むように西郷の顔を見つめていて、西郷の胸をかなり余計に熱くした。

「これからもよろしゅう、仲良うしてな」

そう言って目を閉じた三好の顔が、西郷の顔にゆっくりと近づいた。二人が出会って3度目のキスだった。

end

 
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