−前編−
出会った瞬間、恋に落ちてしまう人間が稀にいる。

花丸商事営業部第一課、西郷喜治もその一人だった。別段意識をしたわけではなかったが、目と目が合った瞬間に心臓が高鳴り、何かが特別な関係になるような、そんな感じがしたのだ。

しかしながらにその直感が、一般的にいう男女間の、そういう意味を伴うものであるならば西郷にとってはかなり大きな問題が生じることになる。何故って、その運命の相手だと直感した三好直之は、その名の示す通り西郷と同性……つまりは男だったから、なのだ。

それでもそんなことはどうでも良い、と西郷は思う。だってそんなことはもう大したことのない障害のように思えてしまうほどに、運命を感じてしまっていたからなのだ。まだ出会って数ヶ月にも満たないこの時間。なのにもう何年も連れそっている恋人のような、家族のような、そんな感じすら漂う。なんとなく、お互いの考えていることが手に取るように分かってしまうのだ。

なので出会って2ヶ月目に西郷は三好にキスをした。

そういうシチュエーションになったのはほんの偶然だったが、目と目があった瞬間なぜかそうすることがごく自然なことのように二人の唇が重なったのだ。この想いは決して一人よがりなものではないと西郷は直感する。だって、三好だって同じことを思っていたはずなのだ。決して上手くはいえないけれど、西郷には確固たる確信があった。何故って……キスする時に三好も黙って目を閉じていたからなのだ。

誰もいない定時後の給湯室で西郷と三好は離れた唇も至近距離にじっと見つめ合った。しかしその後、三好の口から出た言葉とは、運命を感じる西郷にとって、到底信じられないものだったのだ。

「西郷俺のこと好きなんか?」
「…………うん」

三好のストレートな質問に首まで真っ赤になった西郷がポツリと答えた。経験がまったくない、というわけでもないのに西郷にはこんな初心なところがある。

「……ふ――――ん」

西郷の一言に少し考え込むようなそぶりをしてそんな言葉が口からもれた。そのそっけない物言いに西郷の思考はあるひとつの場所へと行き当たる。

「って、み、三好は俺のこと嫌いなのかっ!?」
「いや、俺かて西郷のこと好きやよ」

やっぱり……!思わぬ三好の告白に西郷の胸は高鳴った。だがしかし、三好の告白のその後にはまだまだ続きがあったのだ。

「初めて会うた時からこうなるような気はしとったんや。しとったんやけどな……」

三好は大きなため息を吐いて続けざまにこう言った。

「悪いんやけど、西郷の気持ちは受けられへんのや」
「!?なんで?」
「自分勝手で悪いんやけど、ちょっと諸事情あって……ほんまごめん!男の沽券に関わることなんや」

そう言って真っ直ぐ西郷の目を見た三好の顔は真剣そのもので、いよいよ西郷は何も言えなくなってしまった。実のところ西郷にはどういうわけだか、ちっともさっぱり分からない。

「理由?堪忍な、……言いたくないんや。もうちょっと早う西郷と会うてたら良かった」
「ちょ……三好!」

慌てて肩を掴んだ西郷の手に自分の手を重ねると、三好は悪戯っぽい子供のような目を向けてニコッと笑って甲言った。

「でも嫌いにならんと、これからも仲良うしてな」

 

*    *    *    *    *

 

西郷喜治は今年入社2年目になる花丸商事の営業部員だ。身長は182cmと大柄ではあるが、性格はかなり温厚な部類で優しげな雰囲気が印象に残る。

対する三好は同じく花丸商事の営業部に今年の4月に入社してきた若い新人社員で、大阪出身の彼の口から飛び出す愛嬌ある関西弁は周りの空気を和ませる。容姿は170cm前後、顔はどちらかというと童顔系ですこぶる可愛らしい顔立ち。女子社員の人気度は非常に高い、と思う。

もともと西郷は特別男が好きというどこぞの営業部員のようなタイプではない。過去の経歴だって多くはないが、関係を持ったのは最初の経験から始まってずっと女性ばかりなのだ。その西郷が男でもいいと三好に打ち明けたのに、その三好に気持ちを拒絶されたのが丁度1週間前。

あんまり会話が一方的すぎて西郷には当初なにが何だか分からなかった。実は今でも分からない。なんでなんだろう?西郷は三好を好きだと言った。三好も西郷を……好きだと、そう言ったのに。

はっきりしてるのは西郷が三好に振られたということ。

しかし、何かがおかしいのだ。振った張本人であるはずの三好はなにかにつけて西郷の周りをチョロつく。

尤も、入社して営業部に配属された三好の世話役が西郷だったので、それはそれでちっともおかしくないのだが、何故か今日、借りているマンションの西郷の部屋に、三好が突然なんの連絡もなしにひょっこり顔を出したのだ。流石にこれはちょっとおかしい。

コーヒーメーカーから漂うコーヒーの独特の匂いが部屋に充満するリビングの、ソファの下の部分に持たれかかって雑誌を読む三好にコーヒーを差し出すと西郷は言った。

「三好、俺……振られたんだよな、お前に」
「え、なんでえ?『これからも仲良うしてな』って言うたやん」
「…………」

あれは社交辞令ではなかったのか。さっぱりわけが分からない。ついでに三好が何を考えているのかも……やっぱりさっぱり分からない。西郷は困ってしまった。だがしかし

「西郷のそばは、なんや気持ちいいんや」

そう言ってニコッと笑う三好の顔はめちゃくちゃ可愛くて、そこから先に西郷はなんにも言えなくなってしまった。振られてしまったとはいえ、西郷は三好に関して非常に弱い。

(まあ、いいか)

いわゆるお友達の関係でも……強引に押倒してセックスしてしまいたいわけでもなし……実際こういう単純なことではないのだろうが、本人が幸せと感じるならばそれで良い。なにより振った三好が自分から離れていかなかったことが西郷には嬉しかったのだ。

日曜の午後にいきなり遊びにきた三好ではあったが何か目的があったわけでもなく、結局その日は2人でTVを見たり音楽を聴いたりして時間を過ごした。

窓のさんに夕日が入って日没独特の、神秘的な不思議な色で部屋の中を明るく照らす。

(一体三好は今日、何をしにきたんだろう)

三好が西郷の住むマンションに突然現われた時から湧いていた疑問であったが、聞くタイミングがなかなか出せずそのまま聞けずじまいとなっていた。

もう少しで日がすっぽりと隠れてしまいそうになる頃、まるで自分の家のようにごろごろとくつろぎながら雑誌を読んでいた三好がむっくり起き上がり、視線は雑誌に落としたままで後ろ向きに、ただポツリと一言呟いた。

「……あんなあ、西郷。……怒ってへん?」
「『怒る』って、何が?」
「俺、勝手言うたから」

三好は完全に背中を向けて問いかけてきたから、どんな顔をして聞いているのか西郷には見ることができなかった。できなかった……が、どんな顔をしてこんな言葉を言っているのか西郷にはなんとなく分かってしまったのだ。西郷の顔をわざと見ようとしない三好。きっと、『悪いことをした子供のようにバツの悪そうな顔』をしてるに違いない。

西郷は、振り向こうともしない三好の背中をじっと見つめた。そしてなんとなく、分かってしまったのだ。三好が今日、何をしにわざわざここへやってきたのかを。相変わらず、三好はこちらを振り向かないままで、それが返って西郷の気持ちを温くした。

「三好……」

三好は、謝りにきたのだ。自分も西郷が好きだと告白しつつも、西郷の気持ちを拒絶した自身の我侭を。

それを聞いたとき西郷は三好をギューッと抱き締めたかったけれど、我慢した。三好を困らせることはしたくなかったし、何よりそれじゃあますます自分の気持ちが押さえられなくなってしまう。だから西郷は出来るだけ、本当に出来るだけ優しく聞こえるように三好にこう言ったのだ。

「怒ってないよ」

すると三好は、パッと弾かれたように顔を上げ、勢い良く西郷の方を振りかえった。

「ほんまに?!」
「ほんと、ほんと。だからそんな顔しないで」

それを聞くと三好は座り込んでいたフローリングから慌てて身体を起こし、向かい合うように座っていた西郷の両手をギュッ、と握りしめた。

うわあ。

「よかったー!気になってたんや……西郷、俺のこと嫌いになれへんかなあって」
「だからそうならないように、三好は俺のこと好きだって言ったんだろ?」
「それもちょっと違うんやけど……何か悪いことしてるみたいっちゅーんか……」

勝手だな、と西郷は笑った。三好もつられて笑う。ふいにお互いの目が合って笑い声が途絶えた。しばらく見つめ合うかたちになっていたが、どちらからともなく二人の距離が狭まっていって、そして2度目のキスをした。

なんだか、自然にそうしたい気持ちになったのだ。軽く触れ合うだけのキスなのに、何故だか心まで触れ合うような、そんな気がする。

ゆっくりと距離を離すと、三好はさっきよりも、真剣な顔してますますさも困ったかのような表情をしてこう言った。

「打算とか、そんなん抜きにしてほんまに西郷のこと好きやと思ってるんやで?」
「うん」
「多分、呆れるような理由やと思うんやけど……聞かんといてくれる?」
「いいよ、三好が言いたくなるまで聞かない」

西郷がそう言ったとき、三好の顔がパッとまるで花がさいたかのように輝いた。

「ほな、しばらく友達のままっちゅーことで、よろしく頼んます!」

そう言うと三好が深々と頭を下げたので、こちらこそとかなんとか言いながら慌てて西郷も頭を下げた。お互いがお互いの気持ちを知っているのにお友達のまま……。二人の奇妙な関係が始まったのだった。

 

*    *    *    *    *

 

あれからひと月近くになる。季節は梅雨から夏へと移行して、連日蒸し暑い日が続いている。

三好とはあれからたまに家に遊びに来たり、映画を見に行ったり……一見付き合い始めたカップルのデートみたいと、とれなくもないが全体的に色気はない。当初の約束通り依然お友達の関係のままだったのだ。キスだってあれから一度もしてはいない。尤もそれが『普通の友達』のあり方というものだったが……。

自分も西郷を想っているのに、交際を拒むその理由。三好に聞かないと言った手前聞くわけにはいかないが………気になる。

(一体、どんなわけなんだろう?)

聞けば呆れるような理由だと三好は言った。そういえば男の沽券に関わることだ、というようなことを前にも漏らしている。そして三好は友達でいることに『しばらく』という期間を付けたこと。一定の期間がくれば付き合いでも始めるつもりなのか。西郷の中で三好の謎は依然深まるばかりだった。

 

 

「じゃあ西郷。悪いけどよろしくな」

一体どうしてこういうことになったのか。直接的な原因は三好だが言いだしたのは桂木だ。

桂木圭吾は西郷の所属する営業部で常にトップの成績を納めている、とても優秀な営業マンだ。そして昨年は入社したばかりの西郷の世話役でもあった。

実は西郷、この桂木という男を密かに尊敬している。昨年は一緒に外回りなどを回らせてもらったが口がものすごくうまいのだ。大抵契約まで10分でこじつける。桂木が言うには最初の5分で買う気の有無が分かるらしいが、あれはちょっとやそっとじゃマネできない。

 

「あっち〜、もう倒れそうだったぜ!こういう日は冷えたビールでもグーーーッと行きたいよなあ」

外回りから帰ってきた桂木がドカッと座席に座るとともに発した言葉だ。思えば、これが発端だった。隣の座席に座っていた田嶋一臣がポツリと返す。

「ああ、そういえば駅前の百貨店の屋上でビヤガーデンが始まってますね」
「おっ、いいな。どうだ田嶋、今日あたり行ってみるか?」

田嶋は昨年入社の西郷の同期だ。クールでドライな性格で、端正な顔立ちをしている。性格上一見無愛想にみえ営業には不向きと思われがちだが、これがどうしてどうして、営業成績はかなり良いのだ。

いいですね、と田嶋は言った。

「西郷は?」

振ってきたのは桂木だったが、それを聞いた西郷は飛び上がるほど驚いた。いや、ビビッたと言ったほうが正しいかもしれない。なぜならこの二人、ビールはもとより酒がめちゃくちゃ強いのだ。そりゃあ西郷だってアルコールは好きな方だし、そこそこ飲めるタイプだったが、ピッチが断然違う。ペースを合わせて飲むとかなりエライ目にあうのだ。一度一緒に飲みにいって次の日酷い二日酔いになったことがあったことをありありと思い出す。

「い、いや、僕は…………」

断ろうとしたその瞬間、三好が仲間に入ってきた。

「なんの話や?混ぜてぇな〜」
「おっ、三好か。暑いから今日定時後ビヤガーデンに行かないかって言ってたんだ」
「ビヤガーデンかぁ。ええなあ」
「三好も行くか?楽しいぞ〜」

そう言って桂木はひどく整った笑顔でニコッと笑う。桂木圭吾、曲者だ。

その言葉を待っていたかのように、三好は間髪入れずに頷いた。 どうやらこいつも相当な酒好きらしい。それを聞いて慌てて止めたのは西郷だ。桂木たちなんかと一緒に飲みに行ったら三好だってただでは済むまい。

「みっ、みよしっ!止めておいたほうがいいぞ!!」
「えー、なんでえ?ええやんか、ビヤガーデンは夏の風物詩や、夏はビールや!」
「そうだぞ、西郷。お前も来い、4人で夏を語ろう!」

最後の方はちょっと論点がずれていた気がする。男4人で夏なんぞを語って一体どうするというのか。同じことを田嶋も考えていたのだろう、桂木に向けられた田嶋の冷たい視線がやたらに可笑しい。しかし可笑しかったのもそこまでだった。何故って……結局西郷も無理やりビヤガーデンに連れて行かれることになったからだ。

 


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